「男の方がつらい」「女はイージー」と言う人は、本当に“解決”を望んでいるのか
最近、SNSやコメント欄で頻繁に目にするフレーズがある。
「男の方がつらい。女はイージー。」
この言葉の裏側に何があるのか、あらためて考えてみたい。
■ 1.「強者であれ」という呪いを、誰が守っているのか
「男は強くあるべき」「男が奢るべき」──こうした“性別規範”を強く内面化しているのは、実は女性ではない。
調査を見ても、もっとも強い性別規範を抱えているのは男性自身だ。
だから、
「奢りたくない」「強くなんていたくない」
と思うなら、
変わるべきは男性側のはずだ。
にもかかわらず、なぜか矛先は女性に向かう。
「女が甘えてるからだ」
「女が奢らせるからだ」
──本来なら自分の内側の規範と向き合うべきところを、外側に感情を放り投げてしまう。
奢りたくないなら奢らなければいい。
ただそれだけのことを、「女性が悪い」に置き換えてしまうのは、
自分の葛藤を“他罰化”することで一時的に楽になりたいからだ。
■ 2.「社会が男性中心で作られた」という事実
もう一つよく出る論点がある。
「男性だってつらいんだ。声を上げている」と。
では、その声はどこに届いているのか?
男性の生きづらさは確かに存在する。
しかしその構造を作り上げたのは、長い歴史の中で男性中心に回ってきた社会だ。
本来なら、
その構造を変えるための声を
男性自身がもっと主体的に上げるべきだった。
なのに、実際に育休や長時間労働についてアクションを続けてきたのは主に女性やジェンダー研究者だ。
男性の多くは、いまだに沈黙している。
なぜ声を上げないのか。
弱さを見せることを“敗北”と感じてしまう文化が、男同士のなかに強固に存在しているからだ。
■ 3.男性に共感しているのはむしろ女性
「男のつらさに共感してくれないのは女だ」という主張もよく見る。
でも、それは本当にそうだろうか?
弱音を受け止め、気持ちに寄り添い、家庭でも感情のケアをしてきたのは多くの場合女性だ。
一方で男性同士のコミュニティでは、
「甘えんな」
「メンタル弱すぎ」
といった“茶化し文化”がはびこっている。
つまり、
男性を一番厳しく扱っているのは実は男性の側である。
それを理解しないまま、
「女はわかってくれない」と外へ責任を押し出しても、問題は何一つ解決しない。
■ 4.彼らは本当に“解決”を望んでいるのか
ここまで見てくると、ある疑念が浮かぶ。
彼らは、本当に自分の苦しさを解消したいのだろうか?
解決というのは、
・性別規範を手放す
・構造的問題に向き合う
・行動を変える
といった“主体的な変化”を伴う。
しかし、実際の言動を見る限り、
多くの「男はつらい」論者はそこに踏み出さない。
それよりも
「自分は被害者だ」と言い続けることで、責任を負わずに感情の正当化を得たい
という欲求の方が強く見える。
つまり、
本当は変わりたくないのだ。
でも強者側の特権だけは保持したい。
これが、
「構造はそのまま、責任だけ女性へ」
という矛盾を生み続けている。
■ 5.“女性叩き”は、変化を避けるための煙幕
自分の内側の問題と向き合う代わりに、
社会構造の改革に参加する代わりに、
女性を叩く。
それは、
変化することの痛みから逃れるための“煙幕”にすぎない。
このままでは、
男性自身のしんどさも、
女性の不公平感も、
どちらも永遠に解消されない。
