植物と私

1月に植えたチューリップの球根が、少し前に芽を出した。

世話頼む 干上がる土が 言っている

イベントで配られたものなので、何色の花が咲くのかもわからない。
随分前にもらったものをほったらかしにしていて、カラカラの芽と根が出た状態からダメ元で土に入れたもの。

土は再利用、NO栄養。
植えたあとも、とくに世話を焼くことなく、ほったらかしにしていたのに。悪環境にめげず、よくぞ顔を出したものだ。

幼いころから植物は好きだった。けれど何度か枯らしてしまってからは、枯らすのが怖くて育てられなくなった。
結婚してから義母に「失敗しながら覚えたらいいよ」と言われ、なんとなく心が軽くなり、また育てるようになった。
で、実際何度も失敗しつつ分かったのは「自分のズボラな世話に合わせてくれる植物なら長く付き合える」ということ。

犠牲になった植物には申し訳ないことをした。大いなる犠牲のもとに、どうもコショウ科の植物とは合わないことや、枯れたと思われる株でも復活する可能性があることが分かってきて、枯らす確率は下がってきた。

ズボラで基本はほったらかしなので、肥料喰いの草花にはなかなかキツい環境だと思う。けれど実母が世話を押し付けてきたガーベラは、花をつけず何年もくさくさしい姿で生き延びている。

下の写真は植えてから何年も経過したチューリップ。掘り上げることもなく、冬の間はただの土入れと化している鉢から、春になるたび目覚める。

土と水 あれば何とか なるもんだ

コロナ禍の真っ只中だったろうか。一緒に植えた一年草のパンジーは冬に枯れ、面倒だからと翌春まで放置していたら、出てきた。
それから毎年花をつけたり、つけなかったりしながらも生きている。

しかも、植えた数より増えている。
元々寄せ植えで、植えたのは3球だったはずなのだが。

植物は「こんな環境だし、芽を出すのやめよっかな」と思わないのだろうか。どうせ花も咲かないし、来年まで寝ても文句は言われないのに。
それとも、構造的にそう都合よく寝ていられないから、生きるため頑張って重い腰を上げるのだろうか。

何にせよ、生きているか死んでいるか分からない鉢から芽が出ると嬉しい。
今年も私に付き合ってくれるのだと思うと、愛おしくなる。

なら世話をしろよと怒られそうだが、なにせズボラなのだ。致しかねるものは仕方がない。

手をかけなくともある程度なら環境に合わせてくれる植物の柔軟さや逞しさ、そこにも園芸の魅力を感じてしまうのだ。

Sみは否定しないが、台風の日の取り込みや、霜が降りる季節は耐寒温度に応じて避難させるなど、生きるために最低限の世話はしている。
こんな注釈で非難の目がマイルドになるかは疑問だが。

人付き合いも、面倒だと感じる人とは植物ぐらいの距離感がちょうどいい。
ちょっと突き放すくらいで見守るのがいい。

新生活応援シーズンに花が咲くのは、植物からの助言だと思うことにした。

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