ヤマシタが来た 第三話
丸の内のビルにあるカジュアルレストラン。こんもりと盛り付けられたボリュームあるサラダや、魚介類の味が染み出たクリームパスタも絶品。視線を外に向ければ、大きく取られた窓からは都心のど真ん中とは思えないほど、木々の鮮やかな緑がよく見えて気持ちがいい。
ショルダーバッグから小声で呼びかけてくるダミ声が聞こえてこなければ、最高のランチなのだが。由香里は思わずため息をつきそうになる。
「ユカリ! ユカリよ! ちゃんと反応せよ!」
騒ぎ出したヤマシタをさすがに無視しきれなくなり、由香里はさりげなくハンカチを取り出すフリをして、バッグのなかにいるモアイ顔を小声で威嚇した。
「うるさいよ、ヤマシタ。ちょっと静かにして!」
ヤマシタは由香里の威嚇など全くこたえる様子もなく言い返す。
「目の前にいる御仁に事情を話すがいい。我が見るところによると、悪い人間ではなさそうだ。きっと話を……」
「なに御仁て。というか、ヤマシタの話なんてできるわけないでしょ」
「何を遠慮しておる。恋人なのだろう。ちゃんと話をすべきではないか?」
由香里は言葉を詰まらせる。一方のヤマシタは、話せ話せと言わんばかりに、拳を高く振り上げている。
「ちょっと待って。さっきから独り言をぼそぼそ言ってるけど、どうしたの?」
テーブルを挟んで目の前に座っている恋人、圭司が苦笑しながら聞いてきた。由香里はにっこり笑って見せた。
「ごめん。色々おかしなことがあって。気にしないで」
「いやいやいや、気にしないとか無理」
食事中、どこか挙動がおかしい由香里にとっくに気がついているようで、圭司はじいっと観察するように見ている。
圭司とは由香里が以前派遣されていた会社で、直属の上司として出会った。彼は由香里より一つ年下の三十一歳。髪をふわりとさせたパーマヘアや色モノシャツのチョイスなど、センスがややチャラめではあるが、見た目に反して仕事ぶりは堅実だ。
堅実ゆえに、気になる疑問などは放置しない。つまり、ちゃんと説明しないといつまでも圭司から質問を受け続けるということになる。
下を見るとバッグのなかでヤマシタが早く話せ! とヤイヤイ言っている。この後、品川にある水族館に行く予定だったから、長時間ヤマシタの存在を隠し通すのは厳しい。もうなんと言われても仕方ないと由香里は腹を括った。
そうして今朝発生し、現在も継続中である驚愕の出来事について、由香里は圭司にかいつまんで説明した。圭司は黙って聞いた後、考えをまとめるようにゆっくり口を開いた。
「……つまり。由香里のばあちゃんの昔馴染みでヤマシタって小人が今朝会いにきて、由香里に危機が迫っているって警告してきたと。由香里、精神的に問題を感じてたりする?」
「……感じてない。大丈夫」
由香里は予想どおりの圭司の反応に苦笑する。他の人には見えないかもしれないが、いつの間にかテーブルに上がり込んで、そこであぐらをかいて、まわりの風景を物珍しそうに観察しているヤマシタは、由香里にだけは見えてしまうのだから。
「そいつって今どこにいるの?」
「そいつ、ではない! ヤマシタと呼べと伝えろ」
ぶつぶつ文句を言っているヤマシタにユカリはハイハイとつぶやく。そうして由香里はテーブルの上、空になった皿の横を指さす。
「そこであぐらをかいてる。そいつじゃなくてヤマシタと呼べだって」
圭司はテーブルの上をじっとみているけれど、視線は合っていないので、ヤマシタの事はやはり見えないらしい。しばらく考えこんでから圭司はポリポリと頭をかいた。
「ヤマシタかあ。おかしな話だけど、由香里が病気じゃないってことはわかる。精神的に不安定な感じでもないし、いつもどおりだしね。……それならひとつ提案があるんだけど」
圭司が真面目な顔で話し出したから由香里は頷く。
「ヤマシタのいう危機ってのが去るまで、俺の部屋にいたらいいんじゃない?」
「へっ?!」
由香里はびっくりして変な大声をだしてしまう。
「小人のヤマシタが由香里のおばあちゃんに恩義を感じて、危険を知らせるために登場するとか、ちょっと突拍子ないけどね。でもムシのしらせの一種と思えば納得できないこともない。小さいをおっさん見たって話、たまにしている人いるしさ。なにか危ない事が起きそうっていうなら、俺のとこにいればいいよ。二人でいたほうが危機は回避しやすい気もするし」
ヤマシタがはいきなり立ち上がって叫んだ。
「ケージの言うとおりだ。それがいい! ユカリ、そうさせてもらうがいい」
ヤマシタが由香里に向かって、強く同意したことを表現するかのように、頷きながら叫んでくるから、由香里は眉を軽く寄せてしまう。
「だめだめ。圭司に迷惑かけちゃうし」
由香里がそう呟くと、すかさずヤマシタが大声で反撃をしてきた。
「ユカリが気にしているのはケージに迷惑をかけることより、自分の大好きな布団で寝れないのがイヤなだけだろう? それならケージに車できてもらって布団を運べばいいじゃないか」
見当違いなことを言われ、由香里の眉が寄る。
「は? なにそれ。違うって!」
「いや、違わん! ケージの申し出を断るべきではない! 緊急事態なのだぞ?」
テーブルのうえで偉そうに腕組みをして由香里を見上げてくるヤマシタと睨み合いをしていると、彼のことが見えない圭司が驚いたように目を瞬かせた。
「なんか一人芝居を目の前で見てるみたいだけど」
ぼそりとそう呟いた圭司に、由香里は大きくため息をついてみせた。
「ごめん。変なところを見せて。ともかく私は大丈夫。こんなヘンテコな話を聞いてもらって、信じて貰えただけでも嬉しいよ。ヤマシタがいうような危機がおきたらすぐに警察に電話するし。自分でなんとかできるから。余計な事を言ってごめんね」
圭司は数秒由香里をみつめたあと、彼女よりもさらに大きなため息をついてみせた。
「由香里っていつもそうだよな」
「え?」
由香里が視線をあげて目の前の圭司を見つめた。怒っているような、それでいて少し悲しげなあまり見たことのない複雑な表情をしていた。
「よく言えば自立してるってことなんだろうねど、全然頼ってこないし、ひとりで完結させちゃうんだよね。ヤマシタのことだって、俺が聞かなきゃ話さなかっただろうし」
「ヤマシタに危機が迫ってるなんて言われてビックリして、勢いで話しちゃったけど……圭司だってこんな話をされても困るだろうなと思ったし……」
慌てて言い訳するような由香里の言葉尻に被せて、ヤマシタが叫ぶ。
「ユカリ! これはとても大事なことだぞ。ちゃんとケージの話を聞け!」
「聞いてるって!」
ヤマシタについ反応してしまい由香里はハツとして、前を見る。圭司がじぃっとまた見つめていた。ごめん、と呟いたあと数秒ほど沈黙の後、圭司が口を開いた。
「問題はヤマシタじゃなくて、由香里なんだよね」
「へ?」
珍しく真面目な表情をした圭司が呟いた。
「前から聞きたかったんだけどさ。……由香里にとって俺の存在ってなんなの?」
「え……なんなのって言われても。つきあってる、よね?」
どこかおそるおそる答える由香里に圭司は苦笑した。
「そう、一年前からつきあってると俺はそう思ってる。けど由香里って俺から連絡しないとぜんぜん音沙汰なくなるし。ヤマシタの件だって、俺には見えないから、ヤマシタがいるかどうかかなんてわかんないけど、由香里が不安ならその不安を取り除ければいいかなって思っただけで」
圭司がそんなふうに考えていたのかと由香里はびっくりしたまま、彼を見つめる。
「なんかそういうの、全然由香里に伝わってないよね。というか由香里って俺のこといらなくね? って感じちゃうんだよ」
そういってどこか悲し気に微笑んだ圭司に、由香里は言葉が出ない。それからしばらく、まわりの楽しそうなおしゃべりや食器の音だけが響く。ゆかりはただ呆然と圭司を見つめるけど、彼は視線をどこか遠くに向けられている。それがゆっくりと由香里の方へと向けられた。圭司は微笑んだ。
「悪い。変なこと言って」
「……ううん、こっちこそ。なんかごめん」
気まずい雰囲気。現実を直視しなくてはいけないような空気になると、昔から由香里は逃げ出したくなってしまう。そうして反射的に言ってしまった。
「なんかあれだし……水族館はまた今度にして、今日はこれで解散にしとこうか?」
「怒ったの?」
いつもだったら軽いノリで、まあそんな事言わないでとかなんとか言って多少強引にでも水族館に連れて行こうとする圭司が、真面目な顔をして間髪入れずそういったから、由香里は驚いて首を振る。
「怒ってなんかないよ。……今日はヤマシタがうるさいし、仕切り直ししたほうがいいかなって」
「人聞きの悪い! 我はなにもお前たちの邪魔などしとらん!」
ヤマシタの文句は無視して圭司の方を見ると、彼もじっと由香里の顔を見つめていた。
「由香里がそう言うならいいよ。わかった」
圭司はそう言って会計の伝票を掴んで、歩き出したから彼の表情はわからない。由香里も慌てて立ち上がった。
