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「あなたの清き一票を!」が言えなかった、自意識の話



「私に、あなたの清き一票を!」という言葉が、小学校の児童会選挙の時からなんだか恥ずかしく、三十を過ぎた今もどうしても言えない。(言う場面ないけど笑)


人が言ってるのは何も思わないのに、自分が言うとなると無理。小学校の時は真面目で成績も優秀な方だったので先生などから「やりなよ!立候補しなよ!」と言われることは何度かあったけれど、「絶対に嫌」と断り続けた。


他薦の場合も「頑張り屋で責任感のあるmomeさんなら、きっとみんなのためになることをしてくれるはずです」とか仲のいい友達に私の良いところやオススメする理由をスピーチしてもらうんだよね?それを私は横で聞くんだよね?無理無理無理、その状況がもう無理!笑



私は仕事が嫌なんじゃないんです。
その前の、選挙活動が嫌なんです!!!


…と言える勇気すらもなく。

ただ「嫌です」とだけ言って断り続けた。児童会や生徒会はもちろんのこと、もっと小さな、学級委員長や部長の立候補すらも無理だった。


そもそもリーダーに向いてないのだが、どうしてもやるとしても他薦が良い、自薦は絶対に無理。自意識に負ける。みんなあの自信はどこから来るんだ。羨ましい。

よく考えたらなんかこれ、本当はオーディションにめちゃくちゃ応募してたくせに「デビューのきっかけは原宿で母と買い物してた時にスカウトされたことですね」とか言ってる芸能人みたいじゃないか?
「芸能界はちっとも興味なかったんですよ」(なのに売れてる)ってやつが一番かっこいい…みたいな。


大人になったら表現は変わるが、要は「私を選んで!」と手を挙げて世間にアピールするのがなんか恥ずかしくてできない。

AKB総選挙とか、あれは人気というよりアイドルとしてのメンタルの強さをアピールして争う選挙だと思う。


こんなに消極的な自分はきっと海外では生きていけないだろう。日本人だから「謙虚だね」「控えめだね」「縁の下の力持ちタイプだね」で済まされるが、海外だったらきっと「どうしてアピールしない!?自分の魅力をもっと売り込まないと!」とボロカスに言われると思う。



学生時代、本当は短期でも留学してみたかったが、家庭の経済的事情により叶わなかった。奨学金を得られるほどに優秀だったわけでもなく、留学の夢は叶わなかった。

今思うと、もっと時給の良いバイトをしたり何か安く行ける方法はないか探したり、本気出せば何か方法はあっただろうと思う。

でも、当時の私は「どうせ無理。高すぎる」と諦めてしまった。社会人になってからのワーホリだって行こうと思えば行けただろうに、行かなかった。私の"本気"は所詮その程度だったということだ。



リーダーだって「立候補、選挙が無理」と御託を並べている時点で本気じゃないということだ。本気で「私が変えたい!」と思ったら、立候補がどうとか選挙がどうとか言わないと思う。

だって手段の一つに過ぎないから。選挙が手段に過ぎないなら、「そんな目先のみみっちいことよりも、私がこの世界を変えてやる!!」と使命感に燃えるはず。私が高市少女だったなら、きっともっとずっと先を見ていたはず。



それと、「手を挙げておいて落選したら恥ずかしい」という理由も大きかったと思う。

今なら分かる。全く恥ずかしいことじゃない。自分から勇気を出して手を挙げて立候補している時点で、もう勝者、というか勇者だ。

今の私だったら、落ちようが受かろうが、選挙に出ようと思ったその勇気と行動を讃える。落ちたから恥ずかしいなんて思わない。むしろめちゃくちゃカッコいい。落ちたからって笑うようなやつは勝手に笑わせとけ。



自意識過剰な自分は、自分のプライドばかり気にして、きっとその先の叶えたい未来を見ていなかったのだと思う。本気で叶えたいことがあったら、プライドなんかとっくに捨てて、目的のために行動していたはずだ。


改めて、『嫌われる勇気』の言葉が腑に落ちた。

つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。
(中略)
ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな"勇気"を試されます。変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう。

岸見一郎・古賀文建『嫌われる勇気』p.52


↑ここで言う"ライフスタイル"とは、生活スタイルのことではなく、生きる上での考え方や態度に近いかな。


リーダーはそもそもやりたいという動機がないので自意識に関わらず立候補はしなかっただろうが、留学への挑戦はきっと「海外で恥をかくのが怖い」という認めたくないプライドがどこかにあったと思う。英語を話せない、自分の意見を言えない、歴史を知らない、とか。


それを「お金がないから」を免罪符に私は逃げた。
今なら認められる。
私は、傷つくことから逃げたのだ。


アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ"勇気"が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。

『嫌われる勇気』p.53


当時の私は、恥をかいたり傷つく勇気が足りなかった。今以上に、臆病だった。周りの目ばかり気にしていた。お金を言い訳に、しょうもないプライドを守るために安全な方に逃げた。


過去は変わらないし、考えても仕方ないけれど、小学生の時に勇気を出して「私に清き一票を!」と言えていたら何かが変わったのかもしれないなと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、思わないこともない。


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