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【小説】「桜華―あなたの声が聴きたくて―」#6 第六話


 十五時の時報が鳴ると、実習の最終プレゼン発表が始まる。駿と研修室へ向かっている途中、慌ただしくからのストレッチャーが運ばれていくのが見えた。誰のところに行くんだろう……。

「急変したのかな」
 駿が心配そうな面持ちでつぶやいた。
 この施設は、主に高齢者が利用しているから、「急変」は「死」と隣り合わせなのだ。気掛かりなまま研修室へ入ると、細田看護師の表情が暗かった。

「松本さんがね、誤嚥性肺炎でお亡くなりになりました」
 松本さんが……私は息をのんだ。彼がバイク旅について楽しそうに語っていた姿が思い浮かぶ。

「昨日、あんなに元気だったのに……」
 担当だった駿は、驚きを隠せなかった。駿は研修室の椅子にうなだれるように座り、肩を落とし下を向いている。

「高齢者の場合、肺炎になっても、熱も激しい咳も出ない場合も多くて……。いつの間にか感染して、そっと息を引き取られるケースがあるのよ」
 細田看護師が声を掛けてくれた。あまりにも落胆している私たちを、気遣ってのことだろう。涙が滲んで、頬を伝っていく。

 松本さんとは関わりのなかった他の研修生も続々と集まってきた。それぞれの実習中の出来事を、笑顔を浮かべながら話している。ここにいる全員が「死」に立ち合う仕事を選んでいる。

 十五時の時報が鳴ると、会場が静まり返った。細田看護師はいつもと変わらない表情で、レクチャー台の前に立っている。
 人の命は重い。時が進んでいくことは無情のようで、無情ではない。誰かの死を悼んで、時を止めることはできないのだから。

「それでは、研修会最後のプレゼン発表を行います」
 細田看護師の言葉が、会場に響いた。
 発表から、実習生ひとりひとりに、それぞれの五日間があったことが伝わってくる。人として、医師を目指す者として、目の前の人と真摯に向き合えたことの証明だったり、五日間の全ての体験から得られた気付きだったり、それぞれの学びが熱く語られた。私も、町医者として「高齢者をはじめ地域の医療を支えていく覚悟」を無事に伝えることができた。

 駿の発表する番がやってきた。彼の目はまだ少し涙で滲んでいるように見える――。用意してきたプレゼンを、落ち着いた態度で見せながら語っていく。

 最後に、リハのときにはなかったページが映し出された。

「僕が実習でお世話になった松本さんは、先ほど誤嚥性肺炎で静かに帰らぬ人となりました。短い間でしたが、僕は松本さんから多くのことを学ばせていただきました。誤嚥性肺炎に至る背景はそれぞれですし、免疫力や嚥下機能の低下など密接に結びついています」
 駿の目には青白い力が宿っている。

「これらの機能が回復するような研究に将来携わって、認知症によるリスクをも軽減させることが僕の目標です」
 会場から湧くような拍手が起こった。

 駿の発表は、医師として未来を見つめている。
彼の医療に対する熱量に触れていると、この人を好きになってしまったことを否定したくなかった。たとえ終わりの見えている恋愛だったとしても……

 それぞれに、自分の目標をもって医学部に集まってきた。駿と私が出会ったことの方が偶然の出来事なのだ。今、お互いを必要としているなら、それでいい。

 ――そう思いたい。 

 帰りの電車の中で、駿と肩を寄せ合って座っていた。お互いの呼吸が聞こえるくらい近くにいるのに、無言だった。駿は、私の心の奥にある不安が何なのか、もうわかったに違いない――

 半分くらいの駅を通り過ぎたとき、駿の指が私の手に触れ、そっと掌が重ねられた。私は手の甲に体温を感じながら、駿の声を聞いた。

「僕たちはさ、医師を目指して大学に集まってきたから、卒業後はそれぞれに目指してきた場所ってあるよね。だから、桜華のことが大切だからといって、ずっと一緒にいられるとは限らない」
 駿は私の瞳を覗き込むように見つめた。

「それでも、君のことを知りたい。君と一緒にいたい。そう思っている」
 言い終わると駿は、柔らかい笑顔で私を包み込んだ。
「私も……駿のことを知りたい。いつか別れる日が必ず来るってわかっていても……アメリカの大学で研究して、多くの人を救うところを見ていたい」 
「桜華……」
 重ねられた掌が、私の手をそっと握る。
「離れていても、できるから……」

 彼の手が私の髪の毛をくしゃっとする。そのまま肩を抱き寄せられて、さっきよりも駿のことを近く感じる。
「ねえ桜華、今日、僕のアパートに寄っていかない?」
 私は少し躊躇って、それから小さく頷いた。駿は安心したのか、私の肩に頭を乗せて眠ってしまった。私の瞼も、いつの間にか閉じていた。

 降車駅付近になって自然に目が覚めた。瞼を開けると、駿と目が合った。
「やだあ、いつから見てたの?」
 ふくれっつらをする私に、駿はごめんと言って頭を掻いた。

 駅から駿のアパートまでの道を、手をつないで帰る。こんなふうに二人で肩を寄せ合って歩いていることは、実習に行く前には予想もしていなかったことだった。だから、この気持ちをもっと味わってみたい。
 街灯に照らされた道が、優しく光を反射させていた。

 駿のアパートは、駅から五分ほど歩いたところにあった。淡いクリーム色と木目調のブラウンで統一された落ち着いた雰囲気の二階建てアパートだ。玄関前には、薄桃色の沈丁花が揺れている。 

 二階の一番奥まで歩いて行くと、駿がドアを開けた。
「桜華、入って」
 灯りが付いて、部屋が照らされた。ブラウンを基調とした落ち着いた室内は、駿のイメージ通りだった。

「お邪魔します」
 部屋に上がると、本棚には医学書がたくさん並んでいた。そして机の上には、分厚い論文のコピーにマーカーが引かれ、付箋が挟まれている。
 キッチンには珈琲メーカーが置かれ、生活感はあるけど、丁寧に暮らしている様子が伝わってきた。

「炒飯、作ろうか」
「駿……うれしい」
「ちょっと待ってて」
 駿は、テレビモニターに動画サイトを映してキッチンへ向かった。

 ソファに腰掛けてリモコンを手に取ると、料理も手際が良さそうだから、映画よりも音楽サイトを選んだ。駿が聞いていた履歴からチャイコフスキーの交響曲第五番を選んだ。クラリネットの重厚なメロディが流れてきた。哀しげな旋律は、何度も繰り返しながら、いつしか力強さをもって私の心を揺らし、明るい光の方へ導かれていくような不思議な感覚を覚えた……。

 キッチンから、いい匂いが漂ってくる。第一楽章が終わる前に、炒飯とスープが運ばれてきた。ローテーブルの上に、ランチョンマットを敷いて、その上に料理を並べる様子が様になっていた。駿の新たな一面を知る。
「おいしそう」
 思わず発した言葉に、駿の口元が大きく緩んだ。

「でしょ? ちょっとした隠し味も仕込んであったりする」
 冷蔵庫から冷えた炭酸ジュースも出してくれた。
「乾杯」
 二人でグラスを揺らし、炒飯を口に入れた。ぱらっとした炒飯の香ばしさが、口の中に広がる。ずっと駿と一緒にいたいと思ってしまう。頭ではわかっているのに……。

「お店の炒飯みたいに本格的な味だわ。ありがとう」
 私の言葉に、駿の笑顔が輝いたように見えた。
「桜華にそう言ってもらえると、とてもうれしいよ」
 駿の声が低く響き、私の心を捉えていく。

 入学式の日に駿の声を聴いて、兄の声に似ていたから興味を持った。でも今は違う。ちゃんと駿のことを理解できていると思う。
 兄の代わりではなく……。

 食べ終わった後の片付けは、私が済ませた。キッチンから戻ってくると駿が不思議そうに聞いた。 
「ねえ、どうして僕がチャイコの交響曲第五番が好きだってわかったの?」
「え、だって履歴が残っていたからよ」
 私は、そう答えながら駿の隣に座った。ぴったりと重なった膝から駿の体温が流れてくる。鼓動が加速していく。
「そうなんだ。これからは『履歴』に注意しないと」
 駿は、冗談とも本気とも取れる声でそう言って、笑った。

 笑い声が消えると、静寂の中、チャイコフスキーだけが流れている。

 駿が私の腰に手を回した。触れられた瞬間に、それだけで体が溶けてしまいそうになる。駿の瞳に見つめられて思わず目を閉じた。
 加速した鼓動が駿に伝わってしまう。どうしようと思ったときには、口づけをしていた。前よりも激しい口づけだった。私は体の向きを変えて駿に寄りかかる。

「……好きだ」

 駿はそう言うと、思っていたよりごつごつした手を、私のワンピースの中にしのばせてきた。冷たくて、長い指……やわらかさをそっと確かめるように触れられる度、私の体はよじれ熱くなっていく。駿に抱えられて、ベッドの上にのけぞると、もうそこからは熱に浮かされたように覚えていなかった。
 激しくて、優しい駿を初めて知った。彼の指が、唇が触れる度、心が繋がっていると感じた――

 隣にいる駿の体温が、まだ腕の中に残っている。誰かの寝息が、こんなに安らぐのだと初めて知る。駿の寝顔をそっと見つめながら、今の気持ちを、いつまでも忘れないでいようと思った。

 もうすぐ、また桜の季節が訪れる。駿と一緒だったら、桜の花も、きっときれいに見える――そう思えた。



 私の学生生活には、いつも隣に駿がいた。
 彼が、アメリカに研究留学をするまでは――





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お読みくださってありがとうございます💐✨
桜華と駿にエピローグまでおつきあいいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
第七話[最終話]5月29日19時投稿予定 
エピローグ   5月30日19時投稿予定

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音楽
南かのんさん
【癒しピアノ】雨の日のお茶会より
Across the Distance ,To You (距離を超えて、あなたへ)
その中の二曲を持ち込みの画像で使わせていただきました。
ありがとうございます💐