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あなたにとって、「子ども」とは何ですか?


あなたにとって、「子ども」とは、どのような存在でしょうか?


手がかかるが、愛おしい存在?

言うことを聞かない厄介者?

かけがえのない存在?


我が子に対する想いというのは人それぞれであり、皆、各々の想いがあるかと思いますが、そもそも「子ども」とは、なんなんでしょうか?


これ、明確に答えられますか?

昔の僕は、「子どもは子どもだろ」程度にしか捉えていなかったので、昔の僕には答えられなかったと思います。


人によっては、「私の生き甲斐」とか、何かしらの答えを持っている方もいるかもしれませんね。


ひきこもりの相談で、ついて回るのが、『親と子』というものです。

「ひきこもり」というのは、見ようによっては、親を苦しませる厄介な存在であったり、子どもさえ、「ひきこもり」にならなければ、家族は幸せだったのかもしれない。

子どもを授かり、ある時、子どもがひきこもりになる子がいれば、ならない子もいる。

何かしらの障がいを持った子を授かる人もいれば、そうでない人もいる。


そう思うと、「じゃ、子どもってなに!?」ということにもなってきます。


今回は、この、「子どもって何!?」の、そもそも『子どもとは何か?』について、触れていこうと思います。

この手の話は、人によっては、受け入れられないものだったりと、賛否両論あるものだと思いますので、あくまでも、僕個人の解釈として捉えていただけると幸いです。



よく映画などで、出産後、我が子を抱きかかえた時や、子どもの寝顔を見て、「まるで天使のようだ」って、子どものことを『天使』に喩えられることがありますが、それは、なぜだと思いますか?


可愛いからでしょうか。


天使というのは、赤ちゃんに羽が生えているイメージがあるので、映画とかでも、そういった表現をしていたり、一般的にも、そういった可愛らしいイメージが強いので、可愛いからだと思っている人も多いかと思います。

宗教的な考え方だと、『天使』というのは、神の使いとして、啓示をもたらす存在なんだそうです。その啓示というのは、その人に危険を知らせ、守護することもあれば、成長のための課題や試練を与えることもあるんだそうです。


このような視点から、天使に喩えられる「子ども」という存在をみた時、子どもというのは、親や大人に必要な課題や試練を与える存在なのではないでしょうか。


子どもとは、親や大人に必要な課題や試練を与える存在。という視点でみてみると、いろいろと合点がいく点が多くあります。


まず、代表的なことで言えば、親として、子どもに何かを伝えたい時や、大事なことを教えたい時、ただ一方的に伝えるのではなく、「どうしたら、この子にちゃんと理解してもらえるか」を考えるかと思います。


これって、相手の目線にいかに立つか、相手の分かる言葉でいかに伝えるかが試される瞬間だと思います。


もうある程度の常識や、道徳的なものがわかっていたり、同年代が相手だったりすると、「伝わって当然」とか、「人の話をちゃんと聞けて当たり前」的な先入観が入ることで、相手の目線にいかに立つか、相手の分かる言葉でいかに伝えるかというものを意識しなくても出来てしまうことがありますが、

この、相手の目線にいかに立つか、相手の分かる言葉でいかに伝えるかって、本来あるべきコミュニケーションの形とも言えるものではないでしょうか。


また、子どもの成長のために「見守る」というのも、我が子のことにしても、他者との関わりの中でも、相手への思い入れが強ければ強いほど、一線を超えて口や手を出してしまいがちです。

「見守る」というのも、相手の成長のために、一線を超えない訓練という捉え方が出来るのではないでしょうか。



自分の身に降りかかっている出来事に対し、自分の子と、他の子と比べたり、同じ親と比べて、「なんで私がこんな思いをしなければいけないのか!?」といったこともあるかと思いますが、

それもまた、その人にとって必要な課題や試練なのではないでしょうか。


それに、「天使」というのは、その人には乗り越えられない課題や試練は与えないとも言われているので、子どもを通じて巻き起こる問題などで、どんなに理不尽と思えることも、それは、その人だからこその試練や課題であって、他の人では、とても耐えられないものなんだそうです。


しかし、

子どもとは、親や大人に必要な課題や試練を与える存在。

とした時、ある疑念が浮上してきます。

事故や病気など、予期せぬ形で早くに子どもを亡くした人も、それも、その人の課題や試練になるのかというものです。


事故や病気など、予期せぬ形で子どもを失う方が世の中にいるのは確かですし、どんなに気を配っていたとしても、どうすることも出来ない、親の力が及ばない事もあるのも事実です。


すごく嫌な言い方に聞こえるかもしれませんが、これもまた、その人に与えられた課題や試練だと僕は思っています。


早くに事故や病気など、予期せぬ形で子どもを亡くしてしまう方というのは、その事実をどのように受け取り、子どもの死をどう扱うかで、その人の人生も変わってくると思います。


何年か前に、電◯の女子社員が、過労による自◯をしたことで、大手企業の内情というものが明るみになり、「会社組織としての在り方」や、「働き方」というものを考え直す機会があったかと思います。

そういった動きになったのも、その親が動いたからこそ、社会や組織の闇が明るみになった瞬間だと思いますし、大きな病気などで子を早くに亡くした方が、同じような悩みを持つ方の支援活動を始めたりと、子どもの死を通じて、その人の使命や役割を担う方がいたりもします。


ある話では、子どもは、どの親の元で生まれるか、予め決めて、その人のお腹に宿るという話があります。

子どもとは、親や大人に必要な課題や試練を与える存在。という視点で見てみると、子どもというのは、予め、その子が担う使命や役割があって、その親の元にやって来るのではないかと思うのです。


あなたはどう思いますか?





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