曇りガラスの向こう側 #025「言いたいことば」
二条の街から戻った頃、京都の空は、燃えるような朱色から深い群青へと溶け始めている。
つづるは凪から言われたとおり、倫の部屋を訪ねた。
案内されたのは、以前のような無機質な医療機器に囲まれた「病室」ではなかった。部屋と廊下を分ける障子を通じて柔らかな夕陽の光が部屋に満ちている。そこには「患者」ではなく「一人の少女」が過ごすための香りが戻っていた。
「……失礼します」
つづるが声をかけると、倫の傍らにいた女医と看護師が、示し合わせたように静かに一礼して席を外した。静寂が戻った室内で、つづるのバッグが不意に揺れた。
「ミュイッチッ!」
ぬいぐるみモードを解いたすずが、弾かれたように飛び出した。一直線に、ベッドの上で横たわる倫のもとへ向かうと、当然の権利だと言わんばかりに、彼女のおでこの上にちょこんと飛び乗った。
「あ……すずったら……ごめん。重くないかな」
つづるが慌てて近寄ると、息を呑んだ。
初対面の時、見開かれたまま震えていた彼女の瞳は、今は穏やかに閉じられている。全身を襲っていたあの激しい痙攣も、嘘のように消えていた。
つづるは、ベッドの脇に用意されていた椅子に腰を下ろした。何を話せばいいのか迷ったが、凪の言葉を思い出し、今日あったことをそのまま話すことにした。
「……今日はね、京都で初めて朝食を食べたよ。志乃さんたちが作る京都の朝ごはん。出汁っていうのかな、関東とはやはり違う風味が美味しかった。そのあと応接の間?で『月齢』の偉い人たちを凪さんに紹介されて、ちょっと、いや、かなり緊張しちゃった」
倫の様子は変わらない。でもつづるは続けた。
「鉄平とひなちゃんと宿題もやったよ。鉄平はラグビーの戦術がすごく詳しかったし、ひなちゃんは古文の言葉を色で教えてくれたよ。そのあと……二人と二条城の近くまで、かき氷を食べに行ったんだ。真っ白で、ふわふわで……口に入れると、京都の暑さが全部消えてしまうみたいに冷たくて……」
つづるが語る「日常」の断片が、静かな部屋に波紋のように広がっていく。
するとふいに、倫の指先がかすかに動いた。
彼女のまぶたが、ゆっくりと、震えながら持ち上がる。薄く開かれた視線は、さまようことなく、まっすぐにつづるを捉えた。
「……かき、ごおり」
それは、羽毛が落ちるような、か細い声だった。
けれど、そこには明確な「意志」が定着していた。
「……わたしも、たべたい」
倫の瞳に、つづるの影が映る。
つづるは驚きに目を見開き、それから今日おそらく今日一番の、穏やかな笑みを浮かべた。
「……うん。一緒に行こう……」
おでこの上のすずが、二人の約束を祝福するように、小さく「ミュイ」と喉を鳴らした。
