TOYOTAのWebCMから学ぶ、「ひきこもり」解決の道
以前、たまたま目についたトヨタのWebCM内のやり取りを見ていて、CMの中身は、「ひきこもり」とは何の関係もないんだけど、「ひきこもり」という問題と向き合う上で、なかなか興味深い内容だったので、このWeb CMを見ていて僕が感じたことをシェアしたいと思います。
※Web CMは、記事の一番下に載せてあります。
CMの内容は、煽り運転をした側とされた側、双方に、記者たちが囲み取材を行うというもの。
はじめのうちは、煽った、煽ってないの、双方どちらも引かないやり取りが続くのですが、だんだんと、なぜ先を急いでいたのか、なぜ車線変更をし、道を譲らなかったのかの理由が明らかになってきます。
「道を譲らなかったのはなぜですか?」「一般道でも追い越し車線を走り続けるのは、違反だとご存知でしたか?」という記者の質問に対し、煽られたと主張する運転手の返答は、
「煽られたからって、道を譲ったら負けたみたいじゃないですか!!」
と、声を大にして訴えるんですね。
ぶっちゃけた話、「譲ったら負け」って、一体何と戦ってんだ!?って話なんですが、これ、「ひきこもり」という問題でいうと、
「子どものひきこもりを認めたら負け」という、親の主張と全く同じなんですよね。
ひきこもりの相談でも、どんなに、今の子どもの状態を、自身の経験も踏まえ伝えても、聞く耳を持たない、子どもの今の心境や心情を認めようとしない方は本当に多いです。
こういった方がなぜ、こうも頑なに子どもの今の状態を認めないかというと、『ひきこもりというものを認める=ひきこもっている状況を許す』ことだと思っていて、これに許可を与えたら、親として何もできなくなるという恐怖心からなんでしょうね。
こういった、現状を認めることができない方の多くは、僕が推察するに、『ゆるす』という言葉には、それぞれに意味があることに気がついていないんだと思います。
「ゆるす」という言葉には、『許す』、『赦す』、『恕す』の3つの「ゆるす」があります。
一般的に多く使われているのは、こちらの『許す』が多いですが、これらの3つの「ゆるす」はそれぞれ意味合いが違います。
この「ゆるす」の違いを調べてみると、以下のものが出てきました。
許す・・・これから行う行為を認めること。
赦す・・・すでに起こった行為の失敗を責めないこと。
恕す(じょする、ゆるす)・・・思いやりの心で罪や過ちを許し、相手の思いを図ること。
我々が普段使っている『許す』は、今やこれからの行いなどに許可を与える『許す』なんで、言い方を変えると、「ダメなものもやっていいよ」という意味になります。
『赦す』『恕す』は、僕の解釈で言い表すと、「罪を憎んで人を憎まず」で使われる『赦す』『恕す』なんですよね。(国語の先生や、文字や言葉に詳しい方でこの解釈が違っていたらご指摘ください。)
もっと噛み砕くと、こっちの『許す』は、その人の行いや、その人が起こした、または、これからやろうとする『出来事に対して使われるもの』で、
こちらの『赦す』『恕す』は、その人の『存在に使われるもの』なんですね。
この「恕す、赦す」という概念は、本当に奥が深く、人生の中でも最も難しいとされることの1つとされています。
これを読んでいるあなたが、子どものひきこもりを認められずにいるのであれば、「何をゆるせないのか」、自分自身に問うてみる事をお勧めします。
さて、話をWebCMに戻すと、
双方の主張が続く中で、煽ったとされる方が先を急いでいた理由と、煽られたとされる方が、ゆっくり走っていた理由が明らかになります。
「そもそも、なぜあんなに急いでいたんですか?」という記者の質問に、
「病院から電話があって、おふくろが・・・おふくろが・・・」と、涙ながらに理由を口にします。
そこに、煽られたと主張してた方が、ハンカチを手渡すのですが、その方のポシェットに、妊婦である事を示す、マタニティマークのキーホルダーがついていることに記者が気づきます。
先を急いでいた運転手もそれを目にし、ハッとするんですね。
双方の運転手は、自分本位な運転をしていたことに気が付くんですね。
このWebCMから学べることは、相手の立場になって考えてみる視点を持つことの大切さを教えてくれています。
これは、「ひきこもり」という問題も同様です。
「ひきこもり」のことで悩みを持つ親の中には、「なぜひきこもりになったのか」、その原因を特定しようとする方をよく目にします。
イジメにあったのか、勉強や仕事についていけないのか、職場や学校の人間関係に問題があったのかなど、こういった原因を特定することで、問題解決の糸口を見つけようとするのも一つの手なのかもしれませんが、
まずは、ありのままを受け入れることが重要なのではないでしょうか。
子どもが、なぜひきこもる事態になっているのかの理由を口にしないからといって、憶測で原因を特定しようとしても、それはあくまでも憶測であって、憶測で子どもに共感しようとしても、それが的外れであったり、ズレていれば、親としての信用を失いかねません。
「ゆるす」について、上述しましたが、許可を与える『許す』は、正直いって誰にでも出来ることです。その行いや出来事、これからやろうとしている事に目を瞑ったり、見ないように、知らないふりをすれば良いわけですからね。
ですが、こちらの『赦す、恕す』は違います。
この2つの「ゆるす」は、愛からなるものであり、さらに言えば、『赦す、恕す』が出来る人ほど、人としての器の大きさや、人としての質など、より高い次元にいる人なんだろうなと僕は思います。
そして、人間関係において、我々が無意識に求めているのは、こちらの『赦す、恕す』なのではないでしょうか。
本日は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
〜追伸〜
今回取り上げたWeb CMはこちらです。
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