人生にリセットボタンはないが、コンティニューは無限にあるという話

リセットボタンを探す人間の愚かさについて

「人生やり直したい」

この言葉ほど、無責任でありながら誠実な感情表現もないやろな。誰もが一度は思う。
ワイも思ったことある。朝起きて「あ、昨日のプレゼン大失敗したやつ、夢であってほしい」とか。

でもな、現実ってやつは非情で、ベッドから出たら昨日の続きがそこにある。上司のLINEが未読で光ってる。あれは夢やない。

人間ってのは本質的に、「最適解病」にかかってんねん。

受験で第一志望に落ちたら
「あのとき数学をもっとやってれば」。
恋人にフラれたら
「あのとき別の言葉を選んでれば」。
会社をクビになったら
「あのときもっと上司に媚びてれば」。

全部な、「正解があった」前提で語ってる。
でもな、ここで一つ教えたろか。

人生に正解なんか、最初からない。
あるのは「選択の連鎖」と「その結果」だけや。

で、その結果が気に入らんかったら、人間は「あのときの選択が間違ってた」って考える。
これ、論理的には正しいように見えるけど、実は最悪の思考の罠やねん。

なんでかっていうと、「間違った選択をした自分」を責めるループに入るから。
でな、この自己批判ループってやつ、マジで生産性ゼロや。何も生まん。ただ自分を削るだけ。

「リセットボタン」を探す行為ってのは、つまりこういうこと。

「今の自分を全否定して、過去に戻って、正解ルートを歩みたい」

でもな、これって裏を返すと、
「今の自分には価値がない」
「今までの努力は無駄だった」
って言うてるのと同じやねん。

これ、本当に怖い話でな。
あのな、お前が今こうして生きてるのは、お前が過去に選んだ選択の積み重ねの結果や。それを全否定するっちゅうことは、今のお前自身を全否定するっちゅうことやねん。
それ、ほんまに望んでることか?

コンティニューの本質は「継続」ではなく「再開」である

ここでな、よくある勘違いをぶった切らせてもらうで。

「人生は続けることが大事」
「諦めなければ夢は叶う」
「継続は力なり」

はいはい、わかったわかった。耳タコや。

でもな、これ全部、嘘ではないけど不誠実やねん。なんでかって?
簡単や。「継続できる状態」を前提にしてるから。

人間ってのはな、継続できんときがある。
いや、むしろ継続でけへんときの方が多い。

仕事で心折れる。恋愛で傷つく。友人に裏切られる。親と喧嘩する。金がなくなる。体調崩す。メンタルやられる。SNSで他人のキラキラした人生見て病む。

こんなん、日常茶飯事や。

で、そんなときに「継続は力なり!」とか言われてもな、「いや、もう無理やねん」ってなるやろ。当たり前や。人間やもん。

だからな、コンティニューってのは「継続」やなくて「再開」の話やねん。

これ、めちゃくちゃ重要なポイントや。

ゲームでいうたら、やられて画面に「CONTINUE?」って出るやん。あれ、「そのまま続けろ」って言うてるんちゃうで。
「一回やられたけど、もっかいやる?」って聞いてるんや。

つまり、一回止まってええねん。

むしろ、止まらなあかんときもある。全力疾走しすぎて足攣ってるのに「走り続けろ!」とか言われても、そら倒れるわ。

でもな、止まったあとに、「もっかいやる?」って自分に聞いて、「まあ、やるか」って思えたら、それがコンティニューや。

ここでもう一つ、核心をえぐるで。

「再開」には、タイミングの自由がある。

すぐに再開せんでもええ。一週間後でもええ。一ヶ月後でもええ。一年後でもええ。十年後でもええ。

ただし、条件が一つだけある。

「自分で再開ボタンを押すこと」

これだけや。
誰かに押されるんちゃう。自分で押す。
これが全て。

「走り続けろ」の呪いと、歩いてもええという真実

現代社会ってのはな、異常なまでに「走ること」を強要してくるねん。

学生時代は「勉強しろ」。
就活では「自己研鑽しろ」。
社会人になったら「スキルアップしろ」。
結婚したら「家庭を守れ」。
子供できたら「良い親であれ」。
老後は「健康でいろ」。

で、いつ休むん?

これ、誰も答えてくれへんねん。
なんでかっていうと、システム側は人間が休むことを想定してないから。

資本主義ってのはな、「成長」を前提に設計されてる。GDP上がれ、売上伸ばせ、生産性高めろ。全部、「増やす」話や。「維持する」「休む」「減らす」は、基本的に悪とされる。

でもな、人間の体と心は、資本主義のルールで動いてへん。

疲れたら動かれへん。傷ついたら立ち上がられへん。悲しかったら笑われへん。

当たり前やろ?でも、社会はそれを許さへん

「疲れてても頑張れ」
「傷ついても立ち上がれ」
「悲しくても笑え」

これ、全部暴力やねん。気づいてる?

「走り続けろ」っていう言葉の裏にあるのは、「立ち止まった時点でお前は負け組や」っていうメッセージや。

でもな、ここでワイが言いたいのは、

歩いてもええねん。匍匐前進でもええねん。四つん這いでもええねん。

大事なのは「前に進んでる」ことちゃう。「自分の意志で動いてる」ことや。

他人から見たら止まってるように見えるかもしれん。でも、お前の中で何かが動いてたら、それは「進んでる」んや。

例えばな、鬱で三ヶ月間ベッドから出られへんかった人間が、ある日「今日はカーテン開けてみよ」って思って開けたとするやん。

これ、周りから見たら「たかがカーテン」や。でも本人にとっては、エベレスト登頂やねん。

そういう微細な前進を、誰も評価してくれへん。SNSには載せられへん。履歴書にも書かれへん。

でもな、それこそが人生の本質やねん。

誰にも見られへん、誰にも評価されへん、ただ自分だけが知ってる「小さな一歩」の積み重ね。
それが、生きるっちゅうことや。

ゲームオーバーとゲームセットの決定的な違い

ここでな、もうちょっと踏み込んだ話するで。
人はな、「失敗=終わり」やと思いがちや。

受験失敗したら人生終わり。
就活失敗したら人生終わり。
結婚失敗したら人生終わり。
事業失敗したら人生終わり。

全部、嘘や。

「終わり」ってのは一個しかない。それはや。
それ以外は全部、途中経過やねん。

ゲームで言うたら、「GAME OVER」って出ても、コンティニューしたらまた始まるやろ?あれと一緒や。

でもな、「GAME SET」ってのは違う。これは「試合終了」や。もうコンティニューはない。
人生で言うたら、死がゲームセットや。

で、ここからが本題や。

ゲームセットが来るまで、評価は確定せえへん。

今、お前が「人生失敗した」って思ってるとするやん。でもな、それはお前が勝手にそう思ってるだけで、まだゲームは終わってへん。

スティーブ・ジョブズはな、30歳でAppleをクビになったんや。自分が創った会社から追い出された。普通に考えたら「人生終わった」やろ。でも彼は11年後に復帰して、iPhoneを世に出した。
もし彼が30歳の時点で「もう終わりや」って思って何もせんかったら、今のAppleはない。

つまりな、「失敗」っていう評価は、その瞬間には確定せん。

あとから振り返ったときに、「あれは失敗やなくて、必要な経験やった」って思えることもある。逆に、「あのとき成功したと思ってたけど、実はあれが転落の始まりやった」ってこともある。

だから、今の評価を確定させるな。

「もうダメや」
「もう終わりや」
「もう無理や」

その言葉を口にした瞬間、お前は自分で自分のゲームを終わらせてる。

でもな、ゲームセットの権限は、お前にはない。
それは生物学的な寿命か、不慮の事故か、病気か、何かそういう「外部要因」が決めることや。

お前が決められるのは、「コンティニューするかどうか」だけや。

やり残したことがない人生、の本当の意味

「やり残したことがない人生を送りたい」

ええ言葉やな。でも、これほど誤解されてる言葉もないで。

多くの人はな、「やりたいことを全部やる」って意味やと思ってる。バケットリスト作って、世界一周して、スカイダイビングして、エベレスト登って、本出して、ビジネスで成功して……。

んなもん、無理や。

時間も金も体力も有限やねん。全部やるなんて、物理的に不可能。
じゃあ「やり残したことがない人生」って何かっていうと、

「逃げずに選んだ人生」

これだけや。

例えばな、お前が「小説家になりたい」って夢を持ってたとするやん。でも色々あって諦めて、サラリーマンになった。

ここで二つのパターンがある。

パターンA
「やっぱり小説書きたかったな……でも才能ないし、食えないし、親も反対したし、仕方ないよな……」

パターンB
「小説家になりたかったけど、現実的に考えたら厳しいと判断した。だから自分はサラリーマンの道を選ぶ。これは逃げじゃなくて、選択や」

この違い、わかる?
パターンAは逃げや。自分の選択に責任を持ってへん。「仕方ない」って他人や環境のせいにしてる。

パターンBは選択や。自分で決めて、その責任を引き受けてる。

やり残したことがない人生ってのは、「全部やった」人生やなくて、「逃げずに選んだ」人生や。

お前がもし今、何かを諦めてるとしたら、それを「仕方ない」で片付けるな。

「自分はこれを諦める。なぜなら〇〇だから。これは自分の選択や」

そう言えたら、それは「やり残し」やない。それは「選択の結果」や。

逆にな、どうしても諦められへんのやったら、諦めるな。
何歳からでも、何回失敗しても、周りに笑われても、やればええ。
40歳から小説書き始めてもええ。50歳からバンド組んでもええ。60歳から絵を描き始めてもええ。

「遅すぎる」っていう言葉を使った瞬間、お前は自分を殺してる。

信念でも情熱でも怠惰でもいい

世の中の自己啓発本とか、成功者の伝記とか、全部こう言うてるやろ。

「強い信念を持て」
「情熱を燃やせ」
「夢を追いかけろ」

や。
いや、嘘っていうか、不誠実や。

なんでかっていうと、そんな高尚なもん持ってる人間なんて、ほとんどおらんからや。

大半の人間はな、「なんとなく」生きてる。
なんとなく学校行って、なんとなく受験して、なんとなく就職して、なんとなく結婚して、なんとなく子供作って、なんとなく老いて、なんとなく死ぬ。

それが現実や。

でもな、それを「悪いこと」やと思うのが間違いやねん。

信念がなくても、情熱がなくても、生きててええねん。

「怠惰」でええねん。
むしろ「怠惰」って言葉、めっちゃ誠実やと思わん?

「頑張りたくない」
「めんどくさい」
「ダラダラしたい」

これ、人間の本音やん。誰もが思ってることやん。
それを「ダメなこと」として押し殺して、「頑張ります!」「情熱あります!」ってポーズ取ることの方が、よっぽど不誠実やと思わん?

生きる理由なんて、なくてええねん。

「なんで生きてるの?」って聞かれて、「いや、なんとなく」でええねん。
「死ぬのめんどくさいし」でええねん。
「まだ見たいアニメあるし」でええねん。
「猫の世話せなあかんし」でええねん。

高尚な理由なんかいらん。お前が生きてることに、誰も許可なんか出してへん。お前の命は、お前のもんや。

だから、どんな理由で生きてもええし、理由なんかなくてもええ。

ただ、生きてることだけが条件や。

意味は後付けされる

最後にな、一番大事な話するで。
人間ってのはな、「意味」を求める生き物や。

「この仕事に意味はあるんか?」
「この恋愛に意味はあるんか?」
「この人生に意味はあるんか?」
でもな、これが最大の罠やねん。

意味ってのは、最初からあるもんちゃう。あとから付けるもんや。

例えばな、お前が今日、道端で財布拾ったとするやん。その瞬間は「ラッキー」くらいやろ。でも、その財布の中身を警察に届けて、持ち主が現れて、その人が実はお前の将来の上司で、そのことがきっかけで就職が決まったとしたら?

「あの日財布を拾ったことには、意味があったんや」

ってなるやろ。

でもな、拾った瞬間には、そんな意味なかったんや。

意味ってのは、時間が経ってから、振り返ったときに発見されるもんや。
だから、「今やってることに意味があるんか?」って悩むのは、順序が逆やねん。
先に意味を求めるんやなくて、先に行動する。そしたら、あとから意味が見つかる。

もっと言うと、見つからんかもしれん。
でもな、それでもええねん。
意味なんか見つからんでも、「あのとき自分はこう生きた」っていう事実は残る。
その事実の集積が、お前の人生や。

意味のある人生やなくて、生きた痕跡のある人生。

それがお前のプレイログや。
汚れてもええ。失敗だらけでもええ。カッコ悪くてもええ。
ただ、ログが残ってること。
それだけが重要や。

残機ゼロになるまで、コンティニューし続けろ

結局な、人生ってのはゲームや。
クソゲーかもしれん。理不尽かもしれん。バグだらけかもしれん。

でもな、お前がプレイしてるのは、お前だけのゲームや。

他人と比べる必要ない。他人のプレイログと比較する必要ない。
お前のゲーム、お前のルール、お前のペース。

そしてな、コンティニューは無限や。
何回やられてもええ。何回ミスってもええ。何回詰んでもええ。
その度に「CONTINUE?」って自分に聞いて、「まあ、やるか」って思えたら、それでええ。
誰かに「もうやめとけ」って言われても、無視してええ。
誰かに「お前には無理や」って言われても、無視してええ。

自分のゲームは、自分が決める。

そして最後、残機がゼロになって、もうコンティニューでけへんくなったとき、

「GAME SET」

その瞬間にな、お前の人生の評価が確定する。
でもな、その評価するんは他人やない。

お前自身や。

「ああ、ようやった」
「まあまあやったな」
「もうちょっとやれたかもな」

どれでもええ。

ただ、「逃げずにプレイした」って思えたら、それで十分や。

だから今日も、明日も、明後日も。
コンティニューし続けろ。
お前のプレイログを、汚し続けろ。

それが、生きるっちゅうことや。

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