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「つるかめ算」は、なぜ中学受験までなのか - シンガポールマス(Singapore Math)を知って感じた違和感

 中学受験で息子が特に苦労したのが算数でした。
 そして受験が終わった今、改めて思うことがあります。

 中学受験を経験した方なら、一度は感じたことがあるかもしれません。
つるかめ算、旅人算、仕事算、流水算、年齢算、線分図、面積図…。
こうした「特殊算」と呼ばれるものは、一体何だったのか。

 そう考えるきっかけになったのは、次の一言です。
「これまで使ってきた算数のテキストは、処分してもらって構いません。
中学からは方程式になりますから、切り替えてください。」

 もちろん、息子自身が特殊算を深く理解しきっていたわけではありません。それはそれで一区切りだったのだと思います。

 ただ、その一言を聞いたときに、別の疑問が残りました。
 多くの子どもたちが、中学受験のために膨大な時間をかけて特殊算に向き合う。
 しかし受験が終わると、それはそこでパツンと切れる。
 
 その中にある「考え方」や「構造の捉え方」は、単にそこで終わるものなのだろうか。
 
 むしろそれは、算数や数学を学んでいく中で、さらに思考を広げていくための土台になり得るものではないのか。
 
 そんな疑問について、自分一人では整理しきれず、AIとの対話を通じながら考えを深めてみました。


〇 特殊算と方程式の間に横たわる断絶

 中学受験の算数において、大きな比重を占めるのが「特殊算」です。
 
 特殊算とは、つるかめ算や旅人算といった個別の解法の集まりというよりも、数量の関係を「図で表して考える」ための思考体系です。
 線分図や面積図、ダイヤグラム、天びん図などを使い、数ではなく“関係”を視覚化しながら解いていきます。
 
 式に頼る前に、状況そのものを構造として捉える
 ――その発想こそが、特殊算の本質です。

 子どもはこれらに膨大な時間をかけ、試行錯誤しながら、なんとか解けるようになっていきます。
 
 しかし受験が終わると、こう言われます。
「これからは方程式です。」
ここで、すべてが終わる。
 
 この断絶に、強い違和感を覚えました。

〇 受験を終えて感じたこと

 息子は、この特殊算に本当に苦労しました。
 それぞれの考え方を深く理解していたかというと、正直そこまでは至っていません。
 どちらかというと、「この問題はこう解く」という“技法”として身につけていた、というのが実態に近いと思います。
 
 だから受験が終わって、「これからは方程式でいい」と言われたとき、
それまで苦労していたものから、一区切りつけられたという意味では、
息子にとっては良かったのかもしれない、と感じました。

 また、親としては、これまでのように付きっ切りで勉強を見るのではなく、
 中学からは、自分で進んでいく段階に入るのだろうとも思っています。    
 そういう意味で、一つの区切りを迎えた、という感覚に近いのかもしれません。 

◦ では特殊算は、やはり不要なのか

 しかし、ここで話は終わりません。
 
 冷静に考えると、特殊算には確かに価値があります。
 ・数量関係を図で捉える力
 ・条件を整理する力
 ・逆算する思考構造を見抜く力
 これらは単なるテクニックではなく、「考える力そのもの」です。

 また、このような図や工夫を使って問題を解く発想は、
もともと日本の伝統的な数学である「和算」にも見られるものです。
 
 江戸時代の和算では、文字式に頼らず、図や数量の関係を工夫して解く文化があり、
その流れの一部が、現代の受験算数に残っているとも言えます。

 ただしここで一つ重要なことに気づきました。

◦「理解できた子」と「技法で終わった子」

特殊算は、
・考え方まで理解できる子、
・技法として覚えるだけで終わる子
に分かれるのではないか、ということです。

 そして、後者の子にとっては、
「もう方程式でいいじゃないか」となるのも、自然な流れです。
実際、我が家はどちらかというとそちら側でした。

〇 それでも残る「もったいなさ」

 それでもなお、どうしても残る感覚があります。
せっかくやったものが、ここで終わっていいのか?

 もし、この特殊算の中にある「構造を見る力」「モデル化する力」
をさらに発展させていけば、
 もっと先につながる可能性があるのではないかとの思いが残ります

〇 世界と日本の立ち位置

 調べてみると、対照的な例がありました。

◦ シンガポール

 図で考える手法(バーモデル)を国家カリキュラムに取り入れ、
小学校:図で考える
中学校:それを方程式へつなぐ
という形で、算数と数学を途切れなく接続しています。

 このバーモデルは、日本の線分図や面積図といった発想と本質的に共通する部分があり、それを国家として「数学への橋渡し」として体系化している点に特徴があります

◦ インド

 一方でインドは、早期に方程式を導入、計算やアルゴリズムを重視する教育を取っています。
 複雑な問題も、図で考えるのではなく、最初から式で処理する。
 さらに計算力や数の扱いに強く重点を置くことで、効率的に解決する力を育てています。

 このような教育は、プログラミングや工学的な思考とも親和性が高く、
IT分野での強さにもつながっているとも言われています。

◦ 各国の成果と、日本との違い

 各国の立ち位置を、シンプルに表すとこうなります。
・インド:一直線(最初から数学で進む)
・シンガポール:接続(算数と数学をつなぐ)
・日本:途中で切れる(受験で断絶する)

 そして、こうした教育の違いは、実際の成果にも表れています。
 
 シンガポールは、1980年代にこのような教育を体系的に導入し、
1995年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)では、
数学で世界トップとなるなど、
 国際的な学力調査で高い成果を示してきました。

 一方でインドは、シンガポールのように教育手法そのものが広がっているわけではありませんが、
 数学オリンピックやIT・工学分野において世界的に活躍する人材を数多く輩出しています。

 また、日本についても、PISAなどの国際調査では高い学力を維持しており、決して数学が弱い国ではありません。

 ただ、中学受験の中で培われた特殊算的な思考が、
その後の数学教育へと体系的につながっているかという点については、

 体系的な接続は、ほぼ存在せず、
実質的には断絶していると言ってもよいのではないかと感じます。

◦ 世界で広がる「Singapore Math」

 このシンガポールの教育に対して、世界では明確な反応が起きています。

 国際的な学力調査(PISAやTIMSS)で高い成果を示してきたことから、その教育手法は各国の教育現場で注目され、研究や導入が進んでいます。

 特にイギリスでは、政府主導の数学教育改革の中で、その考え方が取り入れられています。

 またアメリカでも、国家として一律ではないものの、多くの学校や学区で「Singapore Math」として教材や授業実践に活用されています。

 さらに東南アジアを中心に、オーストラリアやカナダなどでも広がりが見られます。中東・アフリカ・南米でも、学校単位や研究レベルで関心が寄せられているようです。

 つまり、Singapore Math は世界共通の標準になっているわけではありません。

ただ少なくとも、

「算数から数学へ、どうつなげるか」

 という問いに対する一つの成功例として、世界から注目されていることは確かなように思います。

では、その中で日本はどうなのか。

 日本についても、PISAなどの国際調査では高い学力を維持しており、決して数学が弱い国ではありません。

 一方で、PISAの結果を踏まえ、記述問題の増加や探究学習の導入など、「思考力」や「表現力」を重視する方向には進んでいます。

 しかし、シンガポールのように「算数から数学へとつなぐ構造そのもの」を教育の中で体系的に位置づけるところまでは、まだ至っていないように感じます。

〇 誰がこの断絶を生んでいるのか

 ここで一つの構造が見えてきます。
学校教育は、最初から「方程式で進む」という立場を取っています。

 しかし、この両者の間に、明確な「接続」は存在していません。

 そのため、中学受験の中で磨かれた思考は、受験後の学びへと自然につながっていく形にはなっていないように感じます。

 もっとも、こうした「構造を捉える力」そのものが、完全に不要になっているわけではありません。

 実際は、SPIなどの適性検査、数学オリンピック、一部の難関大学の数学など、
さまざまな場面で「条件を整理する力」や「関係を構造として把握する力」は、今も点在的に求められています。

 つまり、特殊算的な思考は消えているのではなく、「選抜」の場面では、今なお評価され続けているとも言えるのかもしれません。

 しかし一方で、それが学校教育の中で体系的に育てられ、次の学びへと接続されているわけではありません。

 そこには、日本の教育が、「学校教育」と「受験市場」という二つの異なる仕組みの上に成り立っていることが関係しているようにも感じます。

 学校教育は、全国共通の基礎学力を重視し、「方程式」を軸に数学を積み上げていく。

 一方で受験市場は、選抜のために、特殊算のような「構造を見抜く力」を発展させてきました。

 つまり両者は、目指しているもの自体が、必ずしも同じではないのです。

 その結果、中学受験の中で磨かれた思考は、その後の学びへと明確につながることなく、宙に浮いたままになっているようにも感じます。 

〇 創造性との関係

 さらに考えると、もう一つの問いに行き着きます。

「この思考は、創造性につながるのではないか?」
 構造を理解する力は、
 新しい発想を生み出すための土台の一つには、なり得るのではないかと思うからです。

 しかし、特殊算で培われる力の多くは、基本的には
「与えられた問題を解く力」です。

一方で創造性とは、
「新しい問いそのものを生み出す力」でもあります。

つまり、
土台はある。
しかし、その土台を使って“新しいものを生み出す段階”へ進む仕組みが、
今の教育の中にはほとんど存在していない。

そんな状態なのではないかと感じました。

〇 この思考は、どこまで広がるのか

 ここからは少し話が大きくなります。

 もしこの「構造を捉える力」をさらに発展させていけば、
新しい数学的な発想、未解明の理論物理や宇宙に関わる数理
といった分野につながっていく可能性も、ゼロではないのではないか。

 これはあくまで素人の感覚ですが、そうした“広がり”を感じてしまうのです。

 しかし現実には、
・時間がない
・評価できない
・受験に直結しない  という理由で、
 正解を出すところで終わる。これが現状ではないでしょうか。

〇 特殊算は、無駄だったのか

 私は、専門家ではありません。
 そして親としては、正直ホッとしています。
 方程式で進めるなら、その方が楽です。

 それでも――
 これはあまりにも、もったいないのではないかとも感じています。

 特殊算は無駄だったのか。
それとも、まだ使われていない可能性なのか。
 答えは分かりません。
 
 ただ一つ言えるのは――
 このまま“受験で終わるもの”にしてしまうのは、
惜しいということです。
 
 同じような違和感を持たれた方がいれば、
ぜひ一度、一緒に考えてみていただければと思います。

 この問いに対して、皆さんはどう感じられるでしょうか。

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