産後うつになりかけた2年前の私のモヤモヤよ、サヨナラ!
第1子の出産は私にとっては「感動」や「喜び」よりも、正直しんどかったという思いが上回っていた。
出産と同時に母性がうまれるなんて全くの幻想だった。
出産直前に新型コロナに感染し、発熱及び激しい咳が続く中で破水。幸いかかりつけの病院で出産はさせてもらえることになったものの隔離の為、分娩室ではなく通常の病室で、12時間以上の陣痛中も大半の時間が1人という状況。(何度かナースコールを押して、やっと助産師さんが様子を見に来てくれた)
医療従事者への感染予防の為、私の病室に入る度に完全防護服着用が必要な時期だったので仕方ないと頭では理解しつつも、初めての出産で体調が悪い中とても心細かった。出産時もマスク着用した状態で酸素マスクを付けなくてはならず、これもまた息苦しかった…
最後は吸引分娩で無事産まれてきてくれたものの、赤ちゃんに一切触れることも出来ず、わずか10秒ほど顔を見せてもらい、あっという間に別室に連れて行かれた。
その後はあらゆる処置をしてもらうものの大量出血が止まらずに、大きな総合病院に救急車での緊急搬送→手術し入院→元の病院に戻るという想定外が続き、心身ともにズタボロだった。赤ちゃんは出産した病院に預かってもらったままで、ようやく初めて対面出来たのは出産後5日経ってからだった。夫を含めその間は家族に会う事も叶わなかった。
そんな想定外の出産だったので、途中の記憶すらも曖昧で、正直、本当に産んだのか?と思うほど、なんだか現実味がないものだった。
退院後も体調が優れずに座るのがやっとと感じる日々が続いた。さらに、私の妊娠中に正式に認知症と診断された実母が、ついに私が出産したことも認識出来なかったことが私を打ちのめした。かつて私をいつも心配し気遣ってくれた母の精神的な不在を突きつけられ、私は出産した瞬間から「母」という役割を求められているのに、(もちろん私の場合は望んで子どもを授かったけれど)自分にはもう甘えられる親がいないという現実は、辛く悲しかった。
こうした背景やホルモンバランスの変化から?、産後で疲労困憊なはずなのに、赤ちゃんが眠っていたとしても、私の頭が全く休まらずにほとんど眠れない日々が続いた。睡眠不足はさらに精神状態を悪化させ、「本当にこんな状態で子育て出来るのか」「もう以前のように元気な自分には戻れないのではないか」と不安ばかりが押し寄せ、マタニティブルー、産後鬱の検索魔と化した。
友人が会いに来てくれると言ってくれたのでさえ、億劫で、もしかしたらその時間に少し寝れるかもしれない…と会うのも避けた。「新生児期は特別最高!一瞬で終わってしまうから、楽しんで」と励ましてくれるお祝いメッセージすらもまたその時の私には、「その新生児期を全く楽しめていない…」と落ち込ませた。
退院1週間後の健診の際に、担当助産師さんに「子どもは社会みんなで育てるものなんだから、あなたが1人で背負わなくていいから大丈夫よ」と励まされた。私の内心は「それはわかってる。でも現実問題として、今新生児の赤ちゃんを誰かが代わりにみてくれる訳ではないじゃないか…」と思っていた。
前置きが長くなったが、結局は睡眠薬と抗不安薬を兼ねた薬を処方してもらい、短くとも深い睡眠が取れるようになったことで、徐々に身体が楽になり精神的にも落ち着いていった。実母が、私の子どもだと認識出来ていなくとも、目の前の赤ちゃんを可愛いと思っているのは態度から伝わって来たので、それで十分だと自分なりに少しずつ心に折り合いをつけた。子育ては、自分の体調が改善するまで、まずは生命維持さえ出来ればいいと割り切るしかなくなかったので、思うように抱っこしてあげることすらも出来なかったし、写真を撮る気力がなくあまり残せなかった。
この頃のことを時折思い出しては私を再び暗い気持ちにさせてきたモヤモヤを、やっと言葉にすることが出来た。これを機にモヤモヤにはそろそろ成仏してもらおう。
第1子出産からまもなく2年。この間に、第1子が私を少しずつ母にしてくれた。なぜ泣いているのかわからずに私を途方にくれさせ、体調を崩しては心の底から心配させ、離乳食を全く食べなくては私をがっかりさせた。でも、そんなこと全てが取るに足らないことに感じるほどに、これまで私の知らなかった世界があることを日々教えてくれ、新しい喜びを与えてくれた。それらは、驚くことにどんどん大きくなっていく。
あの時の私へ。「大丈夫。元の元気な自分に戻るのではなく、出産前には想像もしなかった幸せな自分が待ってるよ」
