読めない人は理解タイプが違うだけ 地元の悪環境は改心で解決・夢 命令を受ける欲・聖書解釈 我慢比べ
1、読めない人は理解タイプが違うだけ
文章が読めないのではなくて、理解タイプが違うだけ。
イメージ先行。
ストーリー重視。
俺はストーリー重視。
いつも、「何でこの人は、こんな事をするのか」という疑問が思い浮かぶ。
例えば、雨の日に出かける登場人物がいたら、何で雨なのに出かけるのか、雨が好きなのか、雨の日にイベントでもあるのか、雨でも出かけないといけない用事があるのか、晴れの日だったら出かけるのか、というのが頭に思い浮かぶ。
雨なら、人手が少ないから外出しやすいとか。
晴れだと、人が多いから出かけたくないとか。
自分との関係性タイプ。
人々の雰囲気タイプ。
連発タイプ。
似たような事を何回も繰り返す。
利得タイプ。
世間体タイプ。
要素の羅列タイプもある。
とにかく、要素を羅列してくれた方が判りやすい人も存在する。
要素を勝手に取捨選別しないで、全て出してくれた方が判る人も存在する。
相手の感情タイプ。
今の日本だと、社会への迎合が支配的だから、迎合タイプだけを正しいと決め付ける。
世間体とか、国益とか、そういう複合タイプが現代の日本だ。
テクニカルに、作業要綱とか、つなげる力とか、読解力とか言い出す人も居るけど、こういうテクニカルな理解タイプも存在する。
間違いではないけど、正しくもない。一面だけ正しい。
テクニカルな力は、あった方がいいけど、なくても何とかなる。
テクニカルな力がなくても、何回も同じ文章を読めば、何となく理解できるようになる。読む気があればの話だが。
なぜ、一回で理解するために、テクニカルな力を習得させるのか。
それは、社会にとって好都合だからだ。何回も時間が掛かるよりも、一回で理解してくれた方が、社会にとって好都合だからだ。
できるだけ短い文章を、少ない回数で、理解してくれる方が社会にとって好都合だからだ。
取扱説明書とか、討論とか。
教科書とかも、短い文章を少ない回数で理解するように教育する目的で作っている。
しかし、そういうのに合わない人は、脱落していく。
成績が悪いのではなくて、理解タイプが違うだけである。
効率タイプを出世させて国家を運営するなら、コストが少なくなる。
コストは少ないけど、取りこぼしが多いから、どうしても限界がある。
低コストなだけで、情緒を排除しているから抒情性がないため、碌な文学が生まれない。
日本の文学が世界で通用しない原因である。
迎合タイプや効率タイプばかり成績が上がって行って、文章の読解力が上がるけど、他のタイプは全く読解力が上がらない構造が日本には出来上がっている。
才能の問題ではなく、構造の問題である。
個人の問題ではなく、構造の問題である。
個人の問題と、構造の問題は、切り離して考える必要がある。
分別する必要がある。
聖書では、無分別は神が忌み嫌う感情である。
理解タイプが違うと言っても、理解する気がなかったらどうしようもない。
2、地元の悪環境は改心で解決・夢
旅先がいいのではなくて、地元の環境が悪いから、迫害されているようなモノだから、引っ越した方がいいのではないか。
これを書いてから昼寝すると、変な夢を見た。
悪人を退治
トイレ掃除
石垣が20メートルの高さがあるけど、本来はもっと高いと感じた
昼寝で変な夢を見た原因を考えた。
もしかすると、地元の環境が悪いのは、神に立ち返ればよくなるかもしれない。
だから、地元の環境が悪いぐらいでは引っ越さない方がいい。
神に立ち返って、その悪い人間関係の相手に対して、神の戒めをすれば、逆切れして相手から勝手に縁切りしてくる。
俺の自己中な親も、俺が神のルールに基づいて、自己中な親の悪行を糾弾したら、勝手に逆切れしてきて、縁切りを言ってきた。
神の戒めを受け入れる人なら、キチンとした人間関係を築ける。
自分が神の信者で、相手も神の信者なら、良好な人間関係になる。
変な我慢をしなくてもよくなる。
3、命令を受ける欲・聖書解釈
神は全知全能だから、分霊でイエス・キリストを贖いする必要がないのに、人間のために贖いをして、冤罪と迫害で殺された。
神がここまで人間にするのは、神が人を愛しているからだ。
神は人を愛している。
愛とは、一緒に天国で暮らせるようにする事だ。
背教者は、天国に入ると、天国に居る信者の障害となるから入れない。
だから、背教者が天国へ入れるように、改心させる必要がある。
・・・
わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
神の信者は、来世で、望むルールを叶える事ができる。
何が幸せなのかは、人によって違うから、特定のモノではダメ。
だから、死後の来世の幸せな環境は、曖昧な表現になる。
不幸は、誰でも共通しているから、地獄は焼き続けるかウジが涌き続けるか魂を消される、というモノになる。
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
・・・
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
本来、人間は、神の命令を受けて、従う事で満足する本能を持っている。
神の命令に従っているなら、「命令を受ける欲」を満足できる。
しかし、神を捨てると、「命令を受ける欲」が満たされない。
だから、代わりの命令を受けようとする。
御恩と奉公で「命令を受ける欲」を満たそうとする。
世間に服従する事で「命令を受ける欲」を満たそうとする。
会社に服従して「命令を受ける欲」を満たそうとする。
親に服従して「命令を受ける欲」を満たそうとする。
しかし、それらは偽物だから、「命令を受ける欲」を満たせない。
満たせないから、次々とっかえひっかえする。
親に対する対応で相手のレベルを決め付ける欺瞞。
親が自己中だという危険性を全く勘定に入れない。
それとも、悪い親に服従したら、こちらにも服従する配偶者になるから、レベルが高いとか、勝手に自己中な評価しているのか。
無料の奴隷が欲しいのか。
「互いに愛し合いなさい」と言っているのに、相手を愛さないで、奴隷や捨て駒が欲しいだけ。
「命令を受ける欲」といっても、あまりにも命令が多すぎると、我慢できなくなって、命令には「何でも逆らう」ようになる。
その命令が正しかろうが間違っていようが逆らう。
危ないから避難しろという命令に対しても逆らう。
命令に対する受忍限度を超えているのであって、頭が悪いから避難命令に逆らって災害に遭っている訳ではない。
この「何でも逆らう」状態は、サタン側にとっても好都合であり、神のルールにも逆らうから、地獄へ道連れにできる。
だから、サタン側は命令過剰な社会にして、何でも逆らう人を作る。
受忍限度を考えない社会の方が悪いのである。
読解力のタイプから排除された人たちは、我慢しているから、我慢の限界を超えるのである。
読解力から排除された人たちは、我慢が蓄積しているから、爆発しやすい。
罠を張って人々を穴に落としている政府が悪い。
神の命令だけに従えばいい。
神以外の命令は従わない。
4、我慢比べ
石油や封鎖で、イランは我慢比べに勝つというけど、そもそもイランは戦争の前と後で大して環境は変わってないから、我慢比べになっているかどうか。
生活の我慢というけど、今までがおかしかっただけ。
一次加工食品は配給されるだろうから、それで自分で作れ。
二次加工食品・三次加工食品が作れなくなるだけだ。
多分、資源や原料を一次加工食品へ優先的に供給しているのだろう。
だから、二次加工食品・三次加工食品の会社で不足している。
ただ、二次加工食品には、パンとか麺などは、家庭で作ると逆にロスが増える危険性があるため、こういう種類は、資源を供給されるだろう。
マヨネーズやソースは自分で作れ、という事になる。
三次加工食品は知らん、というのが政府の立場なのだろう。
むしろ、有害物質だらけだから、食べない方が健康に成れると思っている。
むしろ、こういう時のために、三次加工食品などの産業を作って、いざという時に切り捨てて、資源を節約できるようにしているのだろう。
何でもそうだけど、バッファーゾーンというモノがあって、重要なモノを守るために、どうでもいいモノを作っておいて、いつでも犠牲にできるようにする。
必要なモノ100だけで資源を確保していると、資源が半減した時に50のダメージになる。
しかし、必要なモノ100と無用なモノ100を作って200にしておけば、資源が半減しても、無用なモノ100を切り捨てれば、必要なモノ100を守れる。
不要不急の業界・会社・仕事。
