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デ・キリコ展 Giorgio de Chirico より感想



「そろそろデ・キリコ展の会期が終わってしまう」
その考えが、ここ数か月、私の頭の片隅にずっと存在していた。

関西在住の私。神戸市立博物館での展示は9月に始まり、12月に終わる。
「なんだ、3か月もある。もう少し後でもいいだろう」と考えたのが、まだ夏の暑さの残滓が漂う10月のことだった。
行きたいと思っていた展覧会がいつの間にか終わっている──そんな過ちを繰り返すのは人間の性だ。
2024年ももうすぐ終わり、地球が太陽の周りを一周して元の場所へ戻ろうとしている。
12月に入ると、いよいよ師も走る忙しさにかまけて「結局行けなかった」という事態になりかねない。

いよいよマフラーも装備品として加わった11月末。私はようやくキリコ展に足を運んだ。
美術館に訪れるのは数か月ぶりのことだった。


美術関連の知識はあまりないが

私個人が感じたことを、そのまま自由に書いてみようと思う。
大学での勉強では、理論や正確な知識に基づいた「教科書ばった」発言を求められることが多い。
そのため、解釈が窮屈になってしまうことがよくある。
だが、ここでは子供のころの感覚を思い出し、自由に感じたことを表現してみたい。
最近の文筆活動では、その精神を大切にしている。

正しい解釈を求めるのではなく、Googleに問いかけることもせず、純粋な感性を頼りに絵画と向き合う。


マネキンの作品

顔のないマネキンをモチーフとした作品が好きだった。
顔がないことが、不穏さや不気味さを醸し出している。この不穏さの原因は「分からなさ」にあるのだろうか。

普段、私たちはコミュニケーションの際に相手の表情を見る。話し手と聞き手が互いに表情を確認し、自分の発言がどの程度理解され、共感されているのかを測るものだ。その顔がないということは、相手の反応を確認できない。

これは不安を掻き立てる。相手が何を考え、何を感じているのか。それが分からない。
いや、そもそもマネキンのような無機質な存在には、そういった「温度」のある何かがないのかもしれない。
そこに私は、対話を打ち切られたことに対する絶望のような感覚を抱いた。

分からないことに対して、人は往々にして不安や恐怖を覚えるものだ。

展覧会のキャッチコピーは「わたしは、謎を愛する。」だった。
この「謎」とは何だろうか。そもそも「わたし」とは誰なのか。

私たちは、分からないことや謎に憂慮しつつも、同時に魅了される。この一見矛盾する心情は、日常の中に確かに存在している。
「わたし」とは、キリコ自身でもあり、私たち自身のことなのかもしれない。


鮮やかな色と暗い印象

赤、青、黄色という鮮やかな色が使われているにもかかわらず、なぜか暗い印象を覚える。
絵画の中で黒や茶色、灰色が圧倒的な存在感を放ち、絵を支配している。

この暗がりに惹かれる人と、素通りする人。この世界には大きく分けて二通りの人間がいるのだろう。
彼らは互いに分かり合うことがないかもしれない。水と油のように。


遠近感のなさと構図の妙

遠近感のなさがキリコ作品の特徴の一つとして説明されていた。
一つの絵の中で、遠近感のあるものと、そうでないものが描き分けられている。
例えば、この像はやたらと凹凸が細やかに描かれているが、空やその奥の塔はやけにのっぺりとしている、など。


創作者の心理に関心を抱く

作品を鑑賞していて、私は「それを生み出した人がどのような心理状態にあり、なぜそれを創作したのか」ということに強く関心を持っていることに気付いた。

そういえば、心を動かされた作品を見たあとは、大体その人のXアカウントかWikipediaをのぞきに行く。そして、人生に影を感じさせる人や、レールから外れた人生を送る人物には激しく心酔する。


図録と未来への願望

貧乏学生にとって図録というのは手の届かない値段だ。欲しいけれど、財布の事情を考えると心もとない。
ショップの前で5分ほど悩んだ末、後ろ髪を引かれながら1階ロビーへ続く階段を下りた。

私は今、将来を見据えてさまざまな準備を進めている。
早く芸術分野で活躍する人々や組織にお金を渡せるようになりたいという密かな願望が、最近着実に大きくなっている。
ずっと「お金はただの手段であり、紙に過ぎない」と思い、あまり望まなかった。だが、必要としている人にお金を届けたいと考えるようになった。

この展覧会に足を運んだことは、思わぬモチベーションの向上という結果をもたらした。


むすびに

つらつらと長くなってしまったが、最近思うことがある。
アートを欲する人は極端な属性を持っている場合が多い。その間くらいにいる人たちにも芸術が届いてほしい。

例えば、生きづらさを感じ、それを慰めるために芸術に触れている人や、莫大な財を持ち娯楽や教養のために芸術を鑑賞する人。
なんとなく周りを見渡すと、作品を鑑賞する人々がこんなふうに二極化している気がする。

中途半端に賢い人が「芸術なんて何の役に立つんだ」と冷笑するのは誠に遺憾だ。
お金はただの紙かもしれないが、芸術を営む人々にとっては恩恵であり、活動の礎となるのだ。

つらつらと書いてみた。これはアウトプットの練習と備忘録も兼ねているので、まとまりはないが、割と満足している。
多くの目や型を意識しすぎると創作のハードルが上がるので、眠るように、食べるように、書くことが私の生活に浸透するのを待ちたい。

今日はここまで。
ありがとうございました。

2024.11.30



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