『あ!HEROですよね?』【供述調書型連続小説】〔乙7号証〕
私に黙秘権があることは何度も説明を受けているので分かっています。
ここでは、北関東にあるA地方検察庁1年目にとてもお世話になったB次席検事についてお話しします。
B次席は、現場たたき上げの、まさに
職人
でした。
決裁を仰ぎに次席検事室へうかがうと、小柄なB次席はいつも事務椅子の上にあぐらをかき、鉛筆をなめなめしながら、起訴状や不起訴裁定書案を鋭く凝視し、添削されていました。
B次席からは常々
弁録が勝負だぞ
と語気鋭く言われました。
それは、弁録、つまり、身柄事件の被疑者と検察官が初めて対峙する弁解録取の手続が、自白を獲得する最初にして最大のチャンスだという意味でした。
また、弁解録取書には、被疑者が自白するならしっかりと
故意
を録取するようにとの厳命も受けました。
たとえば殺人被疑事件であれば、ただ
包丁で胸を刺しました
と録取するのではなく
殺すつもりで、左胸目掛けて包丁を突き刺しました
と録取し、現住建造物等放火被疑事件であれば、単に
家に火をつけました
ではなく
家の中に家族がいることは分かっていましたが、家を燃やしてしまうつもりで1階居間の畳にライターで火をつけました
と録取するということでした。
そして、被疑者が否認するなら、その弁解内容を、具体的に、できるだけ詳しく録取しなさいという指導も受けました。
それは、弁解の真偽を明らかにするために、裏付けが取れる供述を得るとともに、あとで弁解を都合よく不合理に変えられないようにするためでした。
実際のところ、検察官もよくご存じのとおり、弁解を都合よく変遷させる被疑者は少なからずいるものです。
そんなことを含め、B次席は、捜査のイロハを新任副検事向けの講義形式でまとめ、検察庁の月刊誌に連載されていたことがありました。
私は、異動してすぐ、次席検事室にお邪魔した際、B次席から
あれ、読んだ?
と尋ねられましたが、そもそも「あれ」が何なのか分からず、その連載の存在すら知らなかったのですから読んでいるはずもなかったのですが、私は悪びれもせず
あれって、なんですか?
と尋ね返し
あれだよ、あれ
はあ…あれですか…
読んでないの?
…
などというやりとりをB次席との間で繰り広げたのでした。
B次席は、そんな私に呆れながらも救いの手を差し伸べてくださり、ご自身の手元にあった、そのシリーズの手作り冊子を授けてくださいました。
私は、それを有難く受け取ると同時に
ああ、出世する検事は、異動先の上司が誰かをちゃんと調べて情報収集し、その著作や論文は読んでおくものなのだろうな
と思い至ったものの、後の祭りでした。
そもそも異動の内示を受けたら、上司になる方に電話を掛けてあいさつをするという習わしが検察庁にはあるということすら私は知りませんでした。
皆さんはいったいどうやってそんな慣習を知ったのでしょうか。
不思議です。
と言っても、ムダに尖って不遜だった私はそれを知ってからも、まるで思春期真っ盛りの中学生のように、慣習に一切従わなかったのでした。
そんな私も、B次席からいただいたその冊子だけは、捜査のバイブルとして最後の最後まで手元に置き、辞職に当たっては、時代は変われど役に立つこともあるだろうと、同じ班にいた新任検事にその冊子を引き継いだのでした。
ちなみにその新任検事には、私がこの当時同期のC検事に誘われて通販で購入したテミス像も譲りました。
その像は、メイヤーという著名な彫刻家の作品であり、トロフィーサイズのレプリカでした。
その立派なブロンズ像は、被疑者を取り調べる私の横やら後ろやらで被疑者ににらみを、いや目隠しされた女神だったのでにらみはできませんでしたが、被疑者に得体のしれないプレッシャーを与え、もしかしたら人知れず真相解明に貢献していたかもしれません。
ある時、私は、担当していた幹線道路沿いにあるラーメン店の厨房の奥にある部屋に従業員が子どもを監禁したという事件の起訴決裁をB次席に仰いだところ、B次席から
この厨房のドアは鍵がかかるの?
と尋ねられました。
私は
警察が作成した捜査報告書には、鍵がかかると書いてありますし、添付されている写真にも、確かにドアノブの鍵が写っているので、かかるはずです
などと返答したところ、眉間にしわを寄せたB次席から
ちょっと行って確かめてきてよ
と言われました。
私が驚いて
え?
店にですか?
今からですか?
と尋ね返すと、B次席は
当たり前だよ
鍵がかかるのを確認してきたら判子押すから
とおっしゃいました。
私は
マジか…結構遠いんだけど…
と思いながらも
確かに鍵を掛けたって被疑者が自白していたとしても実際は鍵が掛からなかったら自白の信用性が飛んじゃうな
と思ったので、担当の刑事さんに電話を掛けて事情を伝え、立会事務官に官用車を運転してもらってすぐに現場まで行き、刑事さんと合流しました。
私は、刑事さんに続いてラーメン店に入り、怪訝そうな表情の店主に会釈をし、問題のドアから厨房に入れてもらい、ドアノブのつまみを回し、ドアに鍵がかかって開かないことを確かめました。
私は、ちょっとスッキリした気持ちになってトンボ返りし、勇んで次席検事室に入り、B次席に
鍵、かかりました!
とお伝えしたところ、B次席は
よし!
と言って起訴状に判子をポンと押してくださったのでした。
私は、この決裁を通じて、現場に出向き自らの五感で事実を確かめることの大切さを教わったのです。
さて、私が着任して半年ほどたった頃だったでしょうか、検事正の異動がありました。
D検事正は、とても大らかで優しく、誰からも慕われる、いわゆる人格者でありました。
送別会では、誰もが栄転されることを心から喜ぶとともに惜しんでもおりました。
もちろん私もそのひとりでした。
しかも、聞えてくる後任のE検事正の評判は芳しくありませんでした。
私は元来噂を全く気にしないのですが、気にする方々はまさに戦々恐々といった面持ちで身体を硬直させており、B次席も例外ではありませんでした。
結論から言うと、E検事正は、「瞬間湯沸かし器」という異名のとおり、それはそれはとてもとても厳しい方ではありましたが、E検事正からご指導いただいた経験は私のその後の検事人生にとって大変貴重な財産となりました。
ただ、E検事正着任の日、その時刻が迫ってくると、風雲急を告げるかのように、暗雲が垂れ込め、雷鳴が轟き、激しい雨が降ったのです。
これは漫画みたいな本当の話です。
私にとってE検事正のご指導は厳しくも温かいものだったわけですが、私は検事になってまだ2年目でしたから、当然E検事正も手加減してくださったでしょうし、私の受け止め方も、私の20年以上先輩で、複数の地検での次席検事を歴任されてきたB次席のそれとはまったく違っていたのでしょう。
ある時、B次席に決裁を仰いだ際、ふくれっ面のB次席が
高崎君さ、もう直接検事正んとこ行ってよ
僕が決裁しても意味ないからさ
などとへそを曲げた子どものような弱音を吐露されました。
私は、普段あれほど誇りと自信をたぎらせているB次席にこんなことを言わしめるとは、E検事正とB次席との間でどんな攻防が繰り広げられているのかと気になりましたし、地検トップとナンバー2の関係の難しさをほんの少し垣間見た気がしました。
そんなB次席は、その後中部地方の大地検に次席検事としていらっしゃったのですが、私が中部地方に転居した被害者に会うために出張した際、次席検事室にご挨拶にうかがったところ、立会事務官共々お昼にひつまぶしをご馳走してくださいました。
その時も、B次席は
こっちの検事は言うこときかなくて困るよ
やれって言ったことを、その時は「分かりました」なんてい言うくせに実際はやんないんだから
高崎君はさ、指示に不満があるとムスッとふくれて分かりやすかったけどさ、それでもやれって言ったことはちゃんとやったじゃない
あの頃が懐かしいよ
などとお褒めの言葉をいただきました。
不遜な私は、確かに不満を顔全面で表現していただろうと想像しますが、私が食って掛かっても、B次席は必ず理をもって私を説得してくださいました。
本当に味のある、いぶし銀の検事でした。
