映画評「緑の光線」(1986年/フランス)

映画評「緑の光線」(1986年/フランス)
1986年/フランス/98分 監督・脚本:エリック・ロメール 音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ 撮影:ソフィー・マンティニュー 出演:マリー・リヴィエール/リサ・エレディア/ヴァンサン・ゴーティエ/ベアトリス・ロマン
エリック・ロメールは、この孤独な探求譚をもって、第43回ヴェネツィア国際映画祭で最高の栄誉である金獅子賞を受賞した。個人的にも賞をあげたい。この映画にしかない魅力がある。それはラストシーンであり、身に迫るほどの圧倒的な孤独である。エリック・ロメールの中でも、飛び抜けて、一人。赤い服を着て磯の中をたどたどしく歩くシーンを眺めるたびに、すごく心細く、心配になる。全編通して孤独感がすごい。即興演技での自然な撮影がもたらした、現実的な空気感。それゆえに痛く、寂しくなる。会話は噛み合わず、終始硬い表情で悲しみを湛えて一人で歩くデルフィーヌを眺めていると、いつも私はかつての記憶が蘇る。一人で昼夜も問わず、歩いてはカメラを撮っていた私のかつての日々が懐かしくなってしまう。生きていれば、何かのタイミングで、孤独になることもある。痛みもあり、悲しみもあり、誰にでも似たような思い出や感覚はある。そこに、優しく近づいてくれる映画だ。「バカンスというものは、楽しむものだ」、「青春というものは無意に過ごしてはいけないものだ」不思議なことに、人生には、様々な枷がある。本当に、そうだろうか?「Ah ! que le temps vienne Où les cœurs s’éprennent.」心という心の燃える時よ来い。冒頭に表示されるランボーの「最も高い塔の歌」の中の一節。ここでのランボーは、明らかに人生をエンジョイしてはいない。無為に過ごした青春への後悔と、繊細さゆえに人生を失った苦しみ。つらく悲しい言葉なのだ。バカンスとは、悩む場所であり自己発見の場所であるのかもしれない。会話の中で最も印象に残るのは、シェルブールでの友人の親戚たちとの食事のシーン。「私、ベジタリアンだけど、ここのお肉だけは食べられる。最高。こんな美味しいお肉、初めて食べました!」と言えさえすれば、ツカミも最高。全てにオッケーと返してなんでも従えば、あっという間にバカンスは過ぎていく。でも、この映画では、逆方向に、本人すら予測不能なまでに、あらぬ場所に会話が飛んでいく。ここの痛々しさ抜群の会話は素晴らしい。即興で交わされる人々の言葉の断絶や沈黙が、そのまま彼女の心を鋭利に切り取る。どこまでがアドリブで、どこまでが脚本だったのか。何かの魔法を見せられた気分になる。痛々しい言動を見せる主人公も、ああ見えて家族付き合いもちゃんとしていて、友達だって大勢いる。ずっとこんな調子ではなく、素晴らしいスポーツ選手でもスランプの時期があるように、これは一時的な不調のせいだろう。人それぞれで、回復できたりそのまま治らずにいたり、このような、ままならぬ場面は、まともな人生を送っていれば、誰にでも訪れるものなのだろう。そのような時に、自分に向き合う。それはとても大切なバカンスの存在理由だ。バカンスのキャンセルで調子が狂った。7月5日に拾ったカードはスペードの女王。気難しさ、理想の高さ、孤独な女性の暗示。行く当てのないバカンス。繊細な主人公。旅に出ても自分という名の行き止まり。持つべき切札もなく、判断の是非も自分ではわからない。他者と繋がりを持てず、対立もあれば、悲しい気分にもなる、一人旅。非常にリアルだ。それでもなお、生きなければならない時、一体どうすればいいのだろう。心に迫る16ミリカメラ。全く画質の悪さなどは気にすることもなく、ソフィー・マンティニューによる自然光を活かした16ミリ特有の粒子感が、むしろ心の解像度を上げている。思索の彼方へ一緒に旅をしているかのような、臨場感にあふれる美しい映像だ。サン=ジャン=ド=リュズ駅での会話はどうして生まれたのか、何がきっかけで、何が転換期だったのか。全く理由が分からない。トランプのせいか。海辺で拾うのは、ハートのジャック。若い男性、情熱的な恋人の意味。暗示にかけられたのか。「駅は少し気が滅入ります」と相手がマイナスなイメージのことを言ったせいで親近感が湧いたのか。最初に自分についてではなく、本について質問されたのが良かったのかもしれない。悩んではいるが、周囲の世界自体は開放的で、手を差し伸べてくれている。素晴らしい世界だ。美しき旅行先やパリ街のアドリブ演技。言い寄ってくる男もそんなに悪そうに見えない。徐々に治ってきているような、なにかに癒されているような、静かなひと時も並行して感じる。なんとなく、様々な癒しがあったにせよ、ジュール・ヴェルヌの小説から取られた「緑の光線」という、言葉によって、イメージによって、あの時点で癒されていたのかもしれない。伝説によれば、この稀有な自然現象を見た者は「自分の心と相手の心を読むことができる」という。希望を持っている。そこには、たしかに、夕日のアドリブ演技があり、世界が輝く瞬間がある。ラストシーンは、いつ見ても緊張する。必ず見た後は、自分にも何か良いことが起きそうな気がする。起きたのか、それとも、まだなのか。少なくとも私は、この映画を、緑の光線を、何十回と見ている。自分の心と相手の心を読むことができることを願っている。

