素人ココロ考察・57・仕事
父母&子供時代のわたしとオサラバ、さあ前を向こう、自分の人生を生きよう。
…そこまではよかったのだが、ハテ、東京に戻って、仕事をどうしよう。
母の『自由』願望を代理で背負ったわたしは、今まで自由気ままに仕事を選んで生きてまいりました。
わたしは世間的には就職氷河期と呼ばれる世代のようですが、就職を考える頃にはすでに浮き世離れしていたことと、高校卒業後は美術系の専門学校に2年通ってボサーと過ごしていたので、切迫感がまったくなかったのであります。
壁画が描きたいと思って銭湯に電話してケンもホロロに断られたり、宝塚の裏方のバイトをしたり、スキー場に住み込みバイトに行ったり、能登に公園つくりの手伝いに行ったりと、面白そうと思うことを興味の向くまま、もぞもぞしていました。
それから男性性優位?だったのと、ちょうどその頃ガテンという求人誌があらわれ、塗装工になりました。3年で辞めました。
その後、特殊塗装の会社に入り、辞めて、仙台に公園つくりの手伝いに行き、富山県高岡市に漆塗りを習いに行き、その後、補修屋というニッチな職業につきました。
おおむねブルーカラーであったのと、今から比べれば社会にまだ余裕があり気前がよいユルい時代だったので、それなりに稼げていたのはラッキーでした。
貧乏暮らしを楽しむ術を標準装備で生まれてきたのもラッキーでした。
それにしてもなんというフラフラっぷりでありましょう。
無責任に中途半端に食い散らかして、30歳から始めた補修屋さんが結局人生で一番長く続いた仕事でした。
44歳で個人事業主となり、そのスキルを使って山に引っ越してから飛び込み営業でご縁をいただき、山で2年、補修のお仕事をいたしました。
しかし『インボイス制度』が立ちはだかり、そして東京で再び同じ仕事に戻りたくなかったわたしは補修はもう辞めようと決意したのであります。
インボイスの峠を越えられなかったのでございます。個人事業主としての覚悟が足りませんでした。無責任で中途半端がだだもれです。
それで、仕事、どうしよう。
ここで、わたしがいかにぶっ壊れているのかが、また違った角度から表出してまいりました。
母の代理の『自由』の影響下で、ふわふわと根なし草状態であった自分に、今さらながら気がついて毎度おなじみ愕然です。
社会性の無さに続き、ホントよく生きてこれたな。
母の影響下を抜けたわたしにとっての【自由】は、ふわふわではなく、むしろ非常に硬質でずっしり重いものとして感じられました。
母の代理の『自由』は無責任でいられたのですが、これからわたしが目指す【自由】は責任と覚悟がともなうようであります。
そう、無責任で根なし草のフーテン人生で、わたしは50余年を溶かしてしまったのでございます。嗚呼!取り返したい!!わたしの時間を返せ!
嘆いてもムダでございます。
ふりだしに戻る……すごろくとはモノスゴい残酷な機能を持ったゲームでありますが、わたしの人生において『ふりだしに戻る』は、まあまあの頻度で起きました。むしろ自分で起こしていました。
そういえば【気づく】ってちょっと『ふりだしに戻る』に近いところがあるように思います。
気づいたからにはふりだしに戻る・ふりだしに戻らねばならない、といったカンジでしょうか。わたしの場合はそうであります。
かっこよく言うと【破壊と再生】ですが、現実はただ徒労感に襲われ、のたうちまわるばかりでございます。
それを乗り越えてはじめて【再生】に至るわけで、だいたい【破壊】を味わって悶絶をしていることが多いのであります。
わたしは【自由】というかっこいいお題を手にしましたが、自分がそれに見合っていない現実の前で途方に暮れました。悶絶です。
つづく。
