童心読書(2)今の季節にぴったりな児童書『女の子はサンタクロースになれないの?』
昔から、「円滑な人間関係を作るためには、政治と宗教と野球の話はするな」と言われてきました。
なんでも、これらの話は、多くの人にとって、「妥協できない話題」なので、喧嘩になる可能性が高いそうです。
若い頃の私は、「そうなんだ」とこの話を信じ込み、これらの話を自分から出すことはありませんでした。
しかーし。
長年生きてきてわかりました。私にとって、これらの話題より、もっともっとタブーな話題が存在する、ということを。
その話題とは、
「サンタクロースの話題」
です。
なぜ、大人というのは、「サンタクロースはいない」という前提で話を進めるのでしょう。
「サンタクロースいる派」の私としては、納得できません。まさしく「妥協できない話題」なので、「サンタクロース」の話題になると、黙り込むか、話題を変えるかしてきました。
とは言え、勇気を出して、「いない派」の根拠を聞いたことがあります。根拠は大きく二つに分かれます。すなわち、
① それが大人の常識である。
② 私の家にはサンタが来なかった。
失礼ながら、非常に根拠に乏しい、と言わざるを得ません。
まず、「大人の常識」なんてものは、簡単に覆ります。昭和二十年八月十五日に、それまでの常識が覆ったことは全ての方がご存じだと思います。
そして、②に対する私の反論を述べます。
サンタは、います。フィンランドにいます。
私の家にもサンタは来ませんでした。でも、その理由を私は知っています。フィンランドは日本から遠いからです。いくらサンタが働き者でも、そうそう、毎年、日本にまで来ることは難しいのです。
それに、私の家には、煙突がありませんでした。
サンタは、いないのではなく、来なかったのでもなく、「来れなかった」もしくは、「家に入れなかった」が正しいのです。
とは言え、私の小学校の同級生の中には、「家に煙突がないのに、サンタが来た」という人もいました。
これは、とっても幸運な出来事だと思います。なかなか日本に来れないサンタクロースが、ようやくの思いで遠い日本にやってきて、煙突がない家にも関わらず、なんらかの方法で、その子の家に入ったのですから。
サンタクロースといえども、時代の変化に応じて、「アップデート」しています。
煙突のない家は、年々増えていますから、「煙突のない家に入る方法」もきっと研究していることでしょう。
さて、本題に入ります。
図書館へ行くたびに、子供の本のコーナーにも立ち寄るようになった私。少しずつ絵本や児童書にも触れています。
何冊か読んだ中で、最近、感銘を受けたのがこの本。
エルフィー・ドネリ作
遠山明子訳
津尾美智子絵
『女の子はサンタクロースになれないの?』
内容は、まさしく、「サンタクロース一家」が「アップデート」する話。題名から想像される通り、ジェンダー問題をテーマとしています。
1992年初版、となっていますので、やや、古いですし、図書館や古本屋でしか手にできないかも知れません。
今の感覚で言うと、内容もやや古臭いところがありますが、こうやって、いろんな業界が少しずつ、感覚を新しくしていったのだなあ、偏見を見直していったのだなあ、と感じます。
それに、この本が出てから30年以上経つのに、まだまだ女性が進出しにくい業界もたくさんあります。
そんなに堅苦しい話でもなく、痛快で面白いです。
マーク・トゥエインの『王子と乞食』やエーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』が好きな人は、ハマると思います。
さて、最初の話題に戻ります。私が「サンタクロースいる派」になった根拠をまだお話ししていませんでした。
私は、サンタクロースと手紙のやり取りをしたことがあります。
小学校1年の時に、ユニセフを通じて、サンタクロースに手紙を送りました。
すると、サンタから、返事が来たのです。
中には、フィンランド語の手紙とその日本語訳、そして、小さなバッジが入っていました。
この手紙とバッジは、宝物でしたが、後年、鬼のような母親に「ガラクタ」と判断されて、勝手に捨てられてしまいました。
しかし、私の心には、「サンタと手紙のやり取りをした」という記憶は、しっかりと刻まれたままです。返事が来た時の感動は忘れられません。
サンタは、います。フィンランドにいます。
私はカッパや宇宙人も信じていますが、まだ手紙のやり取りをしたことがありません。ユニセフが、間に入ってくれないかなあ。
