魔剣無双と魔獣皇女の証明紀行 第2話
「げ」
森を抜け、目的地の宿泊施設が見えてくる。
天気は雲一つない青空、辺りには目の前の宿屋以外の人工物はない。
広がるのは草が茂る牧場地帯。そこには豚や牛、羊などの家畜が飼育されており、白い牧場犬が彼らのことを木陰で休みながら監視している。
ソルドはそれを豆粒よりもずっと小さい輪郭から推察した。
しかし、番犬の舌から一粒だけ、強酸性の唾液が垂れていることに気づかなかった。
そして道の先にある大きな宿泊施設の扉の前に、見知った巨体が待ち構えている。
「こんにちはー!」
ヴァサゴは元気に待ち構えている巨大な影に手を振っている。しかしその影を知っているソルドは歩みを進める度に警戒を高めていた。
「おい、下がっていろ?」
その影の正体は彼の教え子であるカトリーヌ。
ソルドはヴァサゴに忠告をしながら腰に帯びている魔剣に手をかけ、鞘の中でその刀身を黒く染めて臨戦態勢に入る。
「あ、えへへ……ごめんなさい」
「いい子だ」
魔獣の少女は申し訳なさそうに笑いながら、歩く速度を緩めてソルドのやや右後方に下がった。
互いの間合いに入っても彼女は背負っている巨大な斧を手に取らない。
そこでソルドは彼女に敵意がないという可能性を頭の中に浮かべた。
「お疲れ様です。教官」
「お疲れ様ですって、お前は殺し合いに……来てないんだな」
彼は彼女の凛々しくも緊張はしていない表情でようやく、殺し合いに来ていないと判断して、魔剣から手を離した。
「はい。貴方の命に用はありません。ただ、お話があります」
「……ヴァサゴ、先に入って待っててくれ。その宿は安心だ」
「む。はーい」
ソルドの頼みに少し不満げな表情をしたヴァサゴは、反論はせずに建物の中に入っていった。それを見届けたカトリーヌは本題について話し始める。
「魔剣を返して頂きたい。それは我が国の秘宝、このまま貴方の手に握らせ続けるわけにはいかない」
「俺はもうファーモット側じゃないだろ?従う道理はない」
彼女が待ち構えていた理由に納得した彼は、それは出来ないときっぱりと拒否した。彼の魔剣は潜伏に適した能力を持つ。そのため無条件での放棄は避けるべきだ。
「道理はありませんが、メリットはあります」
そこで彼女は彼にとって大きなメリットを提示し、目を見開かせた。
数分後、一泊のみの宿泊をすることとなった彼らは宛がわれた一室の扉を開く。ヴァサゴはすぐさま中に入り、部屋の内装に目を輝かせていた。
また、ソルドの腰に帯びた剣は質素なものに変わっている。
「わぁ!とってもいいですね!」
質素なベッドが二つ。机やクローゼットなどが置かれた、この世界における一般的な部屋であるが、それらは彼女を大いに喜ばせていた。
「……そうだな。いい部屋だ」
普通だろと言いかけたが、彼女が今まで暗い石だけの部屋に住んでいたことを思い出し言葉を改める。
「一緒にいて楽しい人と過ごしているから、そう感じているんですかね?」
「……え?」
ソルドは彼女の思わぬセリフに困惑を漏らした。彼女の口から出た言葉の意図が理解できなかったのだ。
「部屋のものは自由に使って構いませんよ。常識の範囲内で」
「ありがとう。カリナ。君のパパによろしくと言っておいてくれ」
この宿のポニーテールの幼い支配人がこの部屋についての注意点を説明した。
礼を言っていると、ボロボロの槍を背負った者がソルドと少女の間に入り、敵を見るような目でソルドを睨みつけた。
その者は美麗で中性的な顔立ちをしており、外見では性別の判断ができない。
「おい。そこの。支配人に話しかけるな」
「なんだテメェ」
解せない忠告に、剣豪は生半可ではない殺意で返す。
しかしその者が圧力に屈することはなく、まるでそれがそよ風であるかのように受け流している。
「そんなに警戒を滲ませるな。怖がるだろ」
その者はソルドが未だに追手などに警戒していることを見抜いていた。
「野蛮な番犬だな。客に嚙みつくなよ」
「何であれ、支配人の敵に嚙みつくのが僕の存在意義だ。誰であれ、そこは変わらない」
「やめて、オリー!」
火花が散りそうな両者の間に幼い支配人が割って入る。
「ははは。申し訳ございません!こいつ!やんちゃなもんで!ホラ!戻るよ!」
彼女は今にでも斬りかかりそうな番犬を抑えて部屋の外に出そうとする。番犬は主人を傷つけないようなささやか抵抗をしていたが、すぐに部屋の外に押し出されてしまった。
「どうしてあんな警戒されていたんですか?」
「そうだな……まず、そこに座れ。かなりの距離を歩いて疲れただろう」
ソルドはまずヴァサゴを座らせてから彼女の座っていないベッドに腰かけて質問に答え始める。
「俺が日頃から気を張っているのと、奴が過敏だからだ。奴は恐らく魔獣孤児だ。辛い生活は五感を鋭くさせる」
「まじゅうこじ?」
「魔獣による被害で孤児になった者たちのことだ。ここの支配人親子はそんな奴らを牧場と宿屋で雇ってる。今雇っているのはアイツだけみたいだな」
「魔獣、確か私と特徴が似ている存在のことですよね。そして、皆さんに……」
魔獣による被害というものが実際にあることを実感した彼女は、自分もそれと同一の存在であることを悲しんでいる様子だ。
「ああ、ところでお前、気配消せたのか?」
対してソルドは、先程の魔獣孤児が彼女の鈍重な悪性魔力の気配に気づかなかったことに違和感を持った。また、今の彼から見て彼女にはあの悪い気配を感じない。どうしてかその気配を消す手段を確立しているようだ。
「え?どういうことですか」
しかし彼女は特に思い当たる節はなく、きょとんとしている。
「……そうか。それでは部屋に来て早々悪いが、質問させてくれ」
「はい!」
「記憶喪失になって初めて会ったのは俺とアレッサード、カトリーヌの三人だな」
「はい!」
ヴァサゴは屈託のない笑顔で肯定を二度行う。
(彼女は前の内務卿の置き土産だ。だが面識がない。いや、記憶を消される前に最後に会ったのが奴ということか)
「お前は魔獣について知らなかった。だが、一般的な言葉は知っている」
「そうですね。……常識だけ残して、記憶だけ綺麗に抜かれたのかもしれないですね」
彼女は彼女なりの推論を真剣に語っている。
「あのー。こっちからも質問いいですか?」
「いいぞ」
彼女の記憶喪失について少し分かったところで、彼女自身も知りたいことがあるようだ。
「次はどうするんですか?私たち逃げているんですよね?」
「あぁ、まず、俺たちは逃げる必要がなくなった」
ヴァサゴの真剣な質問に、そんなことか、とでも言うようなあっけらかんとした態度で答える。
「え?」
「取引をしてな。魔剣、俺がさっきまで持っていた剣を返納することで罪の執行に猶予が付いた」
「え、本当ですか⁉やったー!それじゃあ私たちはすぐに」
「戻れない」
「えー!」
期待を抱いていた彼女は肩を落として悲しんでいる。
「さらに、俺たちには任務が与えられた。それまで戻ってくるなとのことだ。内容はお前の正体を明らかにすること。もし人類の味方であると証明できれば罪も帳消しになる」
「おー!」
そして罪が帳消しになる希望が見えてくると、彼女の気分は再び高まる。
「出発は明日の朝。目的地はハントラの首都アンカル。牧畜と魔獣研究の総本山だ」
「え?魔獣研究⁉私、お腹にメス入れられます?」
喜んだ次は慌て始めた。今日の彼女の情緒は忙しい。
「心配しなくていい。そうしなくても腹の内は探れる」
「え?」
その答えに彼女は些か不安そうな顔をしている。
「それよりも注意すべきことがある。勇者のことだ」
そんな彼女のことなど無視して、彼はこの旅における最大の懸念点を語り始めた。
翌日の夜、この宿屋の支配人であるカリナと、彼女を守るオリゲイルがロビーにて事務をしながら今朝出発した客について話していた。
「支配人、彼は何者なんです?」
「ソルドさんのこと?パパの友達だって」
「前支配人のご友人……怖いですね。僕はあのレベルの人は今まで見たこと……誰だ!」
なんでもない雑談の途中、オリゲイルは腐った血の匂いを嗅ぎつけた。
「ん!バレてしまいました。なんということでしょう!」
いつの間にか、彼らの目の前、客を迎える大きな扉の前に、片眼鏡で黒い瞳と長髪、そして貴族のようなタキシードを着た男がいた。
気持ち悪い笑みを浮かべる男にオリゲイルは槍を躊躇なく向ける。
「香水ぐらい付けてこい。血生臭さがプンプンしてる」
「あぁ失礼。この香りは私の香水のようなもの。気分を害してしまったのなら謝るしかない」
「そうだな。とっと帰るか死んでくれ」
「それは困ります。だって、私は彼女を連れ去りたいから!」
「⁉」
すると怪しげな男はいつの間にか彼らの背後にふわり、と現れた。
(魔法?)
オリゲイルは不届き者を殺すために振り返ろうとしたが、その意思に反して足がまったく動かない。
(トラばさみ⁉これはハントラの魔法!)
足元には獲物を捕らえる罠。
「クソ!」
猛獣は愛用している槍をハサミの間に挟んで強引に拘束を解こうとしている。
しかし、獣の浅知恵ではこの拘束を解くことは出来ない。
「それでは彼女は貰っていくよ」
罠の破壊に手こずっている間に男はこの宿の支配人を玄関口からにやけ顔を浮かべながら堂々と誘拐した。
カリナは口を手で覆われナイフを首元に当てているため抵抗が出来ない。
『んー、んー』と声にならない声をあげて助けを請う目で従業員を見る。
その目は彼のトラウマを的確に抉る。
「やめろ。やめろ!」
足を何とか動かそうとするが、足元の罠がそれを許さない。
足をちぎるという選択肢は否定した。それでは敵を追えない。
だから、彼は連れ去られる恩人をただ眺めることしかできない。
「あいつを、アイツを!殺す!」
孤児の慟哭は月夜に虚しく響いていた。
