童心読書(3)『ヒットラーのむすめ』
6歳の頃のある日、小学館の『小学一年生』という雑誌で、ある「お話」を読みました。
主人公は、高層マンションに住んでいる女の子で、毎日学校から帰ってくると、エレベーターで自分が住んでいる階(5階だったっけ?)まで昇ります。
ある日、帰宅してエレベーターに乗ると、昨日までなかった「地下2F」のボタンがありました。
好奇心に駆られて地下2階までいくと、そこは焼け野原の街でした。主人公は、そこで、防空頭巾を被った自分と同じくらいの女の子に出逢います。
女の子に学校帰りに購入したアイスクリームをあげると、女の子は「こんなに美味しいものは食べたことがない」と涙を流し、身の上話をします。父親は、戦争にとられて戦地におり、母親と二人暮らしだったが、その母親も昨日の「空襲」で亡くなってしまった、と。恐ろしい空襲の描写もあったと記憶しています。
そこからのあらすじは、うろ覚えなのですが、なんらかの方法で地上に戻った主人公が、翌日も、地下二階へ行って、昨日出会った子にアイスクリームを渡そうとしたものの、エレベーターには、「地下2F」のボタンがなくなっていた、という結末だったような気がします。
なんて恐ろしい話だろうと思いつつ、次のページをめくった私は、愕然としました。次のページには、「今から、25年ほど前の日本は戦争中であり、空襲が各地でたくさんあり、この話の女の子のような孤児もたくさんいたのだ」と書いてあったからです。
「地下2階」の世界は、想像の産物ではなかった。同じようなことが本当にあったのだ、ということが衝撃でした。
なんという題名のお話だったかは覚えていませんが、「戦争」というものがどういうものかを知った瞬間でした。
子供に「戦争」を教える、というのは、なかなか難しい問題だと思います。
国によって、人によって、戦争の伝え方は、いろいろだと思いますが、今日、ご紹介する本は、オーストラリアの児童文学作家によるものです。
ジャッキー・フレンチ『ヒットラーのむすめ』(鈴木出版)
オーストラリアの子供達がスクールバスを待つ間、退屈しのぎに「お話ゲーム」をするところから、物語は始まります。
お話を作るのが上手いアンナが話し始めたのが、「ヒットラーのむすめ」のお話。
ヒットラーにもし娘がいたら、という架空の話です。
娘の名前は「ハイジ」。
顔にあざがあり、足を引きずっている、という設定です。
母親はすでに亡く、父親であるヒットラーとも滅多に会えません。
学校には行ってなくて、家庭教師に勉強を教わっています。
アンナと同じスクールバスで通うマークは、だんだんアンナの話す物語に、のめり込んでいき、戦争について、ヒットラーについて、独自にいろいろと考え始めます。
「もしもお父さんがヒットラーだったら、僕はお父さんを止められるのか?」
次第に考えを深めていき、先生や周りの大人にもいろいろと問いかけます。
現代のオーストラリアと、第二次大戦中のヒットラーの(そしてハイジの)いるドイツと、並行して話は進んでいきます。
いろいろと考えさせられる本でした。
大人にも子供にも読んでいただきたい本です。
この本を機に、少し、ヒットラーについて調べてみました。調べてみて分かったのは、彼は「私利私欲の人」ではなかった、ということです。どうやら本当に「自分は正しい」と思って、ああいうことをしていたように感じます。
話はずれますが、12月20日に最終回を迎えた「良いこと悪いこと」というドラマのことを思い出しました。(ここから20行ほど、このドラマの内容に少し触れますが、「犯人が誰か」については触れません)
主人公は、間宮祥太朗演じる高木(あだ名はキング)です。彼は小学校の5、6年生の頃にいじめグループのリーダーでした。
大人になり、同窓会が行われた後で、かつていじめグループにいたメンバーたちが、次々と殺されていきます。
そんな時、雑誌に「彼が小学校時代にいじめグループのリーダーだった」ことが載ります。
その雑誌が出たことで、キングの娘が今度は学校でいじめられます。
娘のノートにいじめっ子が「バカ」だの「おとうさーん」だのと落書きしていたのですが、その落書きの中に「イジメ反対」という文字がありました。
「あいつの父親はイジメという悪いことをしていた」→「だから、あいつのノートにいじめ反対、という正義のメッセージを書いた」という理屈だとしても、その「イジメ反対」と書くことこそが「イジメ」である、という視点をそのいじめっ子は持っているのでしょうか?
「私は、ドイツ社会のため、正義の行いをしている」と思っているヒットラーのしていることは、大量虐殺という悪行だということに、ヒットラーは、どこまで自覚的だったのでしょうか。本当に一点の曇りもなく、自分は正しいと信じていたのでしょうか。
ちょうど、「良いこと悪いこと」の最終回を見ている頃に、この『ヒットラーのむすめ』を読み始めたので、いろいろと考えてしまいました。人間というのは、よくよく注意しながら生きていないと、うっかり「イジメ」や「戦争」という沼に陥ってしまう生き物なのかも知れません。
「戦争をなくしたい」そう思って生きてきた人は、過去にもたくさんいただろうし、現在もたくさんいると思います。私も「戦争をなくしたい」と思っています。
でも、なかなか、戦争はなくなりません。
だからこそ、若い世代の方々に、ちゃんとその思いを伝えていくためにも、私もいろんな知識を身につけて、これからも、戦争について、人間の心理について、考えていきたいと思います。
さて、今年もあと、数時間です。今年は、noteで、いろんな方々に出会えて、楽しい記事を読むことができて、とても充実していました。
出会ってくださった皆様、私の記事を読んでくださった皆様、「スキ」をくださった皆様、ありがとうございます。
ありがとう2025年。
ありがとう皆さん。
来年もよろしくお願いいたします。
