時事・正当性なく動く者 世論工作 外人 集団の気分で善悪を決める 雛人形は侮辱・謝罪
1、時事・正当性なく動く者
聖書を解釈する者同士で論争するのは正当性があるだろうか。
聖書には、聖書解釈同士で論争しろなんて書いてない。
むしろ、同じことを言うなら、我々の味方だとある。
マルコによる福音書 9章39節40節 新共同訳
イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。
ルカによる福音書 9:50
イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
どこまで、逆らう相違点があると、味方であり、味方ではないと、判別されるのだろうか。
イエス・キリストの名を言った人が、直ぐ後でイエス・キリストの悪口を言えないから、聖書解釈をする人を、そこまで敵視する必要はないから、味方なのである。
俺は、時宜に適う事を優先している。
箴言 15:23
正しく答える人には喜びがある。時宜にかなった言葉はいかに良いものか。
箴言 25:11
時宜にかなって語られる言葉は
銀細工に付けられた金のりんご。
他の人の解釈については、暇が出来たらやるかもしれない、という程度である。
時事問題がなくなったら、取り組むかもしれない。
その前に、直訳や、外国語の聖書を優先するかも。
本当に暇ができても、やる気が湧かなかったら、やらない程度だ。
俺は、他の人の聖書解釈は、参考にしたり、気になったら名を伏せながら少し言うぐらいで、そこまで集中して関わる事はない。
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自分が発端を時事問題だと定義すると、永久ループしてしまうから、自分の発端を時事問題とは定義しない。
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背教者は、自分が発言した結果を何で調べないのだろうか。
背教者は、どのような根拠で、自分の発言の結果を調べない正当性にしているのだろうか。
今の時代は、AIやエゴサーチがあるのだから、調べる方法はある。
俺は時事問題の方が優先だから、自分の発言の結果は調べない。
聖書に、自分の発言の結果、人々がどのような反応をしたのか調べて、具体的に説明しろ、なんて書いてない。
一方的に、神のルールに基づいて「戒めなさい」「警告しなさい」と書いてあるだけだ。
戒められて反省しないなら、反省しない者が悪いから、反省しない者が地獄へ落ちる、と書いてあるだけ。
説明の仕方が悪いとかは、気にする必要はない。一方的に、ヘタでもいいから、戒めなさい、警告しなさい、という意味なのだろう。
聖書には「上手」に戒めなさい、とは書いてない。
背教者は、自分が発端になっておきながら、キリがないと言って説明責任を放棄する。
こういう無責任な自己中だから背教者なのである。
説明を打ち切るのに、何の正当性があるのか示さない。
自分で始めておきながら、説明を打ち切る正当性がないのに、打ち切る自己中なのが背教者だ。
神の信者なら、一方的に戒めて、何のフォローもしなくても、神が正当性を与えてくれる。
神の信者は、神に「戒めなさい」と命じられたから戒めているのである。
戒めた事で発生する結果は、全て神が責任を取ってくれる。
戒めを受け入れなかった者を地獄へ落としてくれる。
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俺は元々、投稿する気のない方である。
精神が病んでいる10年ぐらい前に投稿したけど。
精神が病むと、絶対にやらない行動をやるようになる。
自分の精神的な窮状を知ってほしくて投稿したのだと思う。
元は投稿する気がないから、何で、他の人は自分から投稿するのか、判らないから、割と純粋に知的好奇心で疑問に思う。
俺の自己中な親も、特に発信する価値のあるモノもないのに、投稿するから、なおさら、そう思う。
趣味、仕事の経験、仕事の広告、人の役に立つ事とかを語るなら判る。
しかし、そういうのが特にないのに、なんで投稿するのか判らない。
そういう訳で、他人の投稿を読む時は、なんで、この人は投稿するのだろう、という疑問が湧く。
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「お前が始めた物語だ」と悪魔崇拝のセリフだから、お前が発端だろうが、にしておく。申し訳ありませんでした。
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俺は元々、自分の発言の発端になったら、最後まで責任を持って説明し続けないといけないと思っている。だから、説明責任が嫌だから、投稿しなかった。
しかし、聖書では、戒めるだけで、それ以上は何もする必要がない。
だから、安心して、戒めの投稿をする。
もし、聖書で、発言の責任を最後まで取らないといけない、と書いてあったら、俺は投稿していなかった。
責任を取りたくないからだ。
しかし、神は、そんな責任を取らなくてもいい、と言っているも同然だから、俺は安心して投稿したのである。
神に命じられて投稿しているから、仕事みたいなモノだ。
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旧約聖書のダニエル書の悪人たちも、一応は法的な根拠(正当性)を作ってから悪行をやった。
しかし、新約聖書のファリサイ派は、法的な根拠もなく悪行をする。
ウザは、法的な根拠もなく、善意で聖櫃が倒れないように触れたから、死刑になった。
善意だろうとルールで許されていない事をやったら死刑にする。
何の根拠もなく発言や書き込みをしている背教者たちは、いったい、どのような思考回路なのだろうか。
警察は、法的な根拠がなければ動けない。
根拠の勉強をしない人間は、神に立ち返るのが難しいのだろうか。
俺は、中国古典の法家や、大学で法学を勉強したから、何事も言動には根拠や正当性が必要だと判っているから、神に立ち返るキッカケを掴める可能性が、他の人たちより高かったのだろう。
ダニエル書の悪人たちは、獅子に食い殺される死刑になった。
ファリサイ派は、生前から地獄へ落ちると神イエス・キリストによって決定された。
まだ、ダニエル書の悪人たちの方が、一応、法的な根拠に基づいて行動しているから、救われる可能性は残っているのだろう。生前で地獄へ落とすと決定されたわけではない。
旧約の時は悪人でも根拠に基づいて動くけど、新約になると悪人は根拠なく悪行をするようになった。
だから、今の時代の悪人も根拠なく動く。
根拠(正当性)なく動く人間が悪人とも言える。
時事問題の材料になるから、俺は時宜に適う言葉が言える材料が手に入るようになるけど。
2、世論工作
世論工作をする者は、根拠のないうわさを流す悪行しているのに、日銭しか稼げない。
体力があるのに、恒常的(安定的)で人の役に立つ技能を身に付ける気がないのか。
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体力があるなら、稼ごうと思えば、年収400万円ぐらい稼げる時点で、世界の上位1%以内に入るから、上流階級である。
実際に400万円を稼いでいるかどうかではなくて、体力と知能と国籍などに恵まれていて、稼ごうと思えば稼げる時点で上流階級なのである。
「上流階級に生まれて体力と才能もあるけど、やる気がないから年収が100万円なら、庶民か?」という話だ。
先進国で「金持ちVS庶民」などというのは、要するに上流階級同士・金持ち同士で利権争いをしているだけである。
世界レベルで見れば上流階級なのに、自分を庶民だと錯覚する。
自分の都合で庶民になったり、貧困国を見下したりする背教者。
基準がコロコロ変わる。
こういうのを世論工作という。自己欺瞞タイプ世論工作である。
自認と現実が乖離している。
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体力がないと、本当に何もできない。
3、外人
「外国人の犯罪が毎日のように起きている」なんて言っている世迷言。
日本人による犯罪も毎日、起きている。
4、集団の気分で決める善悪
神の信者なら聖書のルールで善悪が判るけど、背教者はどうやって善悪を区別しているのだろうか。
何か根拠があるのだろうか。
自分が嫌なモノを悪と決め付けるのか。
「殺されたら嫌だろう」と言われても、それは個人が嫌なだけであって、善悪とは全く関係がない。
好き嫌いと善し悪しは違う。何の関係もない。気分と善悪ぐらい違う。
好き嫌いと善し悪しを区別しないのは、無分別と言って神に忌み嫌われるモノだ。
背教者は、何の関係もない事を関係があるかのように、すり替える。
なぜ自分の気分で善悪を捻じ曲げるのか。
人々の気分でイチイチ善悪がコロコロ変わってたら、まともな人生設計が出来ず、不安定な人生になる。
例えば、将来、人々が人生に絶望する社会になって、死にたいから安楽死で殺すのが法律で義務になったら、殺したくなくても殺さないといけないのか。
そもそも、聖書では、他人を殺してはいけないのであって、殺されてはならない訳ではない。
神の名によって殉教で殺されても、それは天国へ入れるから問題はない。
加害者も、後に反省して神に立ち返れば、天国へ入れるから、神の信者なら一緒に天国で暮らせる事を喜ぶ。
加害者は、反省しないなら、地獄へ落ちて焼かれ続けるか魂を消される。
聖書では、肉体しか殺せない者を恐れるなと書いてある。
5、雛人形は侮辱・謝罪
雛は、自分が騒いだせいで兄弟姉妹が食われても知らん振りとは書いたけど、どの動画だったか忘れた。
騒いでないかもしれない。申し訳ありませんでした。
しかし、兄弟姉妹が食われても知らん振りなのは、そのままだけど。
雛人形は、サタン側が人々に対して「お前らは、兄弟姉妹や同胞が食われても、知らん振りか、気付いていない」という侮辱メッセージである。
