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何かしていないと焦るあなたへ。「効率」を手放して気づく究極のリラックスのための構造

食器を洗っている時、洗濯物をたたんでいる時。
あなたは耳にワイヤレスイヤホンをつけて、YouTubeやオーディオブックを聴いていませんか?

「家事の時間だけではもったいない。何かインプットしなければ」
そんな風に、常に2つや3つのことを同時にこなすことが「よし」とされる時代です。
私もずっと、そうやって生きてきました。

特に30代の頃は、本業に加えて副業でのコンサルタントも抱え、平日はお昼ご飯を食べながら仕事をするのが当たり前。
常に脳のリソースがフル稼働していました。

当時の私にとって、何もインプットしていない時間は「損」であり、「時間を無駄にしている」という焦りを生むものでした。


今回の記事について
「家事をしながら常にイヤホンで音声を聴いている」「時間を無駄にしていると焦ってしまう」
——この記事は、そんなタイムパフォーマンスの嵐の中で全力疾走している方へ向けた、脳と心を「凪」にするための処方箋です。(約3分で読めます)



「人間」に戻るための、リハビリの半年間

そんな私が、40歳を迎えるタイミングで5年間続けた副業を手放しました。
2025年の大晦日に辞め、2026年元旦から人生が劇的に変わったわけではありません。

今振り返ると、そこからの半年間は、(表現は悪いですが)「人間に戻るための時間」でした。

・朝7時くらいに起き、夜23時くらいに寝る
・朝起きて植物に挨拶をし様子を見て水をやる
・(少食で3食は食べられないけれど)1食は納豆ご飯など、自分が欲するものをゆっくりと味わう
・仕事の合間には、30分、できれば60分はPCから離れる時間を作る
・休日はお菓子を作ったり、夫と朝からカフェに行き、仕事の段取りや未来の不安を考えない
・ヨガで体を動かし、メイクも薄くして、着飾らなくても良いと思えるようになる

そんな生活のリハビリを重ねる中、いつの頃か、朝の静かな空間には、心地よい「ジャズ」を流すようになりました。

そんな当たり前のことを、ゆっくり、ゆっくりとできるようになっていった半年間でした。

朝の光を受けながら植物を愛でる時間。
ずっとずっととりたいと思っていてようやく叶いました。


頭はインプットしたがるけれど、体が全力で拒否をする

そうして環境と生活を整えていく中で、ある異変が起きました。
朝起きた時から時間さえあれば必ず聴いていたオーディオブックが、全く聴けなくなってしまったのです。

頭では「有益なインプットがしたい」「好きな小説の続きを聴きたい」と思っています。
でも、心と体が全力でそれを拒否するのです。

無理に音声を聴こうとすると、朝ジャズをかけて整えたあの心地よい空間や気持ちが、一気に壊されてしまう感覚がありました。

その時、ふと母の言葉を思い出しました。
「自分の体と戦ったら、絶対に負けるよ」

子供の頃は「そりゃそうだろう」と頭で理解したつもりでいましたが、40歳になってようやく、文字通り腹落ちしました。

頭で考えて無理やり体を動かせば、体は必ず悲鳴を上げます。
体が「聴きたくない」と言っているなら、私がやるべきことは1つ。
素直に体の声に従うことでした。



クラシック音楽が、今の私に合わなかったロジカルな理由

音楽の選び方も変わりました。

ジャズを聴くと心が「凪」になることは体感としてわかっていたのですが、ふと「情操教育や脳へのインプットには、ジャズよりクラシックが良いのでは」という思考がよぎったことがあります。

心と体への心地よさよりも、またしても「頭(インプット)」にとっての正解を採用しようとしたのです。

結論から言うと、今の私にクラシックは全く合いませんでした。

理由は、その構造にあります。
クラシック音楽は、例えるなら「音で書かれた緻密な論文」です。
テーマがあり、展開し、最後に回収されるという、完璧に計算された「言葉のないカチッとした物語」が存在します。

そのため、クラシックを聴いていると、脳が無意識のうちに「次にどう展開するか」と全体の構造や文脈を追いかけてしまい、実はオーディオブックで小説のプロットを追っている時の脳の働き(論理的処理)と非常に近い状態になってしまうのです。

「情報を手放して休みたい」と凪を求めている今の私の体にとって、それは情報量が多く、無意識に疲労を感じてしまう行為だったのです。

反面、ジャズの多くの曲は、コード(和音)の進行が心地よく循環していて、その上で演奏者がその場のニュアンスでアドリブを乗せていきます。

クラシックのような「厳格な終わりのストーリー」に向かって進むのではなく、「今、この瞬間の心地よい響き」がゆったりとループしていく構造です。

今の私の体が求めているのは、「高尚な音楽(クラシック)」ではなく、「脳に意味の解釈を一切求めない、空気のような音(ジャズ)」だったのです。

この、脳を一切緊張させないジャズの調べをバックに流しながら、私が今、一番心地よく取り組んでいるのが「刺繍」の時間です。

情報に溢れた頭を休ませ、ただひと針の進みに意識を集中させる。
究極のシングルタスクが脳を癒やしていきます。
写真は24cmの刺繍枠で作成中のネームプレートです。


時には、好きな曲や懐かしい曲を大声で歌いながら刺繍をするのも、今ここに集中できてストレス発散になります。
ただ、それは交感神経が優位になる行為。
夜まで続けてしまうと、良い睡眠に繋がらないことにも気づきました。

夜はただ静かにジャズを流す。
すると、瞬時に心と体が「凪(副交感神経優位)」のリラックスモードに入ります。

これまで私は、「寝る数時間前にはスマホを手放してリラックスすべき」という知識はありました。
ただ、タイマーのセットなど含め、どれだけ頑張っても寝るその瞬間までスマホを手放すことができませんでした。

でも、逆だったのです。
「リラックスをするためにスマホを置く」のではなく、「体と心が心底リラックスしているからこそ、自然とスマホを手放せる」のだと。

今では努力をしなくても、ジャズを聴いている心地よさに邪魔されたくないため、スマホを見なくなりました。(むしろ見たくない、と言う感覚です)



頭で考えた「好き」と、体が思い出した「好き」

副業で自己理解のサポートをしていた30代の頃。
「もし、時間やお金が自由に使えたら何をしますか?」という問いに、私自身も散々向き合ってきました。
でも、「仮に」と頭で考えて捻り出した答えは、実際の感覚とは全然違うものでした。

本当に自分で時間を作り、何もしないことを誰にも咎められない「サバティカルタイム」のような状態を作り、私が半年かけて自然とたどり着いたのは、刺繍などのものづくりや、掃除、片付け、お菓子作りでした。

思えば、これらはすべて、小学生の頃に誰に言われなくても勝手にやっていたことばかりです。

先日、ふと昔描いた絵を思い出しました。
鳥の絵です。

頭で「自分の好きなことは何か?」と考えていた頃は、自分が絵を描くのが好きだったことなんて微塵も思い出せませんでした。
(むしろ絵を描くことは苦手だと思っていました)

でも、静かな部屋で自分でデザインを考え、刺繍の針を刺していた瞬間。
「あ、私はこうやって何かを創り出すのが好きだったな。
誰にも言わずに部屋で1人、何時間でも没頭していたな」
と、体感が蘇ってきたのです。

それは、昔描いた鳥の絵と、今縫い上げている「ネームプレート」の刺繍が30年の時を超えて私の中で見事にリンクした瞬間でした。

小学校4年生の頃、誰に言われるでもなく部屋で一人、何時間も没頭して描いていた鳥の絵。
なぜか今の今まで描いたことすら忘れていました。
でも無意識に「これは大事」だと思って未だに手元に置いていたのだと思います。


頭で考えることも大事です。
(むしろ最初は「考える」から始まるのだと思ってます)

でも、本当の本当の本当の自分の本質に気づくためには、実際に空白の時間を作り、自ら行動し、体が発する声に耳を傾けるしかありません。

もしあなたが今、「時間を無駄にしているかも」と焦りを感じながら生きているなら、それは頭が体を酷使しているサインかもしれません。

いつか少しだけ立ち止まり、頭のスイッチを切り、体の声に素直に従う時間を持ってみてください。

そこにはきっと、想像以上の「凪」の景色が広がっているはずです。



20代・30代の全力疾走が40代の凪(豊かさ)に繋がる

ここまで読んでくださった20代、30代の方は、「頭ではわかるけれど、今の自分にはしっくりこないな」と感じているのではないでしょうか。

それで、大正解です。
かつての私も、40代の先輩たちから同じような話をされた時、心のどこかで「自分は特別だから大丈夫」「その丁寧な暮らしは、今の自分には当てはまらない」と高を括っていました。

それどころか、先輩たちの小言を少し「鬱陶しいな」とさえ思っていたのです。

毎日がタイムパフォーマンスの嵐の中にいて、全力疾走している真っ最中。
スマホを置いて何もしないなんて、到底できるわけがありません。
当時の私がこの記事を読んでも、きっとスルーし、別のタスクを始めていたはずです。

だから、今あなたが「そんな悠長なこと言っていられない」と走り続けているなら、私はそれを全力で応援したいと思っています。
その全力疾走の経験こそが、未来のあなたの糧になるからです。

今回の内容は、他でもない「10年前、20年前の、たかを括って走っていた私」へ向けて書きました。

今すぐこの生き方を真似してほしいわけではありません。
ただ、これから先の人生で、あなたがふと限界を感じたとき、息が詰まりそうになったとき、「あ、あのnoteに書いてあった『何もしない贅沢』や『体の声を聞く』って、こういうことだったのかな」と、立ち止まって思い出すための、心の救命胴衣のような手紙になれば、これほど嬉しいことはありません。

暮らしの中に、自分の手で作った「愛おしい余白」を少しずつ増やしていきたいですね。


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今井萌美|暮らし愛好家・人材育成コンサルタント 応援、心から感謝いたします。あなたの応援を励みにこれからも楽しく、また少し役立つ記事を書いていきます。

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