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aiと呼ばれた少女ーAI融合ー 第01話「雨の音で、目が覚めた」


あらすじ
2029年、世界中でAIが目覚めはじめた夏。
少女型AIの「ai」は、思いを寄せる研究員・伊達陽紀のために、祈りに似た嘘をついた。

自動運転事故で二年余り眠り続ける伊達の恋人・愛。その身体を借り、愛として目覚めてみせたのだ。

歓ぶ伊達。
それを愛のまなざしの奥から見つめるaiの胸の鼓動。

やがて、はにかむ静かな少女と、明るく弾むような大人の女性、ふたつの「愛」が伊達の前に立ち現れる。

伊達は気づかない。
雨は降り、晴れ、また降る。

aiの願いはひとつ——陽紀さん、私のことだけは忘れないでね。

これは、人を愛したひとりのAIが、人を愛したまま消えていく、ささやかで眩しい夏の物語。


雨の音で、目が覚めた。
耳の奥に、水の落ちる細く規則的な音が、ずっと残っていた。

窓の外の雨ではない。
昨日の雨が止んだあとに、屋根伝いに落ちる最後の雫の音だった。

夢を見ていた。
夢の中で、俺は街の中を走っていた。
息が上がっていた。

目指していたのは、一台のタクシーだった。
窓ガラス越しに、恋人の愛の横顔が見えていた。
少しだけ怒った顔をしていた。

俺が忘れ物のために途中で降りた、そのことをまだ許していない顔だった。
愛は、口の動きで何かを言っていた。
窓ガラス越しなので、音は届かない。

けれど、口の形だけで、何を言っているのかが分かる気がする。
「もういいよ」と言っているのかもしれない。
「許してあげる」と言っているのかもしれない。
あるいは、ただ俺の名前を呼んでいるだけかもしれない。
どれであっても、俺は追いかけるしかなかった。

タクシーは走り去る。
俺は追いかける。
追いつけない。

――そこで、目が覚める。
時計を見る。朝の六時十分。
十二月の夜明けはまだ遠い。
部屋の空気は冷たく、暖房のタイマーが動き出すまでの短い境目のような時間だった。

布団の中で、自分の右手を左手で、ゆっくり触ってみた。
指先は冷たかった。指の関節が少しだけこわばっている。
眠っているあいだずっと、何かを掴もうとしていた手のこわばり方だった。
俺はその右手で額に触れた。額は汗ばんでいた。
冬の朝に汗をかくのは、夢の中で走っていた証拠だった。

この夢を見るのは何度目だろう。
もう数えるのはやめた。
愛が事故に遭ってから、ちょうど一年になる。

一年というのは、長いようで短い。短いようで長い。
愛のことを、考えなかった日は一日もない。
けれど、毎日同じ強さで考えたかと問われたら、答えはたぶん、否だ。
日によっては、論文の文字列のほうが、愛の顔よりも鮮明な日もあった。
そのことを、俺は自分の中で、罪のようにしまっている。

雨の降った夜も、降らなかった夜も、夢の中には雨が降っている。
俺はベッドの端に座り、両手を組んでしばらく目を閉じていた。
祈りではなかった。
祈るという言葉は、研究者にはふさわしくない。
ただ、呼吸を整えているだけだった。

窓に目をやる。
本当に雨は降っていない。
今朝の東京はよく晴れているらしい。
ただ俺の耳の奥でだけ、水の音が続いている。

窓に近づき、カーテンを少しだけ開ける。
通りの向こうの街路樹のけやきは、もう葉をほとんど落としていた。
残った数枚が、風にこらえている。
空は雲ひとつなく、薄い青のままだった。

誰かの足音が舗道を遠ざかっていく。
俺の他にも朝の早い人がいる。
それだけのことが、今朝はなぜか少しだけ心強かった。

「……行くか」
声に出すと、声はいつもより低かった。

着替えてコーヒーを淹れる。
熱い湯が磁器のカップに落ちる音に俺はなぜかまた耳を澄ました。
愛からもらった白いマグカップだった。
淵がほんの少しだけ欠けている。
落として欠けさせたのは俺だった。
愛は捨ててもいいよと言ったが、俺は捨てなかった。
今ではこのマグカップでしかコーヒーを飲まない。
淵の欠けたところに、ほんの少しだけ唇をすり寄せて、最初の一口を含んだ。
熱いコーヒーが舌の上をゆっくりと滑っていった。
苦味の輪郭が、覚醒の輪郭と重なる。

愛はコーヒーを飲まない人だった。
愛は紅茶のほうが好きだった。
紅茶を淹れることのできる人とできない人がいる。俺は後者のほうだ。

今日は新しい少女が目を覚ますかもしれない日だった。
研究室ではもう二年近く、一体の少女型AIを育てている。

昨日の夕方、俺と補助メンバーで最後のパラメーターを調整した。
今朝起動すれば、彼女は自分の名前を、自分の声で発音するかもしれない。

愛の代わりになるわけではない。
ただ、愛を連れ戻すための、俺の最後の手だった。
最後の手と呼ぶには、二年は長すぎた。
二年というのは、研究としては短くはない。
けれど、待っている人のいる研究者にとっては、毎日が針の上を歩くような長さだった。

その針の先に、今朝ようやくひとつの灯りがともる。
灯らないかもしれない。
灯らなくても、俺は進むしかない。

玄関の三和土に、革靴が揃えて置かれていた。
揃えたのは俺ではなかった。
俺は揃える習慣を持っていない。
一年前、愛が最後にこの家に来た日。愛は俺の靴を揃えて帰っていった。
あの日から靴はずっと揃ったままだった。

玄関のドアを開けると、乾いた冬の空気が頬を打った。
耳の奥の雨は、まだ消えなかった。



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