小説「ヤングケアラーな私の闇は深くて愛しい」第6話[放置してはいけない闇は]
第6話
祖母は靴を玄関に残したままいなくなった。こんなことは初めてだった。私と稑は、手分けをして祖母を探しに出掛けたが一体どこを探したら良いのか分からなかった。とりあえず、母に祖母が行方不明になっていLINEで知らせ、私は家から東側を、稑は西側を探すことにした。家から東側には、駅や小学校がある。西側にはいつもよく行くスーパーや薬局、中学校などがあった。
祖母は何か用事を果たそうと出掛けたのだろうか?それとも、散歩でもしようと思ったのだろうか?でも散歩をしようと思ったのなら、靴を履いていくはずだが、何も履かずに出掛けるほど急な用事ができたのだろうか?
私は、自宅から駅、そして小学校へ続く道をあてもなく探した。途中で近所の人に出会うと祖母を見掛けなかったか声を掛けた。結局、祖母を見付けることができずに小学校に到着してしまい落胆した。小学校の近くには交番があったことを思い出し、せっかくここまで来たのだから直接交番に行って祖母が行方不明であることを相談しようと思った。重い足取りで歩いてると
「うのちゃん」
佑の声がしたような気がして顔を上げた。すると、佑が祖母の手を引いて目の前に立っていた。下を向いて歩いていたから声を掛けられるまで気が付かなかった。
「佑くん」
「あの後、公園の前を通ったら入口付近で転んでいる人がいて、声を掛けたらうのちゃんのおばあちゃんだったよ」
「あら、みち子じゃないか。うのちゃんの帰りが遅いから探しに来たんだけど、このお兄さんがとても親切でね」
祖母は、また私のことを母のみち子だと思っている様子だ。靴を履かずに出掛けた祖母のくつ下は泥だらけで、転んだ時に怪我をしたのか足から血を流している。
「帰りが遅いってどういうこと?」
「いつも学校から帰ってくる時間になっても帰って来ないから、誘拐でもされたら大変。迎えに来たんだけど見付からなくてね」
恐らく祖母は、記憶が昔に戻ってしまっていて、孫の私はまだ小学生だと思っているのらしい。小学生の頃、帰りが少し遅くなると私のことを心配して迎えに来てくれていたことを思い出した。私のことをみち子だと思い込んでいる時に、「娘の『みち子』じゃなくて、孫の『うの』だ」と伝えても全く聞く耳を持たないことはこれまでに学んでいる。
「うのはさっき家に帰ってきたわよ」
と母になりすまして試しに祖母に伝えてみると、祖母は安堵の表情を浮かべた。祖母の記憶は壊れかけている。けれども孫を心配するような心情はどこかに残っていて、無事だと分かり安心もしている様子だ。私は、嬉しいような哀しいような複雑な心境になった。
「うのちゃん、大変だね。僕も家まで一緒に行くよ」
佑の申し出がとても心強く、遠慮なくお願いすることにした。最近、佑を頼りにすることが増えている。これまでは、誰かに頼ることができなかった。でも今は、誰かを頼りにしないと自分が壊れてしまいそうだ。もしかしたら既に壊れかけていて、心の闇を佑に埋めてもらっているのかもしれなかった。
祖母は佑と手をつないだままだった。反対側の祖母の手に私が触れると
「おや、みち子。今日は、やけに甘えん坊だね」
と言うのでどう答えていいか分からずに黙っていた。
「みち子は長女だからしっかり者でね、母さんに甘えることなんて一度もなかったよ」
と言いながらつなごうとした私の手を振り払った。私のことを娘のみち子だと思い込んでいるのだから、祖母は娘と手をつなぎたくないのだろう。それでも私の心は衝撃を受けた。どんな母と娘だったのだろうと想像した。母も長女だから親に甘えずに育ったのかもしれないと、長女である自分と重なった。
「さあ、家まで送りますよ」
佑が優しく声を掛けた。祖母はなんだか嬉しそうにはにかんだ。私は佑と祖母が手をつないで歩いている後ろから黙って後を付いて行った。
祖母が孫の私に見せていた姿と、我が子である母みち子に見せていた姿はどうやら違うのだろうと伝わってきた。一体この親子にはどんなわだかまりがあるのだろうか?祖母は、孫の私に接する時はいつだって優しく、思いやりに溢れているおばあちゃんだったとういうのに。母に祖母との関係について聞いてみたくなった。
家に到着すると、私は佑にお礼を言った。佑はさわやかな笑顔を浮かべて、何事もなかったかのように帰って行った。私は心も体も、疲れ切っていた。こんな大変な日にも、連絡しても母は帰って来なかった。私はその無神経さに母を恨みたくなった。弟の稑に、祖母が見付かったいきさつを話すと「ねえちゃん、いよいよ僕たちだけでは難しいな」
と言った。それは、私が思っていることと全く同じだった。私も稑も、自分にできることの限界が来ていることを知った。
翌朝、私は学校に行く気にならなかった。学校に行っている間に、また祖母がいなくなるのではないかと心配した。「心配した」という表現は正確に私の気持ちを表していないのかもしれない。「行方不明になった祖母を探すことが恐怖だった」のかもしれない。そのくらい、祖母を探すのは不安で大変なことだったのだ。徘徊の始まりなのかもしれなかった。
私は稑を小学校へ送り出し、祖母にいつものように食事の介助をしてようやく朝食が終わった。私は祖母がまた一人でどこかに行かないように、玄関の鍵を二重にかけておいた。朝食を食べる気にすらならなかった。
今日は佑が応援団団長に決定したかどうか投票結果が出る日だったので、本当は学校に行きたかった。でも、そんな気力は朝になっても湧いては来なかった。母は、昨日の祖母の行方不明の件について、一言「ありがとう」と言っただけで、詳しい事情を聞いてくることもなく、対応を一緒に考えてくれる様子でもなかった。やっぱり母は、変わってなんかいない。自分本位で、私のことを家事や介護を任せる便利な人くらいにしか思っていないのだろう。私の中学校生活はどこへ向かっているのだろう?
抜け殻のようにソファの上に横になった。そのまま眠ってしまった。
しばらく経つと、けたたましい音で目が覚めた。玄関の方から音がする。押し売りでも来たのだろうかと心配しながら見に行くと、祖母がドアを内側からガンガン素手で叩いていた。叩いている手には血が滲んでいた。痛みを感じていないのかもしれない。普通ではありえないような大きな音がしている。どうしても外に出たくなったのだろう。衝動的な欲求が行動を支配している。
「おばあちゃん、もうやめて!」
と叫びたかった。でもこんな時、こちらが大きな声を出すと余計にエスカレートしてしまうことを体験から知った。私は祖母の肩を優しく撫でた。こちらを振り向いたので、
「おばあちゃん、おやつにしよう」
と震えながら言った。祖母の心が壊れていくのが恐かった。あんなに暴力的な様子でドアを叩いていたのに、叩いていたことすら忘れてしまったかのように
「うのちゃん、おやつかい?」
と突然こちらの話題に乗ってきた。祖母は自分にとって都合が良いことと、都合が悪いことをよく理解している。痴呆は「自分にとって都合の悪いことから忘れていく」と以前、どこかの専門家が言っていたのは一理あるなと思う。私は柔らかい蒸しパンとお茶をテーブルに用意した。祖母はさっきとは別人のように落ち着いた様子で蒸しパンを美味しそうに食べた。
「うのちゃんは、みち子とは違って優しい子だね」
と母の悪口を言った。最近、祖母は自分の感情の蓋も外れてしまった様子で、時々思い出したように自分の娘の悪口を言うようになっていた。私にとっては、祖母が母の悪口を言うのを聞いていることになる。一緒になって、母の悪口を言うことだってできた。でも、そんなことをしても何の解決にもならない。この介護の闇から抜け出すにはどうしたらいいのか、誰かに教えて欲しかった。祖母は、昼食の時も、午後の昼寝も穏やかに過ごしていた。昨日の徘徊や、今朝ドアを内側から叩いていたことが、まるで嘘のようだ。
この日から、また私は学校を欠席するようになった。
学校を欠席して数日が経った或る日の夕方、インターホンが鳴った。来客のない家なので、不審に思いながら応対すると担任の村松先生と、もう一人女性が訪ねて来ているのが分かった。村松先生とその女性を玄関に通した。村松先生は、祖母の徘徊の話を佑から聞いて、心配して来てくれたようだ。もう一人の女性は、SSW、スクールソーシャルワーカーという役割の人らしい。村松先生の説明によると、学校と社会をつないで生徒が抱えている問題を解決に導いてくれる人のようだ。村松先生は、一学期に私から介護で困っている話を聞いて、何度も母に面談に来るよう勧めたらしいのだが仕事が多忙であることを理由に断られていたのだという。そこで、今日は直接、家庭訪問をして話を聞きに来たらしい。私は、リビングに入ってもらった方が状況が伝わるのではないかと思い、二人をリビングに案内した。ちょうど祖母がぶつぶつ独り言を言いながら家の中を徘徊していた。リビングのソファに知らない人が座ったためか、祖母は落ち着かない様子だった。そして私に
「みち子、なんで勝手にお客を家に上げたんだい?さっさと帰ってもらいなさい」
と私のことを自分の娘だと思い込んで乱暴な言葉で話し掛けている様子を見て二人は少し驚いたようだった。祖母は、見たいテレビドラマが始まる時間になると自室に戻り、大音量でテレビを見始めた。
祖母が行方不明になった出来事や、母親が介護に全く協力しないことを二人に話した。私が困っていることに、こんなにじっくりと耳を傾けてくれる人がいる。心の中の黒い塊が和らいでいくのを感じた。私の心のパレットにはもう、黒と灰色しか残っていなかった。話をしているうちに、私はいつの間にか涙で頬を濡らしていることに気付いた。「誰かに聞いて欲しい」という欲求が満たされて、心があたたまっていくのを感じた。
私の心の闇は、自分ではもう、どうすることもできない。その黒い闇を、僅かに光で照らすことも、その闇を自分の手で塞ぐこともできない。
以前は、母親との確執という中学生なら誰にでもあるような思春期特有の闇だったから、やがては埋まるはずのものだった。でも、祖母の介護によって生じた闇は、深すぎてそのまま放置してしまうと、私の人生全てを呑み込んでしまう。得体の知れない闇なのだ。
だから、誰かが手を差し伸べてくれた時には、その手をしっかりと受け止めて、全力で助けを求めに行くことを忘れてはならない。そうでもしないと決してその闇からは脱出できないのだと誰かが教えてくれているように感じた。それは直感というものなのかもしれなかった。
SSWの女性は、ケアマネージャーさんに我が家の介護プランの見直しを依頼して、中学生である私の介護の負担が減るようにしていきましょうと心強い言葉をくれた。心が軽くなった私は、明日は学校に行こうと誓った。
ところが深夜、家族の誰もが寝静まった頃、あのドアを叩く大きな忌まわしい音が聞こえた。ひとしきり鳴った後、今度はドアが開く音がした。
私は、眠い目をこすりながら、祖母の部屋が空になっていることを確認して、稑と母を起こし事情を説明した。三人で、外に出掛けたであろう祖母を探しに行った。深夜だったので、三人で一緒に祖母を探して歩いた。団地の路地や、それからこの前祖母を発見した公園への道を懐中電灯を照らしながら歩いた。
すると、その公園に向かう途中の家で、玄関の呼び鈴を押している祖母の姿を発見した。その家は、私が小学生の頃よく遊びに行った友達の家だった。祖母は恐らく、また小学生の頃の私を探しに行っているつもりなのだろう。祖母が深夜にも関わらず呼び鈴を鳴らし続けたため、その家の人が出て来た。申し訳ない気持ちで終始うつむいていたから、私は目を合わすことはできなかったが、それは懐かしい友達の母親だった。母が事情を説明して、お詫びをした。
私たち親子は、惨めな気持ちでその家を後にして祖母を連れて帰宅した。帰宅した時刻は、午前二時だった。明日、学校に行けるだろうか?不安になった。
