私のクリエイター名「けっせ」の由来と、94歳の父がくれた不思議な愛の言葉
私がNOTEで使っている「けっせ」というクリエイター名。
少し不思議な響きですが、これには私の大切なルーツ、そして今年で94歳になった私の父との、温かい記憶が隠されています。
今回は、私の名前のひみつと、自分の好きなことを貫いて命を紡いできた父のお話をさせてください。
「けっせかぼのて、よよいのよい」
私の父は、今年で94歳になりました。
子どもの頃の記憶をたどると、父はいつも自分の好きなことばかりしていて、ほとんど家にいなかったように思います。世間でいう「マイホームパパ」とは、少し違うタイプの人でした。
そんな父が、たまに家にいて、ご機嫌なときに決まって歌うように口にする、独特なフレーズがありました。
「けっせかぼのて、よよいのよい」
「けっせ」が私で、「かぼのて」が私の妹。
どうして父が私たちをそう呼んだのか、その理由は今でも分かりません。
けれど、めったに家にいない父が、私たち姉妹を同時に呼ぶときの嬉しそうな掛け声。この言葉を聞くと、幼少期のあたたかな空気感が今でも鮮やかによみがえるのです。私にとって「けっせ」は、父からもらった世界に一つだけの愛の言葉でした。
そんな父の人生の背景には、たくさんの苦労と、家族の歴史がありました。
売られた田んぼと、独特な歩き方
幼い頃の父は、右足が悪かったそうです。
祖母(父の母)に連れられて遠くの病院へ何度も通ったものの、なかなか良くならなかったといいます。
その道中、たまたま知り合った人に足をさすってもらうと、するすると悪いものが体から出ていった……父からは、そんな不思議な昔話をよく聞かされました。
父の医療費のために、実家は田んぼを売ってかなりの大金を使ったそうです。
さらに、体が弱かった父を母親が特別にかわいがったことで、他の兄弟からは反感を買い、関係は決して良くなかったと聞いています。
足が悪い父の歩き方は独特でした。
子どもの頃の私は、その背景にある家族の葛藤や苦労も知らず、ただ面白がって父の歩き方を真似したりしていました。
父が繋ぎ続けた、目に見えない絆
兄弟との間に複雑な事情を抱えていた父。
ですが、私が知る父は、そんな素振りを周囲にまったく見せませんでした。
あちこち飛び回って家にいない父でしたが、私を連れてよく親戚の家を訪ねていましたし、どんなときもお墓参りだけは必ず欠かさずに行っていました。
父の母親(私の祖母)は、若くして亡くなったそうです。
私も祖母のことは覚えておらず、写真と父からの話でしか知りません。そんな祖母の最期は、お風呂で倒れてしまったことだったといいます。
「お前は、おばあちゃんに似ているな」
父から何度かそう言われたことがあります。写真でしか知らない祖母の面影を、父は私の中に見ていたのかもしれません。
父自身も「瞬間湯沸かし器」のようにカッとして頭に血が上りやすい性格。だからこそ、祖母のことが頭にあるのか「カッとして倒れないように気をつけている」と話していました。
「太く短く」のはずが、気づけば94歳
血圧が高くて薬を飲んだり、救心を飲んだり。
決して「健康に気を遣う優等生」ではないのに、気づけば94歳。
昔の父を見ていて、私はいつも「この人は『太く短く生きられたら、それで悔いはない』と思っているんだろうな」と感じていました。周りに合わせるよりも、自分の地で行く覚悟のようなものがあったからです。
「太く短く」のはずが、誰よりも「太く長く」生きているのだから、本当にすごいですし、なんだか父らしくて笑ってしまいます。
家を空けてばかりで、自分の好きなように生きる。そのストレスのなさと、自分の心に正直に生きることこそが、究極の長寿の秘訣なのかもしれません。
「けっせ」として、言葉を紡ぐ
色々あった人生だと思う。
それでも、親戚を大切にし、お墓を守り、家にいるときは私たち姉妹を「けっせかぼのて」と愛おしそうに呼んでくれた父。
自分の好きなことを貫き、94年という歳月を堂々と紡いできた父の生き様には、どこか潔さすら感じます。その人生に、心からの拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。
お父さん、私、今でも「けっせ」として、毎日を自分らしく大切に生きているよ。
父がくれた温かい名前と、その自由でまっすぐなエネルギーを少しだけ受け継いで、これからもこのNOTEの街で、大切な言葉を紡ぎ続けていきたいと思います。
