箱根戦争(戊辰戦争)
「戊辰箱根戦争」は、戊辰戦争の一環として慶応4年(1868年)5月に箱根周辺で繰り広げられた戦いのことです。
主な経緯と勢力
この戦いは、旧幕府勢力である遊撃隊(人見勝太郎、伊庭八郎らが率いる)と、新政府軍に従っていたはずの小田原藩、そして新政府軍という三勢力が絡み合って展開されました。
* 遊撃隊の上陸と小田原藩の動揺:
* 鳥羽・伏見の戦いの後、江戸城無血開城にも不満を持つ旧幕臣や佐幕派の林忠崇(請西藩主)らが組織した遊撃隊は、房総半島から海路で真鶴に上陸し、伊豆・御殿場方面を経て江戸を目指しました。
* 当初、新政府軍に従っていた小田原藩は、遊撃隊が領内を通らないよう説得を試みますが失敗。箱根関所で遊撃隊との銃撃戦が勃発します。
* しかし、翌朝、小田原藩は突如遊撃隊に和睦を提案し、遊撃隊は小田原城下へ入ります。この時、小田原藩内が佐幕派に傾いていたことが明らかになります。
* 新政府軍の介入と小田原藩の再転換:
* 小田原藩の佐幕への転換を知った新政府軍は、小田原攻めの構えを見せます。
* これに対し、江戸から駆け付けた小田原藩の家老が佐幕の無謀さを説得した結果、小田原藩はわずか数日で再び新政府側に戻ります。
* 「山崎の戦い」と遊撃隊の敗走:
* 小田原藩が新政府側に戻ったことで、遊撃隊と小田原藩は再び敵対関係となります。
* 慶応4年5月26日、箱根湯本の山崎地区で激しい戦闘(山崎の戦い)が勃発します。遊撃隊は山崎の高台に砲台を築き、小田原藩は長興山や石垣山方面から砲撃。
* この戦いでは、遊撃隊長の伊庭八郎が小田原藩士との一騎打ちで左手を失うという激戦となりました。
* 新政府軍の加勢もあり、遊撃隊は戦力を削られ、湯本の町に放火しながら箱根宿から十国峠、熱海方面へと敗走しました。逃げ遅れた隊士は箱根の各地で討ち取られています。
主要な参加部隊
* 旧幕府軍側:
* 遊撃隊: 人見勝太郎、伊庭八郎、林忠崇(請西藩主)らが中心。
* 請西藩兵、駿府勤番兵、館山藩兵、飯野藩兵、岡崎藩兵など。
* 新政府軍側:
* 小田原藩兵を先鋒とし、新政府軍が加勢。
戊辰箱根戦争は、東海道筋で起こった数少ない戊辰戦争の戦場の一つであり、箱根という地理的要衝で起こったこともあり、当時の混乱した情勢をよく表す出来事と言えます。
