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【小説】「君と僕の境界線」第四話(全七話)途中読み用あらすじ付

途中からも大歓迎!これまでのあらすじ
 大手自動車メーカーTOIDAで水素エンジンの開発に携わっていた直樹は、ある朝、突如リストラを言い渡される。失望した直樹は、大学時代の親友、仁と夕食を一緒に食べる約束を交わす。その日、初めて直樹は「青陰」を見る。青黒い顔をした目の窪んだ「青陰」が、直樹の顔を覗いていた。仁が言っていた「青陰」は本当に存在するのだと知る。
 高校の入学式で偶然出会った、主人公直樹と仁、香織は高校生活を三人で過ごしていた。直樹と香織は写真部で仁は陸上の二百M走のエースだった。絶妙なバランスで三人は三角関係を保っていた。
 高校一年生の夏、仁がインターハイに出場する。僅差で二百メートル走の優勝を逃す。悔しさに崩れ落ちる親友の姿を、直樹はシャッターに収める。直樹は、仁のありのままを写したかったのだ。応援席の香織の瞳には、涙があふれていた。レースの後二人に会った仁は、悲しみの中ですら平然とした態度を崩さなかった。
 お互いの知らない部分を少しずつ埋めていく日々は、どこに境界線を引いていいのかわからないまま、熱風という夏の忘れ物が三人の追い風となり、距離感を縮めながらお互いを少しずつ傷つけていた。 

 「キアリーヌ」特製「厚焼き玉子のベイクドサンドイッチ」をのんびり食べた後、夕方まで時間を潰して、最寄り駅まで電車を乗り継いだ。緑が丘駅に降り立つと、懐かしい風景に心が動いた。駅から広がる街路樹を、よく三人で歩きながらいろいろなことを語り合ったことが思い浮かんだ。
 香織は元気にしているだろうか? 学生時代に香織と仁と香織の姉、響子の四人で数回会っただけで僕たちはそれきりになってしまった。様々な気まずさがあった。

 香織と仁はお似合いだろうと思っていたけれど、結局、仁がつきあったのは香織の姉だった。高校の卒業式の日に仁と響子さんが二人で歩いているところを見かけて知った。僕は仁に遠慮して最後まで香織に特別な気持ちを伝えずに終わった。仁も僕に気を遣ったのだろうか? それとも? 三人の関係を保つことに必死で、お互いに自分の心の内を明かさなかったから、うやむやになったままだった。

 聞くことを躊躇っていた部分もあった。でも本当は知るのが怖かったのかもしれない。香織の気持ちも仁の気持ちも、それから響子さんが亡くなったときの話も。街路樹を歩いていると、昔のことがつい昨日のことのように脳裏に蘇ってきた。

 学生の頃、突然「民話を調べたいから一緒に来てくれ」と仁から頼まれたのは、響子が亡くなってちょうど一周忌が終わった頃だった。当時、仁は響子が亡くなった理由について「分からない」と言っていた。二回生の夏休み、僕はいつもの単発バイトのスイミング講師を入れていた。夕方だけの拘束だったから、専門科目の実験には支障がない。

 けれど僕はそのバイトを断って、二週間の車中泊の旅に出ることにした。バイト代の当てもなくなった僕達は、男二人、節約旅を始めた。朝は基本的にカロリーメイトを囓って、昼は最安値のうどんかそばのチェーン店を探した。夜は、民話を伺った家に御馳走になったり、泊まったりして、どうにかお金を使わない旅を決行した。でも、お金がないことは不自由なことではなかった。何者にも拘束されることなく気ままに過ごしている時間は、今では考えられないような贅沢な時間だった。

 出発して二日目の夜、僕達は長野の山中に居た。助手席に居た僕は、赤信号に照らされた仁の横顔を見ていたら、どうしても聞いてみたい衝動に駆られた。
「民話を調べているのって、響子さんに何か関係あるの?」
 仁とルームミラー超しに目が合った。表情が曇ったように感じた。
「あると言えばあるし、ないと言えばない」

 捉えどころのない返事に窮して黙った僕は、ハンドルを握る仁の手が目に入った。手の甲の血管が浮いているのは力が入っている証拠だ。今尚、払拭できない怒りや恐れのような感情があるということだろうか? 信号は青に変わり、再び走り出した車は五分も経たないうちに左ウインカーを出して、民家の庭に入って行った。奥の方に駐車場として使われている場所がある。仁は無言のままそこに車を停車させた。

「さあ、ここが昼間アポを取った蔭山さんのお宅だ」
 僕達はそれぞれのリュックを背負って車を降り、古い民家の玄関先に回った。木造二階屋のこの家は、今時珍しく、トイレが外にあるようだ。
呼び鈴はなく、ノックをしても返事はない。開き戸に手を掛けると少し動いた。鍵はかかっていない。思い切って開き戸を開け、家の中に向かって仁が叫んだ。
「ごめんくださーい」
 僕も「蔭山さーん」と声を掛けた。二人の声は民家の玄関先から奥に続く廊下へと響いていた。しばらく待っていると、奥の方から微かに足音が聞こえた。ゆっくりと歩いて来たその婆さんは、昔ながらの絣の着物を着て、割烹着を身に付けていた。ゆうに八十歳は超えているように見える。
「ようこそ、こんな山奥へよくいらしゃった」

 通してもらったのは、居間のような部屋で夏だというのに囲炉裏に火がくべてある。ここで煮炊きすることもあるのだろう。囲炉裏の炭の香りにタイムスリップしたかのような感覚になった。座布団に座るよう勧められ、その上に慣れない正座をして座った。
「この辺りに『青陰』という民話があると聞いたのですが」
 婆さんは仁の質問に耳を傾けながら、囲炉裏に掛けてあったやかんのお湯を急須に注ぎ、お茶を出してくれた。

「『青陰あおかげ』かい。思い出すだけでぞっとするよ。あんたら、よくそんなものを探しに来たねぇ」
「お婆さんは、『青陰』に会ったことがあるんですか?」
「あれは、会わずに一生を過ごす方がいいものじゃ」
 婆さんの目は、遠い昔を見ているようだった。
「わしもな、ほんとに死にそうじゃった」

「僕も聞いたことあります。『青陰』を見た者は必ず死ぬと」
「そうじゃよ」
「でもお婆さん、あなたは生き残っている」
 仁は色々調べていたようで婆さんの話を食い入るように聞き、何度も質問をしていた。僕は初めて聞く「青陰」の話が恐ろしくて、仁の横で正座をしたまま固まっていた。

 囲炉裏の炭をしばらく火箸でいじっていた婆さんは、きっとこちらを睨むような目力で見つめてきた。
「わしは、運が良かっただけじゃ」
 仁は沈黙した。額に汗を滲ませている横顔から、焦りのような感情が読み取れた。
「お婆さん、どうしても教えて欲しいんです。生き残った人と、生き残れずに死んでしまった人の差は何ですか?」

 婆さんは火箸で炭をコンと突いた。
「なあ、若い衆よ、その差は誰もわからんよ。それに「生き残った」か「死んだ」かという話でもない」
「それでも、生き残ることができた理由があるとしたら何だと思いますか?」
「『青陰』が伝えようとしていることが何か、受け取ることが大切なんじゃと思うがね。それ以上のことは『青陰』に実際会った人が考えるべきことじゃ」

 だとすると、婆さんは「青陰」の伝えたいメッセージを受け取ったんだろうか? ぎろっとした視線の先には、遺影があった。それは婆さんの夫だった人だろう。着物を着た凜々しい紳士だ。
「あれもね、『青陰』を見たんじゃが、死んでしもうたよ。私を一人きりにして。『青陰』が伝えたかったことを受け取れなかったんじゃよ、きっと」

 夫が病に倒れ亡くなってから、生きる希望を失った婆さんは、毎日「死にたい」「死にたい」と思うようになった。そんな矢先に「青陰」を目にするようになり、初めの頃は、恐ろしくてたまらなかった。突然現れては、青黒い顔で、窪んだ虚ろな目をしてじっと見つめてくるのだという。婆さんは半年ほど「青陰」に悩まされた。気持ちがふと楽になったある日「青陰」からメッセージを受け取った。その時だけは青陰は一番会いたい、じいさんの姿をしていたのだという。

「これはのう、民話というよりも伝説じゃと思うとるよ。誰も手を加えていない言い伝えは民話じゃのうて伝説じゃ」
 実際にあった不思議な話は「伝説」と言い、後に整えられたたものが「民話」と言うのらしい。
「お婆さん、お知り合いで他に『青陰』に会った人はいますか?」
「そうじゃなあ、たいていは皆、死んでおるけども」

 婆さんは、巾着袋の中から古いメモ帳らしきものを出して、一枚ずつページを繰り始めた。文字が小さいのか、メモ帳に顔を近づけて、何かを探している様子だった。
「お、この奥山さんという人も『青陰』に会ったことがある言うとったわ」
 仁の顔に安堵が浮かんだ。
「その方を御紹介して頂いてもいいですか?」
「ええけども、この人んちには電話線が通ってないから、地図を描いて渡そうかねえ」

「ぜひ、お願いします」
 婆さんは、先ほどの小さなメモ帳からべりっとページを破り、鉛筆で地図を描き始めた。それは、解読が難しそうな地図だった。僕は、この旅に付いて来たことを後悔していた。仁が説明してくれたら、絶対に付いて来なかったのに。

 この晩は、そのまま蔭山さんのお宅に泊めてもらた。囲炉裏の周りで仁と雑魚寝をした。夏だったけど、山中の夜は底冷えして、囲炉裏の仄かな灯火がちょうど良かった。寝付けなかった僕は、仰向けになりながら、まだ起きているはずの仁に聞こえるようにつぶやいた。
「仁はどうして『青陰』のことを真剣に調べてるんだろう」
 しばらく沈黙が流れた。周囲の蛙の鳴き声が部屋中に響き渡り、窓が開いているんじゃないかと思うほどだった。

「響子さんがさ、響子さんが見たって言ったんだ。『青陰』を」
 僕は真夏だというのに悪寒が走り寒くなった。仁がこんなにも真剣に「青陰」を調べている理由がわかった。彼は、響子さんが亡くなった理由を知りたいのだろう。響子さんの死因は、参列者にも明かされなかった。明かされないことが物語っていることはひとつしかない。それは、病死ではなく、事故死でもなかったということだ。

 なぜ、響子さんは自ら命を絶ってしまったのだろう。仁は自分を責めているんだ、きっと。僕だって、仁の気持ちにまったく気づいていなかったわけじゃない。けれど、響子さんの死が仁のせいだとは思えなかった。だから、どう声をかけていいかわからなかった。僕には、仁の悲しみが痛いほど、流れて来たのだから。
 そのうち聞こえてきた仁の寝息につられて、僕も深い眠りに入った。

 翌朝は、味噌汁の香りで目が覚めた。婆さんが朝食を作ってくれたのだ。
「こんな婆さんの家に来客なんて、冥土の土産みたいなもんじゃから」
 用意してくれたのは、手作りの漬物に味噌汁、そして、出汁が効いた厚焼き玉子だった。優しい味に心が緩んだ。これはひょっとすると喫茶「キアリーヌ」のベイクドサンドイッチに挟まれた厚焼き玉子の上を行くかもしれない。婆さんの話す棘のある口調からは読み取れない温もりが、そこにはあった。

 僕達は蔭山の婆さんに丁寧にお礼を伝えた。婆さんと握手した時、仁の目はうっすらと涙で濡れていた。僕たちは次の目的地へと出発した。


 婆さんが描いてくれた地図は、小さい上に方角も定まってなくて、読解するのに苦戦した。Googleマップでは検索できない番地のわからない場所へ、僕は助手席に座りながら、必至に地図を見てサポートした。奥山さんが住んでいると思われる村に着いた。婆さんは車なら三十分で到着すると言っていたのが嘘のように、二時間半かかってしまった。

 まだ、村に着いただけで、奥山さんのお宅はどこにあるのかわからなかった。村で唯一の店の前に車を停めて、お店の人に聞いてみることにした。
「ごめんください」
 僕の声が、誰もいない店にこだました。
「すいませーん。道を尋ねたいんですが」
 仁の声はさらに遠くまで聞こえたことだろう。

「ミャーオっ!」
 店の天井裏から猫が飛び降りて来て、慌てて後ずさった。どこか人間じみたその声に、一瞬、背筋がぞくっとした。白と黒のぶちの猫は、もう何歳かわからないくらい貫禄があった。猫に気を取られていると、奥の方から今度は明るい返事が響いた。
「はーい! 今、行きます」
 店の人は、人の良さそうなおばさんだった。六十代後半だろうか? この村を取り仕切っている雰囲気がする。猫と同じくらい貫禄があった。

「あの、僕達は奥山さんという方の家を探しています」
「ああ、奥山先生ね」
 僕達が奥山さんの職業に驚いていると、店主は声を潜めて話し始めた。
「あの人、偏屈で頑固者なのよ。会合で毎回一言多いし、理屈っぽいの。何しに行くの?」
「どうしても教えて欲しい『伝説』がありまして。蔭山さんから奥山さんのことを教えて頂いたんです」

「ああ、時々、村の会合の時におかしな話をしているアレかしら? たしか『青髭?』だったかしら」
「それ、『青陰』だと思います」
「ああ、それそれ」
 奥山さんは、酒が入ると「青陰」の話を始めるのだという。それは、若い衆にとっては苦痛らしく、酒が入ると奥山さんの周りから人が居なくなるらしい。最も、この村の若い衆というのは四十代後半のことをいうそうだ。

「この前の道をずっと真っ直ぐ行って、神社が見えたら左に曲がってちょうだい。そうすると、大きなソテツの木があるから、そこが奥山さんの自宅よ」
「ありがとうございます」
 僕達は、その店で飲み水と日持ちのするパンを買って、奥山さんの家に向かった。舗装していない道路はごつごつと石ころが転がっていて、車が右に左に揺れるようだった。

 この時は僕が運転をしていたから、ハンドルをぎゅっと握り締めて、クラクションを鳴らして信号のない交差点を横切った。間もなく見えて来た神社は、奥山神社と書かれていた。宮司さんの家系なのかもしれないと思いながら、左に曲がってソテツのある家を探すと、曲がって二軒目の家だった。車を奥山さんの庭の片隅に停めて、玄関に向かった。玄関のインターホンはベルがしっかりと鳴り響き、家の奥に来訪者を告げているのが伝わってきた。

「おお、君たちはどちらさんかね?」
「はじめまして。僕達は、東京から来た大学生で奥山さんに『青陰』のことを教えて欲しくて蔭山さんという方に聞いてやって来ました」
「ああ、蔭山のばあさんか」
 知り合いだったことにほっと胸を撫で下ろす。僕達は、外から縁側に案内をされた。しばらく待つように言われ、縁側に腰を下ろした。庭先に、神社の御神木が間近に迫って見えた。

 縁側に続く居間から出てきた奥山さんは、スイカをカットして持って来てくれた。僕は、今年初めて見るスイカに心が躍った。
「これ、どうぞ。一人じゃあ食べ切れんと思ってたとこでね」
 さっき道を教えてくれた人に「偏屈で頑固者」と聞いて、緊張しながら話していたから拍子抜けした。村の会合では理屈っぽくて煙たがられているようだけど、僕達にとってはむしろ親切な人だ。スイカは遠慮なくいただくことにした。体に隅々まで行き渡るスイカのみずみずしさは、夏の火照った体を内側から冷やしてくれた。

「大学で何を学んでおるんだね?」
「僕は、理学部で水素のエネルギー活用について学んでいます」
 胸を張って答えた。
「僕は、人文社会学部で社会問題解決の糸口について学んでます」
 仁も誇らしげに答えていた。
「君たちは優秀な生徒さんだね」
 二人で顔を見合わせて微笑んだ。「偏屈で頑固者」というよりも、やっぱり親切で優しい人に違いない。

「それで、わざわざ学生さんが何の用事かね」
「あの、『青陰』について教えて欲しいんです」
「『青陰』?」
 一気に苦い表情になった。奥山さんにとっての「青陰」ってどんなだろう? 僕は想像をしながら、奥山さんの表情に注目した。
「私はねえ、『青陰』に会うまでは死んだように生きていたんだ」
 その意外過ぎる言葉に、仁と顔を見合わせた。

「教師をしていたんだよ。熱意さえあれば、子ども達は元気に育ってくれるって思っていたんだ。慢心だった」
 奥山さんが悲しい表情になったことに気付いた。縁側に正座した奥山さんは、まるで自分の内面を覗くような目をしていた。
「学校に初めてプールが出来た年のことだった。子どもたちはもう、大喜びで、毎日プールに入りたくて通って来ているようなものだった」

 奥山さんは、自分の受け持った学級の児童の一人が、全く水に入れなかったことを心配して、体育の時間にはその子とマンツーマンで水慣れの指導をしていたのだという。その男の子は、奥山先生のことが大好きだったから、水に入れない自分のことを責めてしまった。そして、一日でも早く泳げるようになりたくて、自宅に帰ってから、近所の川に一人で行き練習をしようとしたのらしい。その結果、川で溺れて帰らぬ人になった。

 奥山さんは、その子に「泳げるように」と期待して熱心に指導をしたことを悔いたのだという。
「私が、あの子に一言でも言ってあげたら良かったんだよ。『泳げなくたっていいんだよ』って」
 なぜその一言を言ってあげられなかったのか、ずっと考えていた。そして、その子が亡くなってから三年間は教師の仕事にも行けずに自宅に引き籠ってしまった。

 その時、何か物陰からこちらを覗いている顔に気付いた。それは青黒くて、目が窪んで、聞こえない声を伝えようと時には口をぱくぱくと動かしていたらしい。奥山さんは、その子の父親に誘われて、三年ぶりにその子の三周忌に出掛けて行った。その子を祀った仏壇の前に正座をし手を合わせた時、目を閉じているのに仏壇の物陰に「青陰」が見えた。「青陰」は亡くなった男の子の顔に見えたのだという。

 男の子の顔をした「青陰」は微笑んでいた。そして脳にピリッと電流のようなものが流れて、ある言葉が聞こえたのだという。「奥山先生 僕はー。あれから泳げるようになったの。嬉しかった」奥山先生は男の子が嬉しそうにしている様子にたまらなくなった。「そうかい、そうかい。すまんかった。ごめんよぉ」と詫びたのだという。

 その時、奥山さんの隣には男の子の父親が一緒に手を合わせていた。お父さんの目にも涙が浮かんでいた。お父さんは奥山さんにこう告げたのだという。
「あの子が、今、俺に言ってくれた。お父さんはいつも通りに叱っただけでしょ? 僕は川へ遊びに行っただけなんだ。その時、初めて泳げたんだよ」
 男の子の笑顔も見えたのだという。

 奥山さんは、その時初めて、苦しんでいたのは自分だけじゃなかったのだと知った。男の子のお父さんもまた、三年もの間、ずっと後悔をしていたのだ。自分のせいで我が子が死んでしまったのではないかと。
 奥山さんは、男の子の三周忌から少しずつ起きたことを受け止めて前に進めるようになったのだという。

 男の子の両親が、最初から奥山先生のことを責めてはいなかったことも初めて知った。「青陰」は私たちに、何か大切なことを気付かせてくれる存在なのではないだろうか? と奥山さんは僕達に語ってくれた。

 その話を聞いていた僕も仁も、涙なしには聞けなかった。その男の子のことを何ひとつ知らないはずなのに・・・・・・どうしてだろう、声がまっすぐ心に響いてきた。

「僕は 誰も恨んでないよ」


 奥山さんの家を後にする時、僕達に大切なことを伝えてくれた。
「青陰の伝えたいことはなあ、そのタイミングにならないと受け取ることができないんじゃよ」
「タイミングですか?」
「そう物事には何でもタイミングというものがあってな、わしは受け取るまでに三年かかった。男の子の父親もわしと同じ三年かかっておる」
 僕達は、深く頷いて、お礼を伝えて帰路に就いた。

 蔭山のばあさんも、「『青陰』が伝えようとしていることが何か、受け取ることが大切」だと言っていた。「受け取ることができなかった人」は死んでしまうのだとも言っていた。
 ハンドルを握りながら、仁はつぶやいた。
「響子さんは『青陰』から受け取ることができなかったんだ。あのとき、もっと別の言葉を掛けていたら、何か変わってたのかな・・・・・・」

 どんな言葉だったら響子さんの心に届いたんだろう? 僕にも分からなかった。仁に掛ける言葉すらも、思い浮かばなかった。ただ、彼の肩越しに見える夏の空が、やけに遠く感じた。



お読み頂きありがとうございます✨宜しければ前半の感想をお寄せ頂けたら幸いです💐

南かのんさんの素敵な音楽をありがとうございます。