源氏物語 逢坂の関で 空蝉と12年ぶりの邂逅【関屋①】
🪷常陸介になった伊予介
1️⃣3️⃣伊予介は、桐壺院のお隠れになった翌年、1️⃣3️⃣常陸介になって、空蝉を伴い、

常陸になりて下りしかば かの帚木もいざなはれにけり ≫
任地に下った。
源氏の須磨の謹慎のことも遠く聞いて、人知れずお案じ申し上げないでもなかったが、文を遣る伝手もなく、1️⃣筑波山を吹き越えて来る風聞も頼りなく、少しの噂も耳に入ることもなく歳月が過ぎて行った。

🪷常陸介(伊予介)の上京
いつ迄とも知れぬ源氏の謹慎の解けて漸く都に帰った翌年、常陸介は上京して来た。
常陸介が2️⃣逢坂の関を越えようとしたその日は、何としたことか、源氏が丁度2️⃣石山寺に御礼参りに詣でる日に当たった。
3️⃣紀伊守であった息子など都からの出迎えの者たちが、「源氏君が石山寺に御参詣なさいます」と知らせて来ていたので、街道の混雑を見込んで、出立を暁のうちから急がせていた。
しかし、女車も多く、道いっぱいにゆるゆると動いて来るので、
2️⃣打出の浜を通る頃には、すっかり日も高くなってしまって、
「源氏君が2️⃣粟田山をお越えになったぞ」と告げる前駆の者たちが街道に溢れ返る。

御前の人びと 道もさりあへず来込みぬれば ≫
4️⃣常陸介の一同は逢坂の関で皆車を降りて、ここかしこの杉の木の下に轅を下ろし、木陰に畏まってお通しする。

木隠れに居かしこまりて 過ぐしたてまつる ≫
車を後から来る者と先に遣る者とに分けたりもしたのだが、尚、この一行は、眷属の多い勢い盛んな一族と見える。
その中の女車十台ばかりは、車の簾から見せる袖口の襲の色合いなどがこぼれ見えるのが、国司風情とも見えぬ趣があり、斎宮の御下向か何かの晴れの時に都に並ぶ物見車が思われるほどである。

田舎びず よしありて 斎宮の御下りなにぞやうの折の物見車 思し出でらる ≫
源氏の絢爛たる栄華の列に供奉の者は数知れぬが、その者達皆が、常陸介の行列のこの女車の華やかさには、目を留めた。
九月の晦日であるから、濃く淡く色とりどりの紅葉と霜枯れの草むらの対比も鮮やかに見渡される。
関の建物から一斉に現れた旅姿の男達の色とりどりの狩襖に5️⃣糸を刺したり絞り染めにしたりしたのも、それはそれで面白い景色である。

🪷右衛門佐(小君)を召す1

源氏の車は簾を下ろしている。
今は右衛門佐となっている、かつての6️⃣7️⃣小君を召し寄せる。
空蝉の弟であり、当時言いくるめて文遣いをさせ、側に置いて激情の慰めともした小君である。
✨🧑🏻🦱「今日こうして逢坂の関までお迎えに参ったのを、知らぬふりなさることはありますまいな」
と伝言させる。
関係を知っている昔の小君であるから、参詣の日と偶々重なったことを、空蝉の迎えに出たように言い換えて、冗談めかして言っているが、心のうちには、青春の思い出が切なく去来する。
ここで通り一遍の挨拶など贈っても詮無いことと思い、それ以上のことはしない。

🪷空蝉のつぶやき
女の方は、思いがけない言伝に人知れず胸に秘めていた昔の思い出が蘇り、胸が締め付けられる思いでいる。
🙍🏻♀️「行く人と来る人の出逢う逢坂の関で、せき止めることができない私の涙を、尽きぬ関の清水と人が思うのだろう。 8️⃣行くと来と せき止めがたき涙をや 絶えぬ清水と 人は見るらむ」

この気持ちを、あの方がお知りになることはあり得ないのだと思えて、ただ虚しい。

1️⃣常陸国、筑波山、伊予国、山城国、紀伊国、河内国



2️⃣逢坂の関、石山寺、打出の浜、粟田山、琵琶湖


3️⃣家系図 と 転官 人事移動


3️⃣’官位相当


4️⃣源氏絵:逢坂の関で行き遭う











5️⃣糸を刺したり絞り染めにしたり
😮糸を刺したり絞り染めにしたりって?
🥸📖"旅姿どもの 色々の襖のつきづきしき 縫物 括り染め のさまも さるかたに をかしう見ゆ"
😧括り染め=絞り染めってオシャレ?
😳縫物って刺繍?
😳絞り染めって言われたら総絞りのお振袖なんか連想しちゃうけど、旅支度で?華美?
😳絞り染めって、布が厚くなるから丈夫になるんじゃない?
😳縫物も、刺し子っていうことない?
😀😀😀ああ!
😣だけど、刺し子の歴史って、16世紀に始まるらしいわよ。
😢旅支度の為の縫物、括り染めって、結局どういうこと?
😀わかんないけど、旅用に布を補強したんだけど、割とオシャレに補強してて、まだ刺し子っていう名前はないけど、それが結構かわいいじゃんっていうことかなあ。

6️⃣小君
😮空蝉さんとの恋愛事件?って、いつ頃のこと?
🤔源氏君が17歳のことじゃなかった?
😧今は、須磨からお帰りになって、29歳の筈よ。
😮昔の恋人って言っても、高校生の頃にちょっと何かあった年上の人妻と30前に偶々再会したぐらいの感じ?
🤔時間感覚はだいぶ違ってるのかもしれないけどね。
😦小君って、源氏君に憧れてて、空蝉さんの身代わりに弄ばれて喜んだりしてたのよね。
😠言い方!
😅小君の周辺って、倒錯的でぞわぞわするの。
よし あこだに な捨てそ とのたまひて 御かたはらに臥せたまへり 若くなつかしき御ありさまを うれしくめでたしと思ひたれば つれなき人よりは なかなかあはれに思さるとぞ
寝られたまはぬままには 我は かく人に憎まれてもならはぬを 今宵なむ 初めて憂しと世を思ひ知りぬれば 恥づかしくて ながらふまじうこそ 思ひなりぬれ などのたまへば
涙をさへこぼして臥したり いとらうたしと思す
手さぐりの 細く小さきほど 髪のいと長からざりしけはひのさまかよひたるも 思ひなしにやあはれなり
😮小君はあんなに可愛がられてたのに、須磨についていかなかったのよね。
😣折角のアドバンテージ棄てたようなものよね。結果論だけど。
😧美貌ではなくて、品がいいと言われてなかった?
😦じゃあ、大人になった右衛門佐さんは美青年ではないと言われてるも同然?
😮空蝉さんは美貌じゃないけど魅力があると言われてた気がするけどね。
🤔伊予介は常陸介に、伊予介の子の紀伊守は河内守に、って、お二人とも、上国から大国に出世なさったのよね。
😧暗黒の右大臣時代をうまく漕ぎ渡ってらした感じするわよねえ。
😳息子は守、お父さんは介なのよねえ、、。
😣紀伊守って、お父さんの出自のいい後妻を貴顕の接待に差し出した人ですもんね。
😮世渡りの人なのかしら、、
😦弟の右近将監さんは須磨に付いていらしたから、今は順風満帆みたいだけど、
😮紀伊守も伊予介も、右大臣時代も生き残って今も順調なの、大したものなのかしらね。
😝あのね、、小君が寵愛されてた頃の、若くてあけすけな17歳の源氏君の青春の狂騒、ちょっと好きなのよねえ🫣 👇🏻

7️⃣源氏絵:右衛門(小君)を召し寄せる




8️⃣行くと来と
行くと来と 📌せき止めがたき涙をや 絶えぬ清水と 人は見るらむ
せき… 塞き止め、逢坂の関、関の清水
関の清水… 逢坂の関の近くに湧き出ていた清水。歌枕。

眞斗通つぐ美
