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不育症を越えて[体験談]

こだわりすぎないということ

 夫は、低い悲鳴をあげて、床に崩れるように膝まずいた。名古屋市立J総合病院、産婦人科前の廊下で。その日、私は、夫に伝えなくてはならなかったのだ。「先週まで元気だったお腹の赤ちゃんが、今日、心音が確認できなくなった。」と。
 私は、これまでの流産の経緯から、当時にしては珍しい不育症専門の医師のいる他県の病院に、妊娠が判明すると同時に入院しながら、治療をしていた。名古屋市立J病院の不育症専門の先生に不育症の相談メールを送った際に、「必ずやあなたの赤ちゃんをその胸に抱くことができますよ。」と返信を下さったのだ。私の症状は、本来は自分の体を守るはずの NP細胞が、赤ちゃんを誤って攻撃してしまうことによるものだと診断され、投薬治療を行っていた。昨日までは、元気な心音が確認されていたのだ。
 「まさか、また、こんなことになるとは。」
と、私自身も状況を理解できずにいた。でも、崩れ落ちる夫を目の当たりにし、その3回目の不幸せを受け入れるしかなかった。その日、夫とどんな会話をしたのかも、お腹の中で亡くなった胎児をどのように体の外に取り出す手術をしたのかも、何もかも記憶になかった。
 唯一、残ったのは、
「私は、あと何回、悲しいチャレンジをしなくてはいけないのだろうか。」
という、問いであった。

 自宅に戻った私は、少しの休養を経て、職場に復帰をした。教員だった私は、職場での激務が待っていた。授業に、行事に、部活動、そして、生徒や保護者の対応などやることは、無限にあった。実は、不育症の原因は、ストレスなのだという。だが、この仕事を続けている限り、ストレスを軽減することは不可能に思えた。忙しい日々に、流産の悲しみも、悲しみ方すら忘れていた頃、病院で同室だった不育症仲間から、応援のメールが届いた。「次はきっと大丈夫!」次のチャレンジはどうしたらいいだろう。気持ち的にはしばらく時間がかかりそうだが、体力的には先伸ばしにできない年齢になっていた。高齢出産と言われる直前、ぎりぎりの年齢であった。
 幾度かの流産のため、悲しみには蓋をして、考えないようにする癖が身についてしまった。涙が出るから、考えない。悲しみに押しつぶされそうになるから、仕事で忙しく過ごす。できるだけ、現実から目を逸らす努力をしていた。一番知りたいことは、次は、無事に妊娠して出産まで辿り着くのだろうか、ということだった。

 「妊娠・流産」の不のループはいつ終わるのか知りたくて、当たると評判の占いにも行ってみた。高額な祈祷を勧められたこともあった。気持ちは不安定さで揺らいでいたが、それでも、断る判断力だけは忘れていなかった。
 そして、また、神社への参拝の効力を教えてくれた知人がいた。箱根にある九頭龍神社での、正式参拝はかなり効力があるとの話であった。藁にもすがる気持ちで、私達、夫婦は、迷わず九頭龍神社に参拝することにした。初めて、神社への正式な参拝方法について調べてみた。鳥居をくぐる際は一礼して隅から入る。自分の名前や住所を事前に神様に伝える。神殿の中で正式に御祈祷を受けるのが良いという。感謝を伝え誓願するのだ。
 早速、次の週末に九頭龍神社を訪ねた。芦ノ湖の深緑色の木々を背景に、湖岸に唐突に表れる朱色の鳥居は、厳かで美しく、「神様っているんだな」と思わせてくれものであった。正式参拝者は、白い装束を着用し、御祈祷に臨んだ。神主さんが、自分達の住所や、祈祷の願いを読み上げた。このとき私達、夫婦は、もう次のチャレンジを考えていた。その道の最高峰の名医がいる病院での再チャレンジだが、前回の悲しい出来事もある。科学の力だけでは解決できないのなら、あとは神様にお願いするより他はなかったのだ。毎日、毎日、無事の出産を祈った。そして、これまでは、夫が長男であったことから、生まれてくる子は、男の子でなければらならないと考えていたが、ふと、もう男の子にこだわるのはやめにした。
 男の子でも女の子でも、生まれてきてくれるのだから、どちらでもいいと思う自分になっていた。そう思うと、なんだか心が軽くなった。

 それから数ヶ月後のある夏の日、妊娠が判明し、私は再び、名古屋市立J総合病院に即入院となった。入院となったその日から、始めたことがある。毎日、お腹の中の赤ちゃんをはっきりイメージするために、日記に赤ちゃんの似顔絵を描き、毎日毎日、日記の中で赤ちゃんに語り掛けた。何か願い事を叶えたいなら、具体的にイメージをすること、と読んだことがあったからだ。そして、流産につながりやすい不安な8週を超えて9週を迎え、10週となった。そして、その後も赤ちゃんの心音は元気に鼓動を続け、いよいよ私達夫婦は、切望した赤ちゃんを胸に抱くことができた。あの時、J総合病院の先生が送ってくれたメールのように。

 私は、自分自身が気付かないうちに、「男の子を生まなくてはならない」「仕事は完璧にしなくてはならない」という目に見えない何かで可能性を閉ざしてしまっていたのかもしれない。その「こだわり」が解消されたとき、我が子に出会うことができた。そして、人よりも長く、子宝を望んでいた分、子育ては、とても楽しく幸せなものだと感じている。今、娘は中1と中3でそれぞれに部活動や受験勉強などに取り組んでいる。子供たちには、「AでもBでもどっちでもいいよね。」ということを伝えている。
 何かを成し遂げる際に「こだわり」は必要かもしれない。でも、「こだわりすぎない」ということが大切なのだと、私は思う。

最後まで、
読んでくださってありがとうございます ^_^
あなたにとって今日がますます輝きますように🍀