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小説「ヤングケアラーな私の闇は深くて愛しい」第7話[生きたいように生きられない人生なんて]

第7話

 翌朝、珍しく母は仕事を休むと言い、祖母の朝食介助をすると申し出た。私は喜んで母に任せ、学校へ行く支度をした。本当は昨夜のことがあり、学校に行きたい気持ちは薄れていた。でも昨日、佑にLINEで「祖母の徘徊のことを村松先生に報告してくれたことのお礼」と「明日は学校に行って、佑が団長になって活躍する姿を見に行きたい」と送ってしまっていた。だから、なんとか登校だけはしてみようと思った。
 季節は、初秋の風が吹く頃、体育大会まであと二日となっていた。
 久しぶりに登校した学校は、あちこちに体育大会のポスターが貼られたり、応援で使う道具が作られていたり、体育大会一色となっていた。活気づいた楽しい学校の雰囲気とは裏腹に、私は、重い暗い気持ちを引きずっていた。昨夜、祖母は深夜に徘徊して、他人の家の呼び鈴を鳴らし続け、その家の人に迷惑をかけてしまったのだから。私の気持ちが学ぼうとしていなくても、もちろん授業は進んでいく。一時間目数学、二時間目理科、三時間目社会、内容をよく理解できずにただ座っているだけの時間は、拷問に等しかった。ようやく午前中最後の国語の授業が始まった。

「森山うの、寝てるのか?」
私は国語の先生の大きな声でびくっとした。
「起きてます・・・・・・」
 説得力のない気の抜けた声で答えると、周囲からどっと笑い声が起こる。
「森山、疲れているのかもしれんが、ここテストに出るからしっかりノートに書いとくように」
「はい・・・・・・」
 私は、返事をするのが精一杯だった。昨夜もほとんど眠れなくて、睡魔と闘っていた。国語の先生のまったりとした声を聞くと、眠気は最高潮に達したのだった。その日の国語は、体育大会明けの中間テストの範囲である古典を習っていた。久しぶりに聞いた古典の内容は難しくて、なかなか頭に入ってこなかった。
 祖母の介護が始まる前は勉強好きだったのにと思いながら、親友の眞由子とランチルームへ移動した。眞由子は、私のことをずっと気遣ってくれている。欠席した日は必ずLINEでその日の学校の様子を伝えてくれた。だから久しぶりに会っても、いつも通りに接することができた。
「うのちゃん、さっきやばかったね。寝てるのバレちゃって」
「そうなの。みんなの前で名前呼ばれて、恥ずかしかった」
 話をしながら歩いていると、佑が後ろから走って来た。
「大丈夫?昨日も眠れてないの?」
 と佑が声を掛けてきた。
「昨日もね、おばあちゃんが夜中に外に出掛けそうになって止めるのに必死だったよ」
 私は、笑い話でもするかのように軽い感じで伝えた。
「無理しないでよ」
 佑はそう言って私の頭を撫でた。少し顔が赤くなっていくのが分かった。
「大丈夫だよー。心配症だな、佑君は」
 心配させたくなかったから明るく言った。
 私はついこの前まではまあまあ優秀で、今も学級副委員長なんかやっているはずなのに、学校を休んでばかりいた。授業の内容は、夏休みに頑張ってみたけれど進度が速くて、なかなか追いつかない。佑君は一緒にK進学高校に行こうと誘ってくれた。勉強まで教えてくれているのに、やっぱり自信が持てないでいる。勉強したい気持ちはあっても、集中して取り組むことが難しい。このままだと、大切な佑との約束を果たせなくなってしまいそうで、自分のことが嫌になった。
 午後の授業は、五時間目の僥倖の練習と、六時間目の応援練習だった。私が休んでいるうちに、練習は毎日、毎日進んで行き、取り残されてしまっていた。もうみんなについて行けない。僥倖も、応援も雰囲気で乗り切るしかなかった。
 僥倖は、部活ごとの手具を使って二人組でボールをはさみリレーするといったものだった。部活ごとに集まって練習をした。私は休部したものの女子テニス部だったから、ラケットでボールをはさみ、数十メートルを走ることになった。途中で落としてしまうと、スタートの位置からやり直しになる。私と眞由子は慎重に走った。でも、今日が初めての私は、何度もミスをしてボールを落としてしまった。いつも親切に仲良くしてくれる眞由子に申し訳なかった。
「ごめん、眞由子。何度もボール落としちゃって」
「いいよ! 私もバランス崩しちゃってる」
 眞由子は笑いながらボールを拾って、何度も一緒にスタート位置に戻ってくれた。
 次の時間は応援の練習だった。赤組と白組と青組に別れて、応援のエールを披露し合い、どの組が一番良かったかを競うコンテストがある。そのために、何時間も掛けて練習を積み重ねている。
 うちのクラスは青組で、団長は佑だ。初めて見る佑の団長姿は、力強い頼もしさに溢れ、凜々しかった。求心力のあるリーダーそのものだ。学ランに群青色のはちまきを締めて、グラウンド中に響き渡る張りのある声で応援をする佑。ぎりぎりまで腰をかがめて、後ろに背を反らし、右腕を伸ばし、左腕も伸ばし、指先まで神経を集中させている姿はとても美しい。佑を見ているだけで、自然に笑顔になってしまう。私にとって佑は大切な存在だ。その姿を見ているだけで癒され、元気になる。私に限らず、佑に惹かれる人は多い。団長として頑張っている佑の姿は、私に勇気と希望を与えてくれると同時に、佑が遠い人のようにも感じられ、淋しい気持ちにもなった。

 青組のみんなは佑のやる気に押されて、応援歌やエールの声が自然に大きくなり、力強いものになっていた。応援歌に合わせた振り付けは、三年生が考えたものを下級生に教えて、みんなで練習をしている。流行歌はやりのうたに合わせて、振り付けをしたダンスをすることは、中学生にとって勉強するのとは違い、とても楽しい活動だった。その振り付けの動きを青組全員で一糸乱れぬよう揃えようと練習をしていた。
 みんなの前で踊る佑の額には汗が滲んでいたが、それを全く気にする素振りもなく、一心不乱にダンスと歌に集中していた。青組の全員が佑の動きと声に合わせて踊る。群青色のはちまきも躍動し、一体感が生まれていた。
 その一体感の中で、今日が練習初めての私だけ、ぎこちなかった。学校を休むことで、みんなと同じように活動することが難しくなる。心の距離ができてしまう。がんばって久しぶりに登校してみたところで、その疎外感に耐えられなくなる。私は、団長として頑張っている佑に、迷惑だけはかけたくなかった。私のことを理解してくれる大切な佑に、このままだと勉強でも、応援合戦でも迷惑をかけてしまいそうだった。
 下校の時間になると、普段は佑とを待ち合わせをして一緒に帰っていたのだが、この日は一人で先に帰ることにした。佑に合わせる顔がなかった。帰り道を歩く足取りは重く、介護をしている時よりも、心も体も頭も疲れてしまっていた。私は何処をどう歩いているのかも分からなかった。

 もう何も考えることができなかった。
「何もかもが嫌になった。生きたいように生きられない人生なんて」
 気が付くと、電車が真下を通る橋の上まで歩いていた。橋の欄干に登って、そこから身を乗り出して欄干の向こう側に行けば、全ての嫌なことから解放される。自由になれる気がした。早く楽になりたい。真下に落ちさえすればいいのだ。簡単にできるはず・・・・・・。

 私は欄干から、上半身を思い切り乗り出して真下を覗いた。足がガクガク震えてきた。覗き込んだ向こう側は、在来線なのに思ったよりも速い速度で列車は轟音と突風と共に一瞬で走り去って行く。通過していく電車に落ちるだけ。そう思ったのだが、自分の心の準備が間に合わず、ただ落ちていくことすらできなかった。呼吸は浅く速くなった。手も足も震えが止まらない。

 さっきまで「死にたかった」はずなのに「死ぬことは恐怖」だと感じている。「臆病」だったから命をなくさずに済んだ。欄干から乗り出していた上半身を慎重に内側に戻した。身を潜めて路上に座りこんだ。路上に座りこんで動けなくなっている私を、誰かが呼ぶ声がした。

 佑の声だった。村松先生も一緒だ。後から眞由子もやって来る。
「うのちゃーん!大丈夫?」
 佑の声は大きくてよく通る声だ。
 村松先生が駆け寄ってきて、私の肩にそっと手を載せた。
「どうしたの?大丈夫?うのさん」
 約束の場所に来なかったことから佑が心配をして、みんなで私を探していたのだという。橋の付近に来たら、私が危なげなことをしているのが見えて慌てて駆けつけたのだ。
 先生は、私がした行為を責めずに話を聞こうとしてくれている。眞由子は私の手を握りながら泣いている。佑は、いつものように優しく私の頭を撫でていた。死にたかったことが、みんなに伝わってしまっただろうか?
「うのちゃん、死んじゃだめ。死んだら嫌なことだけじゃなくて、全ておしまいになっちゃうから。楽しいことも、嬉しいことも全部」
 眞由子が泣きながら言った。
「ねえ、うのさん。学校に戻って落ち着いてから、おうちの方に迎えに来てもらいましょうよ」
「先生、でも母はきっと仕事で迎えに来ることはできそうもありません」
 と言ってからそう言えば母が今日は仕事を休んでいたことを思い出した。
「うのさん、遠慮しなくていいの。あなたは守られるべき子供なのよ。お母さんが来るまで、一緒に待ちましょう」
「あ、先生、そういえば今朝は珍しく仕事を休むと言っていたことを、今、思い出しました」
「なら良かったわ」 
 母が、あのまま仕事を休んで家に居てくれたらいいなと思った。
「さあ、僕がうのちゃんを背負って学校まで戻るよ!ほら」
 佑は、背中に乗るようにとジェスチャーをした。私は、みんなの前で恥ずかしいと思う余裕もなく、言われたままに佑の背中を借りた。眞由子は私の持ち物を全て持ってくれた。佑の背中に自分の頬を預けると、とても安心できた。私にはお父さんがいないけれど、もしかしたらこんな感じなのかもしれないと思ってしまうほど、佑の背中は広かった。背中のぬくもりを通して佑の優しさが伝わってくる。私の冷えた心を温め続けてくれた。みんなの前で堂々と活躍している佑の姿を見て、遠い存在のように感じてしまったけど、佑はいつでも変わりなく接してくれている。色々思うようにできないだめな私のことも、佑はそのまま受け止めてくれるような気がした。もっと、信じてみたいと思う。
 親友や先生のことも、もっと頼りたい気持ちになった。佑の背中に背負われて学校に行くまでの時間は私にとってかけがえのない特別なものになった。私の深い闇は、周囲の人達がそれぞれに少しずつ満たしてくれている。自分で埋めようとしなくていいのだ。ただ、周囲に「助けて」と合図を送ることだけが私にできることのような気がした。

 学校に戻ると、応接室へ案内された。佑と眞由子ももう少しだけ一緒に居てくれるのだという。村松先生は、母に連絡をしに職員室へ行った。