もちろんです / 小川糸『ライオンのおやつ』
小川糸の小説『ライオンのおやつ』が良かった。
余命わずかの33歳の独身女性が、瀬戸内海のとある島のホスピスで人生最期の日々を送る話。
死生観に関わる深い言葉もたくさんあったのでそれはまた違う時に書こうと思うが、私が一番印象に残ったのは、主人公・雫(しずく)の「〜してもいい?」という質問に対して「もちろんです」と答える人、マドンナの言葉。
マドンナは、そのホスピスを立ち上げた女性で、みんなのサポートやケアをしている。そこでは、本人が人から呼んでもらいたい名前を名乗ることになっていて、本名でもニックネームでもいい。なので、彼女は「マドンナ」と名乗っている。(理由は不明)
穏やかで、マザーテレサ的な人で、彼女の発する言葉がどれもいちいち優しくて、本を読みながら何度も癒された。
少しためらいながら、もうひとつ、気になっていることを質問した。
「夜間セデーションを行っても、引き続き、六花と寝てもいいですか?」
「もちろんです」
もしダメと言われたら、夜間セデーションはやらなくてもいい、そう覚悟を決めていたから、マドンナの返事に拍子抜けしそうになる。
「よかった、私、それだけが心配だったので」
「六花は、雫さんにとってモルヒネ以上の存在です。雫さんのセラピー犬ということになれば、離れ離れにはできません。いつでも、一緒です」
マドンナからその言葉を聞いて、急になんだか元気になる。
最初の場面から一貫して「もちろんいいですよ、ここでは何しても大丈夫ですよ」というスタンスのマドンナ。その姿が優しくて寛大で素敵だなぁと、とても印象に残ったのだ。
主人公の雫は控えめな性格で、周りに合わせて無理をして生きてきた。そんな人だからか「〜してもいい?」と聞くシーンが何度も出てくる。
「何か、規則とかはありますか?」
気になっていたことをたずねると、
「規則とは?」
マドンナが、逆に質問した。ちょっとしどろもどろになりながら、私は答えた。
「朝は何時に起きるとか、消灯は何時とか。テレビを見ていい時間帯とか、携帯電話は使っちゃダメとか、面会時間とか」
〜してもいい?という言葉は使っていないものの「してもいいこと・しちゃダメなこと」について聞いている。他にも、こんな広い部屋使ってもいいの?ペット連れてきてもいいの?私病気なのにコーヒー飲んでもいいの?あなたにお願いしてもいい?など、相手に確認するシーンが度々出てきた。
「この人はこれまでの人生で何度も我慢したり相手に配慮してきたから、確認するのが口癖なんだろうな」と思わせる描写だった。
さきほどの雫の規則に関する質問に対して、マドンナはこう答える。
「そういうものは、一切ございません。ライオンの家は、病院ではありませんので。ただ、洗濯とか室内の掃除とか、ご自分でできることはご自身でしていただきます。できないことは、こちらでお手伝いします。できないことを、無理にする必要はございません。あとは、自由に時間を過ごす。これが唯一のルールといえば、ルールかもしれません」
今しがたマドンナが口にしたことは、もうがんばらなくていい、ということだった。嫌なことは嫌だと拒絶しても、責められない。
(中略)自由にすることが唯一のルールと聞いて、安心した。それなら、やっていけるかもしれない。(中略)私はもう、ここに来てまで、「いい子」を演じるのはやめようと思った。
「もちろんです」
「もちろんいいですよ」
「もちろんいいよ」
これらの言葉を単体で見た時、「そこに誰かがいて、その人から〜してもいい?と何か質問されたんだろうな」と想像することができる。
そして、「〜してもいい?」という質問の裏には「ダメって言われるかな」という質問者の不安な気持ちが含まれているように感じる。事情によってはダメと言われることもあるが、基本的には「いいよ」の返事を期待して質問しているように思う。
「〜してもいい?」って、すごく社会的な言葉だなぁと思う。
私にはもうすぐ3歳になる娘がいるのだが、発話が増えてきたとはいえ、「〜してもいい?」と聞かれたことはまだない。言葉を知らないというより、そもそもそういう概念がまだないのだと思う。
「これ食べたい!」「これが欲しい!」「これがいい!」「やだ!」
毎日そのオンパレード。イヤイヤ期はもちろん大変だけど、よく観察するととても面白い。恥やら世間体やらを全く無視して、思い切りシンプルな欲求をド直球でぶつけている姿はときどき羨ましくなる。
いやなもんはいや!ほしいもんはほしい!
イヤイヤ期ってもっと理不尽で理解不能な感じだと思っていたが、意外と子どもなりに筋の通った理屈がある。なんでもかんでもイヤというより、「上手に言葉にできないからもどかしい!わかってよ!」っていう感情を爆発させてるだけなんだろうなと、だんだん分かってきた。
でもきっと、彼女もいつか私に「〜してもいい?」と聞く日がくる。
人が「〜してもいい?」という言葉を使うようになるまでには、「この世界にはルールがあるんだ。いくら自分がしたくても、だめなこともあるんだ」と、何かを諦めたり我慢したりしながら、そうやって社会性を身につけていくのだと思う。
「もちろんです」「もちろんいいよ」という言葉は、許可を与えるだけでなく「当たり前だよ、いいに決まってるよ!」という、明るさや優しさが含まれているように感じる。怒りながらの「もちろんいいよ(怒)」は違和感があるし、怒っていても優しい人に見える。笑
それと、英語で「〜してもいいですか?」の例文を探すと、その返事として "Of course!"や "Sure." がたくさん出てくる。確かに外国人がすぐ言うイメージ。しかもなんだか日本語よりも響きが明るくて良い。
ふと思ったのだが、「もちろんいいよ」と言える人って、機嫌がいい人なんじゃないか?
ある映画で、もたいまさこ演じる女性が言ったセリフが印象に残っている。
「今日も機嫌よくやんなさいよ」
シンプルだけど、確かにその通りだと思う。機嫌がいい人は、周りに好かれるし、物事をポジティブに見ている。機嫌よくいることは、人生を楽に生きるコツなんだと思う。
さらに逸れるが、「もちろんです」についてぐるぐると考えていたら、なぜかハリー・ポッターのダンブルドアが浮かんだ。ダンブルドアは偉大な魔法使いで、賢者であり人格者であり、みんなに尊敬されている。彼もいつも機嫌がいい。
第一巻の『賢者の石』の最後のシーンで、ハリーがダンブルドアに「真実を知りたいんです」と言うと、ダンブルドアは「真実か」とため息をついたあとにこう言う。
「それはとても美しくも恐ろしいものじゃ。だからこそ注意深く扱わなければなるまい。しかし、答えない方がいいというはっきりした理由がないかぎり、答えてあげよう。答えられない理由がある時には許してほしい。もちろん、わしは嘘はつかん」
なんと誠実な姿勢…これぞ賢者…!
ただ、このあとに「そもそもなぜヴォルデモートは自分を殺したかったのか?」という質問をハリーがすると、
「おお、なんと。最初の質問なのにわしは答えてやることができん。今日は答えられん。今はだめじゃ。時が来ればわかるじゃろう…ハリー、今は忘れるがよい。もう少し大きくなれば…こんなことは聞きたくないじゃろうが…その時が来たらわかるじゃろう」
いや、はっきりした理由言わないんかい(笑)
ラストに真実が明らかになる物語だからそりゃそうだけど。それに「答えられない理由を言う」とは一言も言ってないから、別に言わなくてもいいのか。
あれこれ考えていたら、こんなに長文になってしまった。(ダンブルドアのところはちょっと論点がズレた)
でもかなり思考が整理された。マドンナの言葉になぜ癒されたのか、その訳が少し分かった気がする。
「もちろんです」は、相手を肯定し安心させる魔法の言葉。
禁止や配慮が多すぎる時代だからこそ。
私も口癖にしようと決めた。
