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セクシーとは何か

 小学校の頃、進級して新しい友達ができた時などに、よく聞かれた質問があった。「郷ひろみと西城秀樹とどっちが好き?」

 「え? 二択?」と思った方も多いかもしれない。当時とて、もちろん、他にもアイドル(と、あえて言ってしまおう)は存在した。なのに二択?
 いやいや、でもこの種の質問は今もあるのである。「犬派? 猫派?」という質問の前には、リス派もラクダ派もバンドウイルカ派も、二大派閥に組み込まれてしまうのである。

 さて、「郷派、西城派」の質問をされた時点に時を戻そう。この質問をする小学生には2種類ある。① 質問者がどちらかの大ファンであり、仲間を探している場合 ② 特に話題がないので、適当に話を振っている場合。

 ②の場合なら、答え方は簡単である。「どちらかといえば」と付けて、どちらかを言えば良いのである。問題は、①の場合で、二択を外すと、相手が不機嫌になる恐れがある。その友達と知り合ってからの言動を思い出して、「郷派か西城派か」を類推しなければならない。

 いや、あんたの意見はないんかい! と思った人、ごもっともである。これに対する私の素直な答えはなかったのだ。つまり、「どちらも好きでも嫌いでもない。」この問題を深く考える環境になかったのだ。

 私の両親は、当時、出始めた男性アイドルたちを毛嫌いしていた。ああいう、チャラチャラした男は碌なものではない、というのが二人の一致した意見であった。また、彼らをキャーキャー応援するファンがテレビに映し出されると、その度に怒っていた。母などは、「ああいう人間にだけはなってはいけない」と私に厳命していた
 
 ではそういう番組を見なければ良いのだが、両親は、同じ番組に出ている五木ひろしを見たいのである。チャンネルを変えると、五木ひろしを見逃す恐れがある。なので、男性アイドルが繰り広げるキャーキャーショーを怒りつつも見ていたのだ。(怒るのが趣味だったような気もするが)

 私は私で、男性アイドルの魅力に取り憑かれないように、心のセンサーを切りつつも、学校での話題についていけるように、彼らの姿を見て、歌を歌えるようにはしていた。

 さて、時は流れて、令和6年の大晦日である。紅白歌合戦を見る私の目に、郷ひろみの姿が映った。彼は、昭和45年の大阪万博や、やすきよの漫才の映像に映り込みつつ、楽しげに歌い踊っていた。懐かしいなあ、と思いつつ、ふと思い出した。そうだ、西城秀樹って、亡くなったんだったっけ。

 年が明けてから、私は、久しぶりに西城秀樹の映像を見た。そして、度肝を抜かれた。「これはものすごい芸術ではないか」と。

 例えば、「ジャガー」という曲だが、彼は、肩と背中がざっくり開いた、とても普段着にはできない衣装を着て、頭に大きな羽飾りを付けて、歌い踊っていた。長い情熱的なセリフを叫んでいた。あの衣装であの曲をギャグっぽくなく歌い踊り、感動を与えることができる人は、当時も今もなかなかいないだろう。しかし、彼は独特の世界観を作り出していた。

 また、もっと若い時の曲で、「ちぎれた愛」という曲も素敵だった。この曲にもセリフがあり、「好きだ。好きなんだよー」という絶叫が素晴らしかった。全然いやらしくないけど、セクシーだと思った。

 そして、私は、あの頃、客席で「キャーキャー」言っていたファンの気持ちが今頃になってわかった。

 あの頃、セクシーを感じるセンサーを切っていたことは、非常にもったいなく思う。まあ、どっちにしても小学生だったので、このセクシーさがどのくらい理解できたのかはわからないが。

 親の監視を離れた今は、他人の顔色を窺うこともなく、自分の好きを追求できる立場になった。これからは、あらゆる芸術を素直に鑑賞していきたいと思う。

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