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12:30を手放したら、12:10が来た

前回の記事の続きになりますが、今回の話は教頭先生との電話のやりとりからの流れになるので、内容的にはこちらと繋がっています。

https://note.com/modern_fox3906/n/nf2eb94614ac8

退職後、最初の登校日となった12月1日。
いつも通りサポートルームに子どもと登校した。

私は、前々日に教頭先生と電話でやりとりした中で、ひとつ気になっていたことがある。
サポートルームの先生は、本当は12時15分に部屋を出なければならなかったのだろうか。

それは、教頭先生と話して初めて知った時間だったからだ。

私は仕事の日は12時30分に学校に行っていたが、仕事以外の日は12時15分に行っていた。
私なりに、先生が12時30分で退勤できるよう配慮して設定していたつもりだった。

思い切って、先生に声をかけてみることにした。

「Y先生、前々日に教頭先生とお電話でお話ししたときに、本当は12時15分に部屋を出てくださいとお願いされているとお聞きしたんですが……」
と切り出すと、

「えぇ、まぁ……」
と、歯切れの悪い返事が返ってきた。

「言わないようにしていたのに」と受け取れるような表情で、少し気まずそうだった。

Y先生は、私が早めに行っても、いつも12:30まで息子と一緒にいてくれた。

切り替えが苦手な息子は、「もっと一緒にいたい」とほぼ毎回駄々をこねていたからだ。

先生が帰る間際に、クイズを出したり、漢字を書いて見てほしいと言い出したり、走り回ったり、あの手この手で先生を引き止める。「じゃあ、これで最後にしようね」と言っても、また次から次へとキリがない。

私は、先生の退勤時間が気になって仕方がないので、息子に
「Y先生は帰らないといけない時間なんだから。お母さんが来たら、さようならなんだよ」と伝える。
けれど、息子は「もっといてほしい」と聞かない。

駄々はこねていても、頭ではわかっている。
先生は、給食の時間は一緒にいられないことを。
それでも、気持ちが引き止めるのだろう。

ギフテッドの息子は、世の中のルールや正しさよりも、自分が納得できるかどうかを大事にする。
その性格を知っている私は、「これでは確かに納得できないよなぁ」とも思う。
ただ、毎回どこまでも追いかけていこうとする息子を引き留め、諦めさせることは、なかなか骨の折れることだった。

先生がいなくなった後は、すっと切り替えができている息子の姿を見ている私としては「それじゃあね」と割り切って部屋を出て行ってくれた方が切り替えできるのになぁと思ったりもしていた。

ヒヤヒヤしながら「先生、大丈夫ですか?」と聞く私に
「特別用事があって急いでいる時じゃなければ、大丈夫よ」といつも答えてくれていた。

それでも私は、毎回ありがたさと申し訳なさが入り混じった気持ちでいた。
けれど、少しずつ言葉を交わすうちに、この先生は“退勤時間を厳密に守ること”よりも、目の前の子どもの状態や、その日の流れを大切にしている人なのだと、伝わってきた。

Y先生は、息子が登校できるようになったきっかけの先生。
私は恩を感じていた。

「Y先生、今日からお迎えは、12時15分に来ます」

そう伝えると、Y先生は一瞬言葉を探すようにしてから、
少し申し訳なさそうに口を開いた。

「お母さん……12時10分でも、いいでしょうか」

12時15分に部屋を出るには、
息子がすぐに気持ちを切り替えられないことを踏まえると、
もう5分ほど余裕が必要だ、という判断なのだろう。

私は少し間を置いてから、
「はい、大丈夫です。では、12時10分に来ます」と答えた。

返事が少し遅れたのは、疲弊していた私が、子どもと離れていられる時間を無意識に引き延ばしていたからだった。

するとY先生は、事情を共有するように、はっきりと続けた。

「最近、上が結構うるさいみたいなんです。
出勤と退勤をシステムに打刻していて、
1分単位で管理されているんですよ」

その言葉には、Y先生個人の判断ではどうにもならない事情が、にじんでいた。

私とY先生は、仕事内容こそ違うが、同じ市内でサポート支援に入る職種という点では、立場や扱いは同じである。

私は、勤務時間のことで、校長先生にこまめに相談していた。その中で、一律で出勤管理は行われているものの、現在この取り組みの主な対象は正規職員であり、臨時職員にはまだ本格的には及んでいない、ということを知っていた。

この出勤管理システムが始まったのは、2ヶ月前の10月から。まだ運用が固まりきっていない、過渡期の取り組みでもある。

同じ市内で働いていた私には、息子が通う小学校も、おそらく同じ状況なのだろう、という想像はついた。

形式上は、どの小学校でも臨時職員の出勤は管理されていることになっている。けれど、その運用の実情は、校内でも管理職だけが知る情報で、公に共有されているものではない。

そうした事情を、私は偶然にも知ってしまっていた。

だからこそ、この場でY先生に何かを伝えることは、できない——そう判断した。

この日を境に、私は12時10分に迎えに行く生活が始まった。

それまでは、仕事がない日は12時15分に迎えに行っていた。たった5分の違いだし、私にとっても、息子にとっても、それほど大きな差ではない——その時は、そう思っていた。

けれど、息子の感覚時計は、その5分の早さを正確に感じ取っていた。
12時05分や12時08分に迎えに行くと、「今日、早いよ!なんで早いの!もっと遅く来てよ」と怒る姿があった。私が来たということは、先生と別れる時間だという合図になるのだ。「少しでもそばにいたい」と思うのは、無理もない。

そこで私は、12時10分ちょうどに部屋に入ることにし、それまでは車の中で待つようになった。

ただ、来客用の駐車場は日によってすぐに満車になる。
長く車を停めていると、他の利用者の妨げにもなる。そのため、12時05分に駐車場に着き、12時08分に車を降り、12時10分にサポートルームに入る、という行動が定着していった。

この時間の拘束は、思いのほか、数回で私の心を削っていった。

短時間登校の息子が学校に行っている間にできることは、ほとんどない。

かろうじてスーパーで食料を少し買い足すことはできても、すぐに家に戻って片付け、30分も経たないうちに、また家を出なければならない。

役所での手続きや相談ごとには時間が足りず、時計を気にせずに済む予定は、基本的に何も入れられなかった。

家にいても、11時半を過ぎたあたりから、時間ばかりが気になって落ち着かなくなる。

「12時10分でいいですよ」と答えたときには、こんな気持ちになるとは想像もしていなかった。

これは、いったい何のための時間なのだろう。

息子の小学校の管理職の先生のためだろうか。

仕事を辞め、金銭的な不安が頭をよぎる中で、このさらなる時間の拘束と給食の付き添いは、私の精神的な疲弊を確実に加速させていった。





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