春眠暁をおぼえず、物欲曙を仰ぐ。
孟浩然は予想していただろうか。
2026年になっても、自身の言葉が受け継がれていることを。
「春眠不覚暁」
春の訪れを的確に表す秀逸さで、すさまじい共感を呼ぶ。
そしてそこに日本の先人たちの感性も加わって、このフレーズはもはや時代を超える発明だ。
「春眠不覚暁」(しゅんみん ふかく ぎょう)、
一見すると、だけでなく音でも硬い印象も受ける漢詩を、「しゅんみん あかつきを おぼえず」となんともやわらかく、『日本的な情緒』を含む響きにした功績も私は勝手に讃えたい。
抵抗しようとする気持ちさえ起こらないほど心地よいまどろみは、「しゅんみん あかつきを おぼえず」という日本語の音でしか拾えないと思う。
私は冬が嫌いだ。寒さはすべての気力を奪っていく。身体も心も重苦しい。なんなんだ、アイツは。
時々、ふしあわせの元凶は冬じゃないかとさえ思う。
それが「春眠暁をおぼえず」を体感すれば、春だ、すぐに夏だぞ、と思えるのだから私はかなり単純だけれど。
春の眠りの心地よさに勝てるものがあるだろうか。……ありそう。
しかし、その最上の心地よさとも言えるすぐ隣で、安らぎをぶち壊しかねないものがある。
眠気という本能を置き去りにして、完璧な発明をもってしても抑えきれない。
「物欲」だ。字面通り、物が欲しい。
まどろみの中、暁にも気づいていないというのに、物欲はとっくにパッチリと目を開いて暁を仰ぎ見ている。
身体も頭もうとうとぽやぽやとしているのに、勝手に走り出して飛び跳ねている。
春一番も吹き飛ばしそうなほどに大暴れしているのだ。
そして冬が嫌いなのに、春が近づくにつれて湧き上がる世間のウキウキとした雰囲気も、どうにも苦手。
なのに物欲だけはちゃっかりと世間に乗じているのが妙に悔しい。
身軽そうに見える春服。気分を変えられそうなデスク、チェア。気持ちよい気温で落ち着いて読めそうな気がする、おもしろそうな本。使い道は思いつかないけど「可愛い!」「素敵!」と思うもの。
視界に入ってくる春めきに、気持ちと指先が残酷なまでの敏感さと俊敏さで反応している。冬の間あんなにもどんよりとしていた私はどこへいったんだ。
はっきりと公言していないけれど、実は今年の目標として「部屋のものを減らす」をひっそりと掲げている。ああ、言ってしまった。
実はすでに心折れそうではあるけれど。ほんとーーうに少しずつでも減らす心がけをしている。つもり。プラマイゼロになることがあったとしても……
まさに理性と欲求の闘い。見逃せない。
お願いだ、理性に勝ってほしい。なのに、素直に欲求に従ってもいいんじゃないのぉ、なんてことも脳みそのどこかから援護は飛んでくるので困ったもんだよ。
けれど、この「物欲の暴走」もある意味では「生命力の芽生え」だとしたら。
気持ち良いまどろみの中で、力強く目覚めた本能だとしたら。
それを叶えてあげるのも——
いや、いったんおちつこう。
今のところ少しだけ理性に軍配が上がりそうかもしれない。
2026.04.16 もげら
プラマイゼロの話:
