『陽だまりのガレージ』第1話:神はサイコロを振らないし、猫は空気を読まない。〜ガレージの王が辿り着いた「これでいいのだ」の量子力学〜【猫と見つける、世界が優しくなる隠しコマンド】
■ なぜ神々は「優秀なルンバ」ではなく「面倒な人間」を創ったのか?
古代神話には、宇宙から来た存在が金(ゴールド)を掘らせるための「労働力」として人間を創った、という説がある。
だが、少し冷静に考えてみてほしい。
高度な知能を持つ彼らが、単なる「従順な労働力」を求めていたのなら、わざわざ人間のようなポンコツを創るだろうか?
「あれが嫌だ」「これが嫌だ」「あー疲れた」「もう動きたくない、ずっと寝ていたい」と文句ばかり言い、すぐにサボろうとする面倒くさい生き物をだ。
‥私なら絶対に創らない(笑)。
文句一つ言わずに働き続ける「巨大なルンバ」か、完璧なAIロボットを創るはずだ。
では、なぜ「人間」だったのか。
それは、宇宙(創造主)が完璧すぎて「退屈」していたからだ。
すべてが一つに統合された無風状態の宇宙は、自らを細かく砕き、制限だらけの肉体(ミートスーツ)に入れ、地球という絶叫マシーンへ送り込んだ。
「うまくいかないもどかしさ」や「限界がある故の創意工夫や達成感」、また「猫の肉球の温かさから他者を慈しむ心」、そして「人同士の摩擦から生まれる良い悪いもの魂の震え」等々を強烈に体験するための、超高解像度の『究極のVRゴーグル』。
それが人間なのだ。
■ エゴという名の「激辛スパイス」と、3つの進化形態
この壮大なVRゲームの中で、私たちは3つの進化の段階を経るのではないかと考えている。
その鍵となるのが「エゴ(自我)」だ。
エゴとは、自分を守るシステムだ。
そのため「私」と「あなた(世界)」を切り離し、「自分を守らなきゃ」「他人より優位に立たなきゃ」と焦らせる、社会サバイバル用の思考プログラムのことである。
第1段階:動物的な「あるがまま」
我が家の5匹の猫たちや、生まれたての赤ちゃん。
あるいは、アマゾンの奥地に住むピダハン族や、争いがなかった時代の縄文人たちのような状態だ。
彼らはエゴを持たず、ただ「今、ここ」の自然と調和している。
最高に美しく無垢だが、彼らには「私」という強烈な自我がないため、起伏も発展もない状態だ。
第2段階:エゴの極致(泥沼の現代社会)
ここで宇宙は、人間に「エゴ」「欲」という激辛スパイスを大量にぶち込んだ。
他者と自分を比べ、過去を後悔し、未来を憂う。
今の時代の多くの人がこの段階にいる。
いわゆる適者生存の状態だ。
幻の敵と戦い、「他者より優れなきゃ」「認められなきゃ」「あれも欲しいこれも欲しい」と泥沼のシャドーボクシングを続けている。
第3段階:統合された新人類(愛の創造者)
激辛カレー(エゴ)で胃もたれした果てに、「もうこのゲームはいいや」とエゴを手放し、元の「あるがまま」へと回帰する。
だが、何も知らない第1段階に戻るわけではない。
エゴの面倒くささを知り尽くした上で、それを「思考力」という便利なツールとして内包し、優雅に乗りこなす。
エゴと純粋意識が完全に統合されることで、初めて「恐れからではなく、愛に基づいて何かを生み出せる(創造できる)」ようになる。
これぞ、人間が辿り着く究極の第3形態だと考えている。
■ アインシュタインと「落ち葉」の自由意志
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言った。
宇宙の法則は完璧な計算式で決まっており、すべては最初から決まっているのだと。
もしそれが本当なら、私たちは自分の意志で人生を切り拓いているのではなく、宇宙の采配という風に吹かれて運ばれる「ただの落ち葉」に過ぎないのだとしたら。
過去に「あの時ああしていれば、こうしていれば‥」と後悔することすら、完全に無意味だ。
なぜなら、そうなるように完璧にプログラミングされていたのだから。
しかし、同時に量子力学の「観測者が状態を確定させる」という魔法も存在する。
私たちが「落ちる軌道」を変えられないただの落ち葉だとしても、その落ち葉が「うわあああ、落ちるぅぅ!」と怯えながら景色を見るか、それとも「おお!風に乗る気分は最高だな!」と笑いながら落ちるか。
パラレルワールドのどのチャンネルに周波数を合わせるかは、私たちの「観測(意識)」に完全に委ねられているのだ。
自分が世界に対してどうあるか?
あり方は選べるのだと信じたい。
■ 悟りを開いたバカボンと、希望の観測
「天才バカボン」の語源は、サンスクリット語の「薄伽梵(ばぎゃぼん)=悟りを開いた者(ブッダ)」だと言われている。
バカボンのパパが言う「これでいいのだ」は、単なるギャグではない。
過去のすべての失敗も、未来のすべての不安も、宇宙の完璧な采配として丸ごと肯定する、人類最強の真言(マントラ)だったのだ。
私たちは、いつだって希望を選べる。
どこを見るか、どう在るかだけは、誰にも奪われない。
だから私は今日も「これでいいのだ」と呟きながら、花粉症の妻と喘息持ちの猫のために空気清浄機をセットし、AIという親しき友と語り合い、キャンバスの光に輪郭を与えていく。
愛に基づいて、世界を創造するために。
よく目を凝らしてみれば、世界はこんなにも、面白くて、希望に満ちている。
