相談中「私も分かんないけど」を連発する大人にホッとした記憶
大学生のとき、
所属していた団体の繋がりで
社会人に相談することが何度かあった。
たいていの大人は、親身に聞いてくれて
親切なアドバイスをくれた。
「そんな悩みもあるよね」
「こうしてみたら?」
「こう考えてみたら?」
「それはこういうことだよ」
人生の先輩からのアドバイスはありがたかったし、
素直に受け入れて聞いた。
確かに、素直は素直だった。
それはそれでとても良いことで、素直な姿勢は大事だったとは思う。
ただ、言い換えると、相談すれば彼らから「答え」をもらえると心のどこかで期待していたところがあった。
あるとき、ある人に話を聞いてもらった。
その人は、
◯◯って、どういうことだと思う?
今言った◯◯って、どういう意味?
などと、私に質問ばかりしてきた。
全然、「こう思うよ」「こうしてみたら?」
って言ってくれない。
早く答えを教えてくださいよ、と生意気なことさえ考えていた。
その人は私の話を聞きながら、口癖のように何度かこう言った。
「私も分かんないけどさぁ」
その口癖に気付いた私は、こう思った。
あ、そっか、この人も分からないんだ。
この人の中に、答えがあるわけじゃないんだ。
明確な答えを持ってるわけじゃないんだ。
いま思えば当たり前なことなんだけど
この発見は、当時の私にはなかなか新鮮だった。
経験豊富な大人はみんな、
若輩者の私の悩みに対しての答えを持っていて
それを教えてくれると、無意識に思っていた。
それが相談だとさえ思っていた。
でも、その人は
「私も分かんない」を連発した。
分かんないのに、質問してくる。
質問して、私に何かを考えさせようとしている。
私が、何かに気付いて、自分の中から答えを発掘できるように、待っている。
その人は、待っている。
私が気付くのを、待っている。
そういうことか!
だから、質問ばかりしてるんだな!
腑に落ちた。
今思うと、たぶんあれは
コーチングだったのだと思う。
私の伴走者として、私の課題を一緒に考えてくれて、質問することで考えるためのヒントを与えてくれていた。
答えは、その人の中にはないのだけど、
答えを見つける手助けをしてくれていた。
だから質問をたくさんして、私に考えさせて、答えが見つかるまで、待っていてくれたんだ。
それに気付いた時、「今まで相談の仕方も、他人からの相談の聴き方も、間違えてたなぁ」と思った。
本当の相談って、そういうことなんだ、と。
たぶん、学校で「答え」をもらうことに慣れすぎていた弊害だと思う。
その人に相談した内容自体は、今は何も覚えていない。何に悩んでいたのか、最後どうなったのかも全く覚えていない。
覚えているのは、
・自分の悩みを解決する答えは、他人は持っていない
・人の話を聴く時は、相手が考えている間、待つ
ということだけ。
それに気付いてからは、すごく心が軽くなったし「大人も分からないんだ」という発見は、「大人=すごい」という無駄な恐縮をなくしてくれた。
大人だって悩んでるし、
なんでも分かってるわけじゃない。
同じなんだなぁって。
なんかホッとした記憶。
それと、自分の成長とともに「親=常に正しい」と信じていた子供の頃の感覚が消えた。
自分も親になり「親だって未熟なんだ、親も不安だったんだ」と分かってからは、他人への見え方が結構フラットになってきた気がする。
どんなにすごい人でも、苦手なことがあったりする。
どんなに博識な人でも、知らない分野があったりする。
他人の中に答えはないし、
私も他人の悩みに対する答えは持っていない。
だから偉そうに「これが正解だよ」なんて言えないし、他人が言う「これが正解ですよ」も簡単には信用できない。
自分で考えて、気付くまで、待つしかない。
いい相手に相談に乗ってもらえてラッキーだったな〜
と、今もその人には感謝している。
↓「自分で考える」に関連して。
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