お義父さんと仲良くなりたい
結婚ともれなくセットでついてくる義理の両親とのお付き合い。今でこそ仲良しなものの、私も最初は苦労したものである。
私は歳上の人と喋るのは得意な方だと思っていたのだが、その自信は義理の父の前では見るも無惨に打ち砕かれた。義理の父は私が産まれて初めて出会った、無口なおじさんだったのだ。
無口なおじさん。このタイプは私がコツコツ収集した人間図鑑のデータに無かった。私の身の回りにいたおじさんは漏れ無くお喋りだったので、ここに来て今まで無縁だった無口なおじさんという新キャラの登場は、私が長きに渡り培ってきたリズムを悉く乱した。
義理父、オット、私。
居心地の悪い義実家の居間で、私の1番苦手な無言の時間が続く。この沈黙を破ることができるのは共通点であるオットしか居ないにも関わらず、奴は自分の実家というホームグラウンドでのびのび寛いでいて、ソワソワしている私の姿などアウトオブ眼中だった。
『あんたが話題提供しながら場を回すのが筋ってもんだろ!この場だけでいいから明石家さんまになれよ!』という思いを込めながら睨みを効かすも、鈍感なオットには全く通じない。
もういい、我慢の限界だ。
お義父さんになんだこのお喋りクソ野郎はと思われても良い。私がこの場を回して喋る。雑談とはこういうもんだと私の背中をオットに見せてやろう。
相手の興味のある話題を提供し、会話に発展させ、親交を深める。雑談とは言わば口頭で行うゲームの一種のようなもの。私は義理父と心の将棋を指すべく、居間を見渡し話題を探した。
するとちゃぶ台の隣の棚の上に、無数のメダカが悠々と泳ぐ立派な水槽が目に入った。そういえば先日オットとの雑談の中で、義理の父はメダカを繁殖させて育てるのが趣味だと小耳に挟んでいた。データを収集していて本当に良かった、雑談は思いがけない所で役に立ってくれる。
私はここで泳ぎ回る小さな生き物に思いを託し、勇気を振り絞って歩を進めた。
「いや〜、かわいいメダカちゃんたちですね。ここまで立派に育てるのってやっぱり難しいんじゃないですか?」
「餌やっとけば勝手に育つよ」
終了。メダカは餌やっとけば勝手に育つらしい。
ここでメダカの育て方トークを引き出そうと思ったが無念。私の歩はすぐ義理父に取られてしまった。
だがここでめげる私ではない。すぐに次の手を打つ。
「へ、へ〜!意外と簡単なんですね!餌は何をあげてるんですか?」
「メダカの餌」
そうですよね、メダカはメダカの餌を食べますよね。
次のターンも何の成果も得られず終了。いや、全ては私の提供した話題が悪い。私の中にメダカの引き出しが無さすぎるのだ。スカスカな引き出しの中に唯一入っているメダカも新喜劇のそれなもんだからまるで役に立たない。今目の前に【これ一冊ですべてが分かる!たのしいメダカの世界】のみたいな本をぶら下げられたら諭吉を叩きつけてでも手に入れたであろうに。
空気を入れ替えるために再度周囲を見渡す。
するとメダカの水槽の隣にタッパーに入った大きなマリモの姿を見つけた。水の中でふわふわの藻を踊らせるマリモの様子は、きっとお義父さんの日々の疲れを癒しているに違いない。
マリモ、あんたに私の全てを託すよ。私はマリモという切り札で王手をかけた。
「お義父さん、マリモも育ててらっしゃるんですね!大きくて立派ですね〜」
「それ、汚れた水槽のフィルター」
投了。たとえ藤井聡太でも義父の切り返しは想定外だったろう。私の戦いは終わった。
何故汚れた水槽のフィルターを別容器に大切に入れているんだ。義父のトリッキーな一手に敗れた私は雑談なんてチョロいと舐めていた己の慢心を恥じ、その後帰宅するまで口と心を閉ざした。
その後オットから聞いた話だが、義父は私が帰った後、義理の母や妹に
「今日はエムコさんが来てとても楽しかった」
と言っていたらしい。
よくよく話を聞くと、義理の父は一見寡黙でクールに見えるのだが、喋ることは好きだと言う。
なんじゃそれ!とひっくり返ったが、私との会話が嫌では無かった事を知り、ほっと胸を撫で下ろした。
もっと肩の力を抜いて、リラックスした状態でお義父さんとの会話を楽しもう。またしても義実家を訪ねる用事ができた私は、前回の反省と決意を胸に、門を叩いた。
居間に入ってさっそく義父母にご挨拶をする。相変わらず寡黙なお義父さんと悠々自適に泳ぎ回るメダカの水槽にウッと前回のトラウマが蘇ったが、今度は義理の父の方から口を開いた。
「エムコさん、庭に来てみらんね」
行きます!行きますとも。喜んでお供します、と食い気味で返事をし、庭に出る。庭には大きな晩白柚や枇杷の木が茂り、お義父さんが管理しているという立派な畑には野菜と花々が植っていた。野菜なら私も幼稚園教諭時代に仕事で育てていた事があり、引き出しも多い。今度こそ会話に花を咲かせるぞと意気込む私を尻目に、お義父さんは庭の奥へとずんずん進み、畑の奥の藤棚の下で立ち止まった。急いで後を着いていくと、そこには水の入った大きな水槽が幾つも並んでいた。
私の脳裏にはまさか、と同じ3文字の小魚が泳いだ。
「これ全部、メダカ」
不安は的中した。私が前回会話の中であまりにもメダカを捏ねくり回したもんだから、義父の中で私はメダカに興味津々な女になってしまったらしい。私が興味があるのはメダカではなくお義父さんなのに、とんだ誤算である。
先日の一件で奇しくもメダカは私の宿敵になってしまったが、お義父さんの愛するメダカを理解せずして、お義父さんの心に歩み寄ることは出来ない。ならば私の答えは一つ。私は喜んでなろう、メダカ好きの女に。
「すごい!たくさんいますね!」
私はメダカが大好き、NO MEDAKA、 NO LIFE。
そう自分に言い聞かせながら水槽を見渡す。よく見ればメダカは模様によって水槽が分けられており、中には黒いものや錦鯉のように鮮やかな色を放つものもいた。小さな水槽に日本庭園を思わせるような奥行き、なるほど奥の深い世界である。
「この水槽には生まれたばかりの赤ちゃんがいるよ」
義父が地面に直置きされた水槽を指差す。どれどれと尻を落としてしゃがみ込んだ瞬間、私はギャッと声を上げ、背後にキュウリを置かれた猫のように飛び上がった。
「エムコさんどうした?」
「イエ!なんでもありません!赤ちゃんかわいいですね!アハハ!」
不審がる義父の目を何とか誤魔化したが、この時私の身には非常事態が起きていた。しゃがみ込んだ時に背後にあったメダカの水槽に気が付かず、中に尻を突っ込んでしまったのだ。パンツとワンピースが尻に張り付く不快感が、私に「ビチャビチャやで」と絶望を教える。
紺色のワンピースを着ていた為、目視では水に濡れたと分からないのが不幸中の幸いであるが、再び居間に戻り座るよう促されたら一貫の終わりである。メダカの水槽に尻を突っ込んで尻がずぶ濡れなんですなんて言おうもんなら、オットから死ぬまで馬鹿にされるに違いない。
私はその後義父に「畑の草むしりを手伝わせてくれ」と懇願し、照りつける太陽に尻を突き出して懸命に乾かした。季節が春で本当によかった。
咄嗟の機転で死線をくぐり抜け、家に帰るなり疲労で布団に倒れ込む。死体のような私を尻目に、オットは
「お父さんが、エムコの事すごくいい子だねって言ってたよ」
と言った。
我が行いに一片の悔いなし。そう言葉を遺した私は、拳を空に突き上げたまま静かに息絶えた。
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