初子と軍を皆殺しにされ、飢え死にへ追い込まれても、反省しないのが背教者である
今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。
エジプト王に対して、神がモーセに言わせた箇所である。
エジプト人は、雹の禍、腫物の禍、疫病の禍、アブの禍、蛙の禍、ぶよの禍、血の禍などでも判らないほど頑迷なのが背教者である。
背教者は、これほどまでに頑迷だと自覚する必要がある。
初子を殺されても、軍隊を派兵して強制帰国させようとする。
最後は軍隊を水の底で皆殺しにされたけど、反省した描写はない。
要するに、背教者は、ここまで天罰を下されても改心しない思考回路だという証明をするために、神があえて天罰を下したのである。
死後の最後の裁きで「天罰があれば改心していた」などという言い逃れは通用しない。
天罰が判っていたら改心していたという言い逃れの屁理屈は通用しない。
天罰が判っていても改心しないのが背教者だ。
背教者は屁理屈を捏ねる。
聖書を理解する気がない癖に「背教者と言うのは排外的ではないか」とか難癖を付けてくる。
改心した描写がないなら、改心していない。
10人の外人が治療されても、9人は戻ってこなかったから、改心していないのである。
背教者は、上のような天罰が実際にあって、自分や社会や国が受けても反省しないのは確定している。
だから「天罰があれば反省していた」などという言い逃れ屁理屈は通らない。
軍隊を皆殺しにされても反省しないのが判っているから、神は軍隊を、なかなか皆殺しにしない。
一応18万5000の兵を一晩で皆殺しにした事はあるけど。
18万5000を一晩で皆殺しにしたのは、あまりにも神を冒涜したからだろう。
他にも、背教集団のカナン人とかも皆殺しにはした。
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神の信者が不思議な力を使えないのは、不思議な力を使って背教者を罰しても、背教者が反省しないからだ。
軍隊を皆殺しにできる力があって、実際に皆殺しにして罰を下しても、背教者は絶対に反省しないから、軍隊を皆殺しにできる力があっても意味がないのである。
意味がないから、神は、神の信者に、軍隊を皆殺しにする力を与えない。
意味がないから与えない。
ただ、預言者には、兵士を数十人ほど皆殺しにできる力があったけど。
あぶや蛙・疫病の禍の力、初子を皆殺しにできる力を与えても意味はないので与えない。
もし仮に、雹の禍でエジプト人が何人か反省したら、雹を降らせる力を神の信者に与えたのだろうか。
悪魔崇拝の太陽崇拝をやっている人間によって、そういう力は神から与えられなかったのだろう。
特にエジプト人みたいな太陽崇拝の悪魔崇拝をやっている背教者ほど、こういう天罰があっても反省しない傾向が強い。
そういう力を使いたい人は、異世界へ行きたがるけど、そういう力が使えない原因が背教者にある事に、いい加減に気が付いた方が良い。
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背教者は、祈りの時間の数分間すら堪えられない。
背教者は数分間すら我慢できないのだから、一生に渡って我慢して神のルールを守るなんて無理だ。
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背教者は、食料をイナゴに食い尽くされて飢え死にの恐怖になっても、絶対に反省しない。
だから、人々を地獄へ道連れにしたいサタン側は、安心して人々を飢え死にさせるのである。
