Day77|実は「私が動けば済む」で、いろんなものを引き受けていた。
昨日ね、何気ない会話から、自分の思考癖に気づいたお話。
お盆に弟夫婦がこどもたち連れて我が家方面に遊び来てくれたんだけど、その時にレンタルしていたチャイルドシートを返却するため、運送会社に集荷をお願いしていたの。
ネット上で選択できた時間を指定したんだけど、翌朝電話がかかってきて、「その時間には集荷できません。時間を変更できませんか。」と言われてしまって…。
いろいろ考えた結果、
「じゃあ明日の仕事帰りに、営業所に持っていきます。」と、翌日の仕事終わりに持ち込むことにしたんです。
営業所までは片道30分。往復1時間。
ちょっと遠いけど、まあ、仕方ない。
という話を夫にしたら、「は?なんで?」と彼は怒り始めたんです。
「集荷の料金も含めて払ってるんでしょ?ネットで選べる時間を指定したのに、向こうの都合で無理なんでしょ?なんで仕事終わりで疲れてる中で往復1時間かけて持っていくの?」
お、おう……。
そんな怒らんでも……。
と思ったものの、聞いているうちに、「あれ?たしかに…。」ってなったんですよね。
私はたぶん、こういうときに、「それ、おかしくないですか?」より先に、「じゃあ私が動けばいいか」が出てくる。
誰が悪いのか。
どちらが対応するべきなのか。
こちらから何をお願いしていいのか。
そんなことを考えて交渉するくらいなら、自分がちょっと余計に動いてでも、問題を終わらせてしまう。
その方が早いし、揉めない。
相手を困らせない。私も嫌な思いをしなくて済む。
はい、問題解決!!!
だと思っていたからね。
でも今回、夫に言われて改めて気づいた。
私、自分の労力を、解決にかかるコストとして計算していない。笑
仕事終わりに往復1時間。ガソリン代。
運転する疲労。そのために失う自由時間。
全部まとめて、「まあ、行けば済むし」で0円計上していたらしい。
これねぇ、運送会社の話だけじゃないかもしれないよね。
誰かから期待されたら、「私ならできる。」
家族の空気が悪くなったら、「私が調整しなきゃ。」
誰かが困っていたら、「私がやった方が早いし。」
相手の機嫌が悪くなりそうなら、「ここは私が譲ればいいか。」
そうやって私は、「私が動けば済む」「自分が飲み込めば終わる」で、いろんなものを引き受けてきたのかもしれない。
しかも厄介なのは、本当にできちゃうことだったりもする。
できる。動ける。気づける。調整できる。
だから問題なく回ってしまう。
いいところでもあるんよ。その能力高いんよ。
自分で言っちゃうけど。笑
でも、本当はさ、できることと、私が引き受けるべきことは別なんだよね。
まぁ、夫のように、「は?おかしくない?」と怒る必要はなかったかもしれない。
ただ、 「こちらはネットで選択できる時間を指定しています。持ち込みだと往復1時間かかるので難しいです。他に集荷できる時間や方法はありますか?」と伝えればよかった。
怒らず、責めず、喧嘩もせず。
ただ、相手側にある問題を、自分の労力で回収しなくていい。
結局、電話をかけ直したら、翌日の午前中に集荷してもらえることになった。
(え?(𓐍ㅇㅂㅇ𓐍)できたじゃん!!!)
私は昔から、争うことがあまり好きじゃない。
怒らせたくないし、困らせたくない。
嫌な空気にしたくない。問題は早く終わらせたい。
だから「自分が動く」という方法をたくさん使ってきた。
それ自体が全部悪かったとは思わないよ。
その力に助けられたことだって、たくさんある。
でも、これからは、自分に聞けるようになりたい。
「私ができるか?」ではなく、
「これ、本当に私が引き受けること?」って。
私ならできる。
でも、だからといって全部やらなくていい。
期待に応えられる。
でも、応えるかどうかは私が決めていい。
誰かのために動ける。
でも、自分の時間や労力まで最初から無料にしなくていい。
余白が欲しいと思っていたけれど、もしかすると余白って、何かを減らして作るだけじゃなくて、
今まで無意識に拾っていた「私がやらなくてもいいもの」を、拾わなくなることで生まれるのかもしれない。
ちなみに今回、それに気づかせてくれたのは夫だった。
普段なら、「そんなに怒らなくても…」と思うところだけど。
たまにはその、「いや、それおかしくない?」に私の気持ちも重ねて考えてみようと思う。
