父が、ほんとうに死んでしまう気がして
先日、2年半前に父から送ってもらった書類の封筒から、父が同封してくれていた一万円札を見つけた。
去年の6月に亡くなった父。
父の死後1年経って受け取った、父からの送金。
その一万円札を、明日の精神科受診のタクシー代に崩そうかどうしようか迷っている。
ほんとうは、崩したくない。
その一万円は、ただの一万円ではない。
父がわたしにくれた愛情。
わたしはその一万円札を、崩したくない。
ただのお金。
お金は、必要なときにつかうものだ。
けれど、その一万円札を崩すと、父がほんとうに死んでしまう気がして。
何言ってんの。
お父さん去年死んでるよ。
けれどわたしは、どうしても、その一万円札を崩したくない。
明日は大雨。
線状降水帯が発生するという予報。
そしてわたしは今、ぐったりしている。
診察に、タクシーを使うべきか。
使ったほうがいい。
けれど、わたしは父からの一万円札を崩したくない。
やっぱりなるべくバスで行こう。
ものすごく疲れ果てて帰ってくるだろう。
けれど、3日もすれば疲れは抜けるだろう。
バスで行けば、今月食いつなげる。
バスで行こう。
父への思いは、愛情、感謝、それだけではない。
父へのネガティブな気持ちもまた、わたしの中には確かにある。
けれど、その一万円札を崩したくない。
そうしたら、父がほんとうに死んでしまう気がして。
