勉強嫌いの私が高校に合格するまで
私は勉強が苦手だ。
そもそも机に向かい椅子に座る事が得意ではない。以前別のエッセイにも記したが私には集中力というものがまるでなく、座るという行為にさえひどく飽きてしまうので、昔から落ち着いて何か一つの事に取り組むのが苦手だった。
大好きな絵を描く事でさえ2時間経ったら限界が来る。デッサンの合間に休憩と称してひと踊りが許されるのであれば喜んで凝り固まった尻を振って解していただろう。
小学校に進学してからも興味のない授業は上の空だった。おかげさまで小学生がこんな点数を取るのかと目を疑うような成績を収め、学期末に通知表が渡されるたびにこっぴどく叱られた。
これを危機的状況だと感じたのは母だった。
私のあまりの頭の悪さにいち早く気がついた母は、私が小学生の頃から塾に通わせた。
塾は勉強以外は楽しかった。違う学校の友達が出来たし、学校の先生とは毛色の違う愉快な講師もいる。こんなに面白い環境なのに目的が勉強というのが残念でならない。授業は仕方なく受けたが本人のやる気がまるで無いため学力が向上するはずもなく、早々に辞めさせられてしまった。
次に母は私を個別指導塾に行かせるという手を打った。
個別指導塾は机が一つひとつパーテーションで区切られており、他の生徒の顔を見ることがない。先生が机を順々に周り、出来ないところを教えるというスタイルだった。
はっきり言ってこのシステムは最悪だ。椅子と壁と机しかない閉塞した空間に、問題集がポツリとあるだけ。時々現れる塾の講師が私の気を紛らわす唯一の存在だったが、仕事上雑談などしてくれるはずもなく、私の出来の悪さに頭を抱えているだけだった。この時の塾の講師の顔は一切記憶にないが、抱えた頭のてっぺんに薄ら白髪があったのは覚えている。自分がこの白髪の原因の一つになっていると思うとちょっとだけ申し訳なかった。
中学生になり高校受験を控えた私に、母は「もうこれが最後の頼みの綱だ」と家庭教師を雇った。私は母に諦めるよう何度も説得を試みたが、塾なんぞに通わずとも抜群に成績のいい姉がいた為諦めきれないようだった。出来のいい姉を持つと妹は苦労する。
最初の家庭教師は近所の大学に通う女子大生だった。驚くほど美人で優しかった。私は自分の部屋で家庭教師と2人きりになると、大学の事や彼女のこれまでの生活について色々質問した。雑談が8割、勉強が2割といったところか。個別指導塾より気が楽でよかった。2年生になりそろそろ勉強に本腰を入れなければという時期に差し掛かると、私のただでさえ無いやる気は地に落ちていった。今まで最高のバランスで均衡を保っていたにも関わらず、勉強の割合が増えだしたのである。この由々しき事態に焦った私はいち早く手を打つことにした。
雑談の中で、その家庭教師は“るろうに剣心”のファンであることがわかった。るろうに剣心とは明治維新後を舞台にしたジャンプの大ヒット漫画である。私は世代ではないので漫画を読んだことはなかったが、作品はもちろん知っている。さっそく私は漫画好きだった中学の友達に声をかけ、るろうに剣心の漫画を全巻借りてきた。
家庭教師は私の部屋に入るなり、机の上に揃ったるろうに剣心の単行本を手に取り
「うわー、懐かしい!実家に全巻あるけど、一人暮らしを始めてから漫画は久しぶりに見たなぁ」
と喜び、ページをペラペラとめくった。
私はすかさず
「先生が面白いって言ってたので気になって。友達がしばらく貸すよって言ってくれたので先生も読んでいいですよ」
と言った。
家庭教師は私が問題を解いているふりをしている間、ひたすらるろうに剣心を読んでいた。作戦は大成功である。和月先生には菓子折りのひとつでも贈らなければ。
私の飛天御剣流奥義、天翔ける龍の閃きが功を奏し、先生が私の様子を伺う頻度は劇的に減った。
これで快適な日々を取り戻したと思ったのも束の間、私の成績が上がるはずもなくその女子大生は別の先生と交代する事になってしまった。
私は友人にるろうに剣心を返却した。無念でござるよ。
次に来たのは同じ大学に通う学生で、関西出身の饒舌な男だった。
「お嬢さんを絶対に◯◯高校に合格させます」
◯◯高校とは私の地元で3番目に頭のいい高校である。私は彼の自信満々な発言に腰を抜かし、母は涙を流さんばかりに喜んだ。大変申し訳ないがそんな事ができるはずもないので、前言撤回するなら今のうちだとやんわり諭したが彼の瞳に燃える炎を消火することはできなかった。
私は自室で勉強するという選択を奪われ、居間で家庭教師と勉強することになった。今度の先生は前の女子大生のように甘くはなく、私にビシバシ指導した。数学、理科、社会、英語に国語、受験科目の全てを2時間の間でみっちり叩き込まれるので私の頭はフルマラソンした後のように疲れ果てた。
しかし、日を重ねるうちに彼の目に映った炎は小さくなり、夏をすぎる頃には線香の先っちょのように鈍い光が燻るだけになった。彼は半年間の努力の虚しさを悟ったのだ。だから言っただろうと思わず肩を叩きたくなる。
「あかん、ほんまにもうあかんわ」
家庭教師がわたしが解いていた英文の訳を見るなり絶望したように呟いた。
Q.次の英文を日本語訳せよ
I have been here for 3 years .
A. 私はここで3年間豆を持っています
先生は「あかん、どうしよう。ほんまにこれはあかん」とボソボソ呟いた後、腕を組んで黙り込んでしまった。
ちょうどこの時期の進路相談、私は中学の担任から例の美術が学べる高校の受験を勧められた。学力ではなく絵の実技と面接のみの入試であると聞いた私は、これなら行けるかもしれないと志望校を大きく変更した。
次の授業日。私がこの旨を家庭教師に伝えると
「君にはそこしかないわ。君の素晴らしい感性を発揮できるのはその高校しかないと俺は思うてる。ほんまに応援しとる、がんばってな」
と心底安心した表情でそう言った。
私はデッサンを学ぶため画塾に通うようになり、家庭教師の回数も減った。万が一に備えて受験勉強は続けていたものの、冴えない模試の結果が出るたびに
「絵の勉強のほうは順調?頑張ってな、ほんま」
と家庭教師が強く念を押した。
家庭教師の熱のこもった応援を受けながら推薦入試を迎えた私は、無事に志望校に合格した。
「これで家庭教師ともさよならやなぁ」と先生に合格を告げる電話入れると
「君なら必ず合格すると思ってたよ、おめでとう」
責任から解き放たれた男の、爽やかな声が耳に響いた。
数日後、家のピンポンが鳴った。モニターを見ると家庭教師の姿が映っている。
「先生どうしたんですか」
「合格のお祝いを直接言いたくて、開けてください」
私が急いで玄関を開けると、大きな花束が顔面に突き刺さった。
「ほんまにおめでとう」
家庭教師はプロポーズにでも使うんかという馬鹿でかい花束を持ってきたのだ。人生で初めてもらう花束が家庭教師の兄ちゃんからとは、なんだか虚しさが込み上げたが私は大人しくお礼を言って受け取った。
「ほんまに…ほんまにおめでとう…!」
彼は何度も何度も、噛み締めるように私を祝ってくれた。
受け取った花束はとても重く、私にはその花束の重さが、彼の抱えていた責任の重さなのだろうと申し訳なく思った。
こうして私は例の高校に進学し、人生が変わるような出会いの連続の上、今に至る。
今思えば私がもし賢かったらあの高校に通っていなかったのだと思うと、これは偶然なのか必然だったのか分からなくなる。高校での経験や友人との出会いが、間違いなく今の自分を作っているからだ。
歴代の塾や家庭教師の先生には申し訳ないが、ここまで勉強にやる気が無かったのは神様が私をあの高校と出会わせる為に仕向けた事だったと思うようにしておこう。
あれから10年以上経ったが、あの時家庭教師からもらった花束が私の人生で手にした最も大きな花束で、その記録を更新する事が私のしょうもない夢の一つである。
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