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「たぶん大丈夫です」は、事実じゃない ―― いつのまにか"事実と解釈"を混同していた話 |伝え方|言語化|報連相

「それ、お客さんが実際に言ったことですか? それとも、あなたの見立てですか?」

そう聞き返されて、一瞬、言葉に詰まったことがあります。

事実を報告したつもりだったのに、よく考えると、半分は自分の解釈でした。

そんなこと、ありませんか?

僕はデータ分析の仕事をしています。
事実と解釈を分けるのは、仕事柄、人より気をつけているほうだと思います。

それでも、いまだにやらかします。

今日は、その「事実と解釈が、知らないうちに混ざる」話を、自分なりに分解してみます。



「この仮説、何を根拠にしてたんだっけ」

その日、僕は自分の席で、画面のグラフと数字を追っていました。
一つ仮説を立てて、それを裏づけるために、データを掘っていく。

いい線をいっている手応えがありました。
あとは、この筋でまとめるだけ。

ふと、マウスを動かす指が止まりました。

「……この仮説って、そもそも何を根拠にしてたんだっけ」

スクロールを戻して、根拠を探す。
ない。
根拠だと思っていたものは、全部「自分がそう思いたい解釈」でした。

「あー、やってしまったな」と、静かに反省しました。

これだけ気をつけている人間でも、混ざる。
だったら、ふだんは気づかないうちに、もっと混ざっているはずです。


報告のとき、それは静かに混ざる

混ざるのは、分析の中だけじゃありません。
いちばん身近に出るのは、たぶん「報告」です。

先に言っておくと、報告で事実を伝えようとすること自体は、まったく正しいです。

ちゃんと伝えたい、という姿勢を持っている時点で、それは十分まじめな人だと思います。

そのうえで、一つだけ。
報告のとき、こういう言い方を、していないでしょうか。

「現場は、かなり疲弊しています」
「たぶん、大丈夫だと思います」
「先方の反応は、ちょっと微妙でした」
「なんか、うまくいってない気がします」

どれも、一見ふつうの報告に見えます。
でも、よく見ると全部「事実の顔をした解釈」です。

「疲弊」「微妙」「たぶん」――何が起きたか(事実)ではなく、自分がどう見たか(解釈)のほうを話しています。

僕自身、報告を受け取る側に回って、ようやく実感しました。

「微妙でした」とだけ渡されても、受け手は何が起きたのか分からない。

解釈を聞く前に、まず事実が要るんです。

そして、いちばん厄介なのは、ここです。
混ざっていることに、本人がいちばん気づけない。
普通は表に出てこないから、指摘もされないまま、ずっと続きます。


「混ざり方」には、いくつかの型がある

混ざると言っても、いつも同じ形ではありません。
僕がよくやる混ざり方は、だいたい二つです。

一つめは、思い込み型。
自分の読みを、根拠を確かめないまま正しいと信じてしまう。
冒頭の僕がこれです。
「絶対こうだ」と思っていたものが、よく見ると「そう思いたい」だけだった。

二つめは、伝聞型。
「クライアントがこう言ってた」「現場ではこうらしい」。
人から聞いた話には、運んだ人の解釈が必ず少し乗っています。
それをそのまま事実として報告すると、解釈の上に解釈が重なる。

どちらも、根っこは同じです。
確かめていない自分の解釈を、事実のところに置いてしまっている。

ちなみに、これは人間相手だけの話でもありません。
プログラムが「勝手にバグった」と思うときも、たいていエラー文を読めば理由は書いてあって、蓋をしているのはこちらの解釈のほうです。


「解釈するな」ではなく、「分けてから出す」

ここまで読んで、「じゃあ解釈をやめればいいのか」と思うかもしれません。
逆です。
解釈は、いります。

事実から見立てを立てるのが、分析者の仕事です。
解釈こそが価値で、消す必要はまったくない。
問題は、解釈が事実の顔をして、そっと紛れ込むことだけです。

だから、やることはシンプルでした。
何かを言う前に、ひと呼吸だけ置く。
「これは事実? それとも、自分の解釈?」と、自分に一度聞く。

僕は報告の前に、これを挟むようにしました。

「事実としては〇〇です。自分の見立てとしては△△だと思います」と、分けてから話す。

たとえば「たぶん大丈夫です」も、事実として何が確認できているのか、見立てとしてどう大丈夫なのか、に分けてから出す。

すると、上司の返しが変わりました。
事実と解釈が混ざっていると、相手はどこを信じていいか分からず、念のため全部を確認しにきます。

でも分けて出せば、確認すべきは「見立て」の一点だけで済む。
確認の一往復が、目に見えて減りました。

冒頭の分析のときも同じです。
「これは事実か」と根拠に戻る癖をつけたら、筋を外す回数が減りました。

難しい型はいりません。
やるのは二つだけです。

判断の前に「これ、何の事実が支えてる?」と根拠に戻る。

人から聞いた話は「誰が・いつ言ったか」まで戻す。
これは報告に限らず、自分の判断のほとんどに効きます。


それでも、たぶん完全には分けきれない

正直に言うと。
そもそも混ざっていることに気づけないことのほうが、ずっと多いです。
あれだけ気をつけている僕でさえ、冒頭みたいに、いまだにやる。

だから、完全には分けきれないという前提で付き合うのがちょうどいい、と思っています。
「うまく分けられた」と思ったときこそ、もう一度だけ疑う。

もし一つだけ持ち帰ってもらえるなら、これです。
次に「絶対こうだ」と思った瞬間に、一度だけ自分に聞いてみてください。

「それ、事実? それとも解釈?」

たったこれだけで、見えている景色が、少しだけ変わるはずです。


最後までお読みいただきありがとうございました!

このnoteでは、データ分析者として、仕事の失敗談を書いています。
まじめな人ほどハマる落とし穴を分解することが多いので、共感いただけた方はぜひ他の記事も覗いてみてください。

「たぶん大丈夫です」つながりで、以前大失敗した話も書いています。
よければこちらもぜひ。

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それではまた次の記事で。


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