みねのさんの推し活名古屋旅行記。
まさかの電車一部区間運休。カーテン越しでもわかる激しい雨音、雷鳴の轟き。
7/10夜。バスタ新宿に辿り着けるかどうかを心配するはめになるなんて、夜行バスの予約をした時点では想像だにしなかった。
波乱の出発
旅の目的地は名古屋の徳川美術館。人気ゲーム『刀剣乱舞ONLINE』に登場するキャラクター・刀剣男士の元ネタになった刀を数多く所有することで有名だ。ようはまぁ、推し活である。
金曜より木曜の夜の方が運賃が安いという理由でこの日出発と決めたのに、まったくもって運が無い。バスは走っているようだから、それで渋谷まで行って山手線で新宿に行くしかないだろう。
キャリーバッグを引く身に通勤客のすし詰めは怖いが、腹をくくって予定より一時間早く風呂に入った。キャリーバッグに30リットルのゴミ袋をかぶせ、自分は100均レインコートをリュックの上から羽織って家を出る。すでに雨脚はずいぶん弱まっていて、バスも想定よりずっと空いていた。
渋谷から新宿までの予定外の出費167円は戸崎圭太騎手のセンイル広告見物料だと思うことにした。ちょっと話題になっていたが掲示期間中に見に行く余裕がないと諦めていたのだ。
果たして新宿駅の片隅にパステルブルーの背景を背負った戸崎騎手がいた。センイル広告は初めて見たがずいぶん可愛らしい雰囲気だ。流行りのキラキラしたアイドルにはさぞかし似合うだろう。
しかし誕生日を祝われているのは戸崎騎手。彼は男前だが年齢を差っ引いてもキラキラよりギラギラしろと言われる人物である(だからこそ広告が話題になったのだけど)。
だが、広告の依頼主にとって戸崎騎手はパステルブルーのセンイル広告が似合う推しなのだ。彼もしくは彼女からすれば「日本刀を擬人化したキャラクター」のために名古屋へ聖地巡礼する私のほうが奇異に映るかもしれない。
推しも推し活も人の数だけ違うのだ。推し活旅行序盤に思い出せてよかった。
新宿駅南口から外に出ると雨はすっかり止んでいた。慌てず騒がず予定通りに家を出るのが最適解だったのだ。今更悔やんでもしかたないのでサザンテラスのスタバで時間を潰してからバスタ新宿に向かう。
電光掲示板にずらっとバスの便が並ぶさまは空港に似ている。自分が乗る便の搭乗口に行き、そこで自分が乗るバスを待つのだ。 私が予約したバスは独立シートでこそないが、女性専用エリアが設けられており各座席には頭を覆う幌が付いている。強制的に視界が暗くなるおかげでバス社内の消灯前に入眠できた。
――そして名古屋に着いたとき、傘が行方不明になっていた。
名古屋到着、求むモーニング
青空広がる名古屋は午前7時前だというのに日差しが強い。
しかし愚かな私は傘をスタバかバスタに忘れたのだ。紛失に気がついたのはバスの車内なのでこの二択しか考えられないが、時間が早すぎて問い合わせの電話を掛けることすらできない。
とりあえず多くの人達と同じ方に向かってトボトボと歩いていると、やがて歩道を覆うアーケードに辿り着いた。そこにいたのは背筋と手足をピンと伸ばした巨大なマネキン。オシャレさんで有名なナナちゃん人形だ。
この日のナナちゃんは4段ティアードの可愛らしいワンピースを着て巨大ハンディファンを持っていた。そして吊されたフキダシにナナちゃん直々のメッセージ。
「暑さ対策を忘れずにね!」
日傘をなくした負け組はここでキャリーバッグの前ポケットに突っ込んだものを思い出した。遮熱加工された帽子だ。
帽子を被りミャクミャクのハンディファンを首から提げる。この二つが今の私の生命線。ありがとうナナちゃん。
ナナちゃん人形と別れた私が向かったのは宿泊先のホテル。チェックイン前にキャリーバッグを預ける算段である。
ホテル選びはXでもらった意見を参考にした。名古屋旅行を決めたとき「徳川美術館と熱田神宮に行くなら名古屋と栄のどちらに泊まればいいか」とつぶやいたのだ。そして治安を考えるなら名古屋駅の東側がおすすめだというアドバイスをもらった。
Googleマップを見て名古屋駅の東側に該当するであろう場所にあるホテルを予約したのだが、どうも飲み屋が多い気がする。あと喫茶店が見当たらない。名古屋に着いたらモーニングを食べようと思っていたから新宿で何も買わなかったのに。
キャリーバッグを牽く腕にあたる日差しと空腹が体力ゲージをガンガン下げていく。何でもいいから食べたい、いや、せっかくの名古屋なんだから絶対にモーニングを食べたい。
意地になって歩く私の前にとうとう救世主が現れた。夜は居酒屋だが朝になると喫茶店に変わる店があったのだ。
旅行の初めての食事は小倉トーストとゆで卵になった。トーストのパンが厚切りでやわらかいのが嬉しい。バターの塩味と餡子の甘さはもはや鉄板の組み合わせだ。アイスコーヒーは最初からガムシロップが入っているのか甘かった。ゆで卵は熱々だったが塩をうまく振りかけられなかったのが残念、自業自得だが物足りない。
コーヒーと餡子の糖分が頭に行き渡り、頭の中がはっきりしてきたところで店を出た。ホテルまではあと少しだ。
ところが最後の交差点でとんでもないものを見てしまった。
ビルの壁面に掲げられた「熟女キャバクラ」の文字。
治安への不安が一気に押し寄せてくる。私が思う「名古屋駅の東側」はフォロワーさんの想定と違っていたのかもしれない。ホテルを探す前にもっと詳しい話を聞くべきだったかも。
ただ、目印としては最高のインパクトだろう。なにせ熟女だ、そうそう忘れられるわけがない。
事実この旅行中、名古屋駅からホテルまでは一度も迷わなかったことを先に書いておく。
いきなり名古屋脱出!?
ホテルに着くと朝食サービスにあずかっているサラリーマンたちがロビーに溢れかえっていた。そういえばこの日は金曜日なのだった。名古屋駅周辺のホテルともなれば出張者も多かろう。
無事にホテルにキャリーバッグを預けることができたのだが、徳川美術館が開くまでには時間がある。そしてバスタ新宿の受付開始時間にも。
無くした日傘には先月に完成したばかりのアジサイのアンブレラマーカーを付けていたのだ。初めてのビーズ刺繍で我ながらなかなかの出来ばえだった。正直なところ日傘は買い換えを考えていたが、アンブレラマーカーはこの手に取り戻したい。
ホテルを出た時点でスタバには電話できたが発見ならず。このままバスタ新宿の受付開始時間まで何もせずにいて正気を保てる自信がない。
そこで私は三河安城駅までの新幹線チケットを買うことにした。
JR東海の推し旅というサービスのひとつに新幹線限定コンテンツがある。東海道新幹線に乗車中、オリジナルのボイスドラマを聴けるというものだ。ボイスドラマはいったん解放すれば二時間のあいだ(新幹線から降りても)聴くことができる。どうやって乗車中かどうか検知するのかというと、位置情報を使って移動速度を測定しているのである。
実は高速バスを予約した直後に徳川美術館・刀剣乱舞とのコラボが発表されタイミングの悪さに歯がみしたのだ。乗車証明があると徳川美術館で記念カードがもらえるからだ。
名古屋駅・三河安城駅間で移動速度測定をクリアできるという情報は出回っていた。たった一駅なので一時間もあれば名古屋に戻ってこれるだろう。そして新幹線に乗っているあいだは日傘から意識を逸らすことができるだろう。
三河安城へ向かう新幹線の車内で無事に移動速度測定を突破しボイスドラマを解放。戻りの新幹線を待つあいだ、三河安城駅の売店で名産のイチジクを使った「安城いちじくあんロール」というお菓子を土産に買った。これは三河安城への詫びのようなものだ。
名古屋に戻ってからバスタ新宿に電話をかけたが日傘は見つからず、泣く泣く徳川美術館行きの市バスに乗った。日傘のことが気になって車窓からの景色に意識をやることができない。ワイヤレスイヤホンを着けて解放済みのボイスドラマを再生する。最高のボイスドラマが私の気持ちを落ち着けてくれた。ああ、推しってやっぱり最高だ。
徳川美術館で推しを見る
徳川美術館に到着したのは開館5分前。白壁の建物の前にはすでに長蛇の列ができていた。とはいえ蓋を開けるとほとんどが当日券を買う人たちであり、ネットでチケットを購入済みだった私はすんなり館内に入ることができた。
コインロッカーに大きな荷物を預けてから展示室に入る。甲冑と巨大な軍配が出迎えてくれるが、目的の特別展めがけて大股歩きで常設展示室を抜けていった。
旅の目的、特別展『時をかける名刀』に出品される日本刀は最後の展示室にあるのだ。この展覧会は前期と後期に分かれており、前期は『伯仲燦然』という企画の一巻で足利市から来た「山姥切国広」という日本刀が展示される。
伯仲とは徳川美術館が所蔵する「本作長義」とその写しである山姥切国広を指す。共に国の重要文化財で非常に美しい刀だ。何を隠そう、この二振りをモデルにした刀剣男士たちが私の推しである。
先に述べたとおり徳川美術館は他にも刀剣男士となった日本刀を複数所蔵している。美術館側も刀剣乱舞を大いに意識しており、元となった日本刀を中心に「とくびぐみ」を結成して毎年のようにオリジナルグッズを展開している。まるでアイドルグループのような扱いだ。
とくびぐみ全員と山姥切国広が一度に鑑賞できるので刀剣展示は大混雑するらしい。確かに廊下には「ここから展示室まで60分」というような表示があった。
真っ先に向かったおかげで刀剣の展示室にはまだほとんど人がいなかった。さてじっくり鑑賞するぞと身構えたところで単眼鏡をコインロッカーに入れてしまったことに気がついた。これでは刃文や地金を拡大して観ることができない。痛恨のミスだ。
さいわい館内は一方通行だが何周してもよい。単眼鏡での鑑賞は後回しにして、まずは肉眼で全体を観て写真撮影するのがいいだろう(よそから来た山姥切国広以外は撮影が許可されている)。人がいないアドバンテージを活かすことにしたのである。
本作長義と山姥切国広はそれぞれ独立ケースに入れられ横並びに展示されていた。この二振り、姿は似ているが刃文はまるで別物だ。本作長義の刃文はほぼ等間隔で凹む感じだが、山姥切国広の刃文はゆったりして規則性がない。山姥切国広は本作長義のコピーではなくオマージュなのだろうと言えばわかってもらえるだろうか。
もちろん「とくびぐみ」をはじめとした他の日本刀たちも逸品ばかり。そして正宗の刀が三振りもある。日本刀と言われれば真っ先に思いつくであろう正宗だが、本物はそうそうないシロモノなのだ。いちどに三振りも展示できるなんてさすがは尾張徳川家由来の美術館だと言わざるをえない。
名刀鑑賞の第一弾を楽しんだあとは特設ショップに入った。前期日程の後半なので「とくびぐみ」のグッズに売り切れが多いのはしかたがない。しかし刀剣乱舞コラボの書き下ろしクリアファイル完売は想定外だ。このクリアファイル購入がショップの目的だったと言っても過言ではない。スタッフに話を聞くと再入荷は七月中旬だとしか言えないらしい。
コラボグッズは展覧会終了後に再販予定なのは知っている。手に取れるのは十月かな、と私は肩を落とした。
魅惑の刀剣乱舞ONLINEフルコース
この日の昼食は美術館の日本庭園「徳川園」に併設されたフレンチレストラン「ガーデンレストラン徳川園」だ。刀剣乱舞ONLINEとコラボしたコース料理の席を事前に予約できたのだ。
予約時間にレストランにいくと少しバーカウンターのある部屋で待たされたあとテーブルに案内された。見慣れた刀剣男士たちのイラストがが印刷されたメニューが美しい細工の台に載せられている。各料理は「時をかける名刀」にモデル刀剣が展示されている刀剣男士たちそれぞれをイメージしたものだ。
ドリンクの追加注文をするつもりは無かったがスタッフに「お料理に合わせた4種類のペアリングがありますよ」と言われると弱い。価格は「とくびぐみ」のオードトワレが1本買えるぐらいしたが、せっかくの料理を十全に楽しみたいと考えてノンアルコール版のペアリングを頼んだ。
コースの内容は前菜3皿、魚料理、肉料理、デザート3皿の豪華なもの。こんな皿数の多いフルコースを食べたのは妹の披露宴以来だと思う。そしてどの皿の料理も驚くほど美味しかった。
特に素晴らしかったのは肉料理で、岡崎竹千代ポークという愛知のブランド豚の肉に竹炭と米粉を混ぜたものを塗って焼いたものだ。刀剣に見立てた牛蒡の細切りが添えられている。ソースは八丁味噌と蕪の2種類。
この料理は山姥切長義(本作長義を元にした刀剣男士)をイメージしているのだが、彼がまとう灰色のマントの表現として竹炭を混ぜた豆乳をアガーで固めたシートが肉の上に被せられている。このシートと肉を一緒に口に入れると、肉のしっかりした噛みごたえとシートのプルプルが混ざり合って得も言われぬ食感になるのだ。ペアリングのドリンクは紅茶ベースのグレープジュースにカシスとスパイスを加えたもの。甘さは抑えめで舌の上で転がすと胡椒と山椒がわずかに刺激してくる。これも肉料理によく合っていた。
素晴らしい一時間半を過ごしたあとは徳川園を一周し、再び美術館に入った。改めて名刀たちを鑑賞するためだったが、展示室への入場待ち列が長く延びていて断念せざるを得なかった。いいのだ、どうせ翌日のチケットも取ってある。気持ちを切り替え、朝は飛ばした刀装具を鑑賞した。お家の家宝ともなると衣装持ちなのだ。
最後に売店で図録と推し旅の記念カードを手に入れて美術館を出る。帰りは観光バス「めーぐる」に乗ることにしたのだが、バス停にただ立っていると威力を増した日差しが暴力的に襲いかかってきて辛い。奇跡を信じて何度かバスタ新宿に電話をかけ直していたのだが、いよいよ潮時のようだ。
名古屋ハンズ
名古屋駅に戻ってから真っ先に向かったのは東急ハンズだ。UVカットと遮熱処理が施された日傘を買い、すぐに使うからとタグを外してもらう。アンブレラマーカーのことは本当に残念だが、これ以上気持ちを引きずるわけにはいかない――日差し対策のためにも。
実は日傘のことが無くても名古屋ハンズには訪れる予定だった。
私の趣味はガラスペン蒐集。この方面は東海地方がめっぽう強い。有名店が多く名古屋ハンズもそのひとつだ。本当はあと一泊して文具店巡りをしたかったのだが、日曜日にオフ会が入って諦めざるを得なかったのだ。
名古屋ハンズの文具エリアは確かに充実していた。他のハンズではお目にかかれないインクや紙ものが並んでいる。ガラスペンも入門レベルとしてちょうど良い作家ものが揃っていた。
なお残念なことに、どの作家ものも既に複数本入手済みだったので購入したいペンはひとつも無かった。
けっきょく名古屋ハンズで得たものは予定外の日傘一本だけだったが、何も買わずに店を出るよりは少し気楽だ。
味噌煮込みうどん
夕食は「名古屋駅の味噌煮込みうどん屋」で食べると決めていた。
新人時代、一度だけ名古屋に日帰り出張したことがある。仕事の成果のほうはやらかした記憶がうっすらあるだけだが、帰りの新幹線に乗る前に上司と食事をしたことはよく憶えている。
「ぼく、実は味噌煮込みうどんが好きなんだよねぇ」
薄暗い店内。しみじみと呟く上司を前に、確かにこのうどんは美味しいなと思ったものだ。
そして訪れた味噌煮込みうどん屋はすっかり明るくなり、注文はタッチパネル式になっていた。そもそも出張当時と同じ店かどうか判らないのだけれど、立地と料理は一致しているのだから構わないだろう。
エビの天ぷらと名古屋コーチンが入った豪華な味噌煮込みうどんが運ばれてきた。熱々の麺の中心には芯のような部分が残っている。一般的なうどんではあり得ないが味噌煮込みうどんはそういうものだ。
なんというか、味噌煮込みうどんはゆっくりしみじみ味わうものという感じがする。鍋の熱さ、麺の固さ噛みごたえが私にそう思わせるのかも。
あのときの上司は数年前に定年を迎えている。もし私が誰かを味噌煮込みうどん屋に連れて行ったら、同じようにしみじみと「私、実は味噌煮込みうどんが好きなんだよねぇ」と言う気がしている。
再び徳川美術館へ
翌朝はホテルで無料の朝食サービスをいただいた。日替わりスープ以外はサンドイッチばかりである。米価が高騰していなければ天むすがあったかもしれないな、と味噌カツサンドを食べながら思った。
この日もまず徳川美術館に行く。土曜は予約制とはいえ朝一番にどれだけ人が集まるのか読めない。今度こそ単眼鏡を使って刀を鑑賞したいので、混まないうちに展示室に入りたい。
美術館に着いたのは八時半。バスから降りると小雨が降っていて、思わず買ったばかりの日傘を放り投げるところだった。
美術館の前にはまだ人が集まっていなかった。美術館の石段に推しの小さなフィギュアたちを並べて写真撮影している人がいたのだが、雨は大丈夫なのかと心配になった。
とりあえずこの辺りが自分の場所だろうと思われる位置に立つと、写真の人が「もう列ができはじめてる!」と慌てだした。前はあけておきます、と言っておいた。
小雨は本当に一時的なものだったようで、写真の人が列に入ったときにはすっかり止んでいた。なんとなく互いに声を掛け、開館までの時間つぶしに会話を楽しむことになった。
写真の人は今日を含めて前期に2回、後期に1回展覧会を観る予定らしい。ガーデンレストラン徳川園と宝善亭、それぞれのコラボメニュー予約の都合だそうだ。
宝善亭は美術館の敷地内にある日本料理店である。そこの予約に失敗した私が素直にうらやましがると、写真の人はキャンセル分の当日予約を確認すべきだと勧めてくれた。
展示室に入るところで写真の人と別れを告げ、一人で刀剣の展示室に入る。今度こそ忘れなかった単眼鏡越しに刀を見ると鋼の粒子が輝いていた。私は刀剣乱舞から日本刀に興味を持った素人だが、推し活を繰り返すうちに自分の好みが明確になってきたと思う。ストレートな刃文の直刃よりラインが複雑な乱れ刃、それもポコポコポコした丁子乱れにより強く惹かれる。
展示室を出たあと宝善亭に行ってみると、奇跡的に一人分だけキャンセル枠が出ていた。店の人に声を掛けて予約を確保することができ、心の中の快哉が表に出てしまった。
宝善亭の刀剣懐石
11時に宝善亭に戻ると二階の席に案内された。四人掛けの大きなテーブルに一人前の膳が置かれている。その左にはお品書きが印刷されたうちわが置かれていた。夏にぴったりな洒落た趣向である。
まず先附に箸をつける。前日のコース料理でもそうだったが、作刀した刀工が同じ後藤藤四郎と鯰尾藤四郎はセット扱いだ。鯰尾藤四郎の茄子オランダ煮は濃厚な味の茄子が舌の上でとろけて絶品だった。
私が食べ始めてしばらくすると、通路を挟んで窓際側のテーブル席の周囲が障子で仕切られた。そのようにして個室扱いにするらしい。やがて振り袖を着た美しいお嬢さんが障子を開けて中に入っていった。
なるほど、個室にしたのは結婚前の両家の顔合わせをするからか。
あられをまぶして揚げた海老に舌鼓を打ちながら、徳川美術館に併設された二軒の料理店のレベルの高さに舌を巻いた。少なくとも私は、東京の美術館・博物館のレストランで改まった席に使われそうな店を知らない。「徳川」のお膝元で商売するに生半可な店では務まらないのだろう。
宝善亭を出たあと、写真の人に再会した。
「書き下ろしのクリアファイル再入荷してますよ!」
この人との偶然の出会いが今回の旅最大の幸運なのかもしれない。
熱田神宮の烏骨鶏
この日の次の予定は熱田神宮参拝だ。徳川美術館から駅まで歩いて地下鉄で向かう。
刀剣乱舞ONLINEのサービスがはじまった十年前、熱田神宮に参拝したとき「今日からのイベントで実装される日本号が入手できますように」と願った。すると翌早朝に日本号が来てくれたのである。お礼参りをしなければとずっと思っていたのだが、十年越しにようやく果たせるというわけだ。
緑豊かな敷地内を歩いていると、何やら白く小さな影とその前にしゃがみ込む中年男性を見かけた。近づくと白い影の正体はなんと風采の立派な二羽の烏骨鶏で、男性は烏骨鶏に餌をやっていたのだ。
熱田神宮で飼っている鶏なんですか、と訊くと男性は「いつの間にか増えているんです。全部オス。別のところには名古屋コーチンもいますよ」と教えてくれた。
信じられないことに烏骨鶏は野良烏骨鶏だった。彼らの元飼い主はおそらく卵目当てで飼い始め、オスだと判明したから手放したのだろう。捨てる場所に熱田神宮を選んだのはせめてもの情けなのかもしれないが、男性曰く野良鶏たちはタヌキやハクビシンに狩られてしまうのだそうだ。それでも気付いたら新しい鶏が増えているというのだから、なんともやるせない話だ。
その後私は本宮で日本号のお礼を述べた。次の願いとして野良鶏たちの平穏を祈るべきだっただろうか。
あつた蓬莱軒のひつまぶし
この日の夕食は「あつた蓬莱軒」のひつまぶしだ。
あつた蓬莱軒は「ひつまぶし発祥店」を名乗る店のひとつだけあって開店前から行列ができる人気店。十年前の熱田詣での後も本店の列に並び、ギリギリ最初の入店に間に合った記憶がある。
あつた蓬莱軒本店は会席料理以外の予約を受けていない。一方で、熱田神宮を出てすぐのところにある神宮店は席の予約が可能だったりする。
開店時間の少し前に神宮店に行くとやはり長蛇の列。それを尻目に店に入って名前を告げると待合部屋に通された。
待合にはけっこうな人数がいて座る場所を見つけるにも一苦労だ。カップルがメニュー表を眺めているのを横目で見て、こっちにも貸して欲しいと思った。
やがて開店時間になり、仲居さんが待合にやってきた。
「まずはご予約の方からお呼びいたします。1名様のみねの様――」
呼ばれて立ち上がった瞬間、周囲の視線が私に集中した気がした。
なんとなく居心地の悪さを感じながら私はカウンター席に向かった。
お目当てのひつまぶしのほか、数量限定だという特製プリンも注文する。ひつまぶしは開店時点でかなりの数用意してあるのだろう、あまり間を置かずにやってきた。
ひつまぶしの食べ方はまずしゃもじでおひつの中をきっちり4等分し、一杯目はそのまま、二杯目は薬味を添えて、三杯目は出し茶漬けにする。最後の一杯はお好きな食べ方でどうぞと言うわけだ。
言われたとおりのやり方で三杯目まで食べたが、いちばん気に入ったのは二杯目の食べ方だ。茶碗によそったひつまぶしの上にわさびを載せて食べると適度な刺激がうなぎにしっくり合う。
四杯目は悩んだが、まず薬味を載せたひつまぶしをそのまま少し食べ、薬味を更に足して残っていた出汁をぜんぶ掛けた。十年ぶりのひつまぶし体験は最高だった。
食後に出てきたプリンはそのままだと「濃いプリン」という印象を受けたが、添えられたソースを掛けると印象がガラッと変わった。
「これ、みたらしプリンだ!」
濃いプリンが濃いソースをがっつり受け止めている。これはいくらでも食べられそうな美味しさだ。醤油と洋菓子のマリアージュはもっと研究されてしかるべきだと思う。
さよなら名古屋
旅行の最後の食事。ホテルの日替わりスープにCoCo壱番屋監修のカレースープがあった。あっさり系なのにしっかり辛い。
サンドイッチのラインナップも少し入れ替わっていた。手羽先サンドは美味しかったがどう見てももも肉だ。手羽先とは味付けの概念なのかもしれない。
各所へのお土産購入は前日までに済ませていたので、ホテルをチェックアウトしたらあとは予約した新幹線に乗るだけだった。
スマホを操作して再び推し旅のボイスドラマを解放する。推したちは徳川美術館に向かうところだ。離れたばかりの名古屋がもう懐かしくなった。
さよなら名古屋、また今度。次は推し活ついでにめぐーるで名古屋城に行き、まだ見ぬ名古屋めしを食べるのだ。

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