花調酔之奏(はなしらべよいのかなで)〜花酔譚
幕間其の十三〜飲み仲間たちの新年会
ハナヨイはダダダンと一升瓶を並べると、ドヤ顔の片膝立てで言った。
「どうでぇどうでぇ、このラインナップはよ!」
「こりゃすげえな」
ウキグモは目を見張り、一升瓶それぞれを手に取りながら吸い付くようにラベルを見る。
「花幻三清が揃うなんてのは都市伝説だと思ってたよ」
「しかも!和らぎ水は「月椿霞」の仕込み水ときた!」
とハナヨイは扇子でパパンと床を打った。
「花幻三清」とは、これらが揃うと 去年の穢れを祓い新年の縁を結ぶとされる、日本酒3本だ。それぞれ月椿霞、黄昏燐蘭、黒薔薇嵐という名称だ。
限られた土地でしか咲かない月椿は、夜に咲く珍しい品種の椿だ。その椿に置く夜露を集めて仕込み水にしたのが「月椿霞」で、水のように飲めるフルーティで甘口の清酒だ。
「黄昏燐蘭」とは、燐光を発する「凛蘭」の花粉を浮かばせた日本酒だ。昼は陽光を反射し夜は発光する花粉が、瓶を揺らすとキラキラと落ちてゆく。金粉が入っているようでめでたいと祝いの席で人気だが、生花粉が入っているという性質上鮮度が落ちやすく、封をしたままでも、手に入れてから3日くらいが美味しく飲む限度とされている。さっぱり中辛の清酒である。
「月椿霞」は露が置く夜が少なければたくさんは仕込めないし、「黄昏凛蘭」も年末年始に手に入るとは限らない。それなりにレアだ。だが「黒薔薇嵐」の希少価値の高さはその比じゃない。
「黒薔薇嵐」の名前になっている黒薔薇は、原生種の小型の薔薇でどこにでも咲いており、普通は真紅だ。
だが逆水谷に咲く薔薇だけは違う。逆水谷は、台風や暴風雨の前夜だけ水が湧き出る「間欠予兆泉」あるいは「気圧連動脈」と言われる地下水脈がある谷だ。この湧水を取り込んだ薔薇はなぜか真紅から黒になる。この黒く染まった薔薇が「黒薔薇」の名称の由来で、その逆水谷の湧水を使って仕込んだのが「黒薔薇嵐」である。
つまりこの酒は、「台風か暴風雨があった年に」「湧水がちゃんと湧き出て」「必要量の湧水を手に入れることができ」「険しい谷下まで汲みに行ける者がいる」という条件が揃わなければ仕込むことができない超絶レアなのである。味はキレの良い辛口。出来が良い年は仄かに薔薇の香りがすると言われている。
「確かにこの水、椿油の甘い香りがする気ぃするわ」
ここまで静かだったメイネを見ると、知らない間に火鉢に鉄瓶が置いてあり、仕込み水を沸かした湯を仕込み水で割るという贅沢な白湯を啜っている。
「っておい!貴重な仕込み水沸かしてんじゃぁねぇ!」
「火鉢と鉄瓶があれば自然と湯う沸かしてしまうんが人間っちゅうもんやろ」
「お前が言うとすげぇそれっぽく聞こえるけど、んなこたぁねぇからな」
「『人間』とか大きくまとめときゃいいってもんじゃねえぞ」
この3本のうち「黄昏燐蘭」はメイネが用意したもので、「月椿霞」はハナヨイが用意したものだ。では最も貴重な「黒薔薇嵐」は誰のおかげで用意できたかというと、他ならぬウキグモのおかげだ。だがそのことを、本人は全然知らない。
今日は新年2日目。
隊長副隊長が休まないと隊員が休めないと、年末から新年三ヶ日にかけて、メイネもウキグモもハナヨイも完全休日だ。
だが掻き入れ時の邪魔になるため椿屋に戻れないハナヨイとサルビアに帰ると微妙に忙しい旅程になるウキグモは兵舎に残っており、結果として永久に二人で飲んでいた。ハナヨイなど同じ兵舎徒歩数分の自室にも戻らずウキグモの部屋で過ごし、終いには暇すぎて何かの口上なども考えてしまうぐらい暇だった。しかもこれだけ二人で飲んでいたのに二人とも、ほぼ何の記憶もない。恐ろしいことだ。
だがその中でもハナヨイは、メイネに預けていた「黒薔薇嵐」のことだけは言わずにいたのである。
やはり酒飲みとしては、幻の酒「黒薔薇嵐」が気になるのだろう。ラベルを隅から隅まで眺めている。精米歩合や米の種類などが書いてあるラベル背面を見だした時、ハナヨイとメイネはちょっと目配せし、メイネが言った。
「製造者の所もちゃんと見ぃや」
メイネに促されて名前に目を落としたウキグモは呟いた。
「石動 登谷…?」
そしてバッと顔を上げ二人を見た。
「もしかして、あのトヤか?」
トヤは以前九番隊に所属していた、斥候を主とする隊員だ。170センチ前後と小柄で童顔だったため、最初見た時はウキグモも少年兵と間違えたくらいだった。しかしその実しっかりとした青年で、優れた索敵能力と冷静な判断力を兼ね備えていることで評価が高かった。
だがウキグモは、共に任務を重ねる内にトヤの、特筆すべき能力に気がついた。それは、人手が回らない仕事を見つけ、さりげなく処理しておいてくれる能力だ。例えば、野営のテント破れに気付けば全テントを調べ補修してくれること、月毎に閉じただけだった保存資料にタグをつけ、わかりやすく整理してくれること。そういう、誰にも気づかれないような、でもしておけば物事がスムーズに進むことを、皆のためを思ってできるようなところが、トヤにはあった。
強い隊員はヴァサラ軍にいくらでもいる。だがそういう気遣いができる人間というと稀有だ。とりわけ、仕事を振られがちなウキグモにとってトヤは、非常にありがたい人材だった。
強さに価値を置かれる軍隊という中において、戦闘能力が高くなく極み持ちでもないトヤも、自分が当たり前にやっていたことがウキグモに評価されたのが嬉しかったようだ。よく懐いてくれていた。
だが、ある遠征先の雪中行軍で事件が起きた。
天気予報に反して吹雪がひどくなりつつあり、隊を率いるウキグモは、行くか帰るかここで待つか、選択を迫られる事態となった。考えた末ウキグモは、ある程度雪を避けられる安全な場所まで戻り、少し待つことに決めた。
案の定吹雪は収まって来たので、その間にここを抜けてしまおうと指示を出した時だ。
歩き始めた途端に背中に衝撃があり、ウキグモは数メートル先に突き飛ばされた。
ドサっとくぐもった音に何事かと体を起こすと、目の前にトヤが倒れていた。動かないトヤは半身以上雪に埋もれていて、ウキグモは理解した。
俺の頭上にあった雪庇が崩れたのか…
いち早く気づいたトヤがウキグモを庇い、代わりにそれを受けたのだと。
俺の責任だ。
待つ場所をちゃんと分析しなかった
判断が遅かった
これで進めると一瞬気を抜いた
自分が全部悪い。
それのどれか1つでもちゃんとしておけば、トヤをこんな目に遭わせなくて済んだ。
応急処置が良かったため命に別状はなかった。だが右脚が不自由になったトヤは、前線に出ることが難しくなった。
そしてリハビリを終えたトヤは、ヴァサラ軍を退役した。
あれから3年経った。
だが今でもウキグモは、トヤに対する罪悪感と、あれが自分だったら良かったのにと思う気持ちがなくならない。
「…そうか…あいつ、登る谷と書いてトヤだったのか…」
「『黒薔薇嵐』が作れるための条件、ウキグモはんなら知っとるやろ?『台風か暴風雨があった年に』『湧水がちゃんと湧き出て』『必要量の湧水を手に入れることができ』、」
「険しい谷下まで汲みに行ける者がいる」
とウキグモは、メイネの言葉を継いだ。
「『黒薔薇嵐』は酒造じゃなく、石動屋という商家が自分たちで醸造して売っとる商品や。醸造方法が一子相伝にも関わらず後継がおらんで消滅の危機やった。けどトヤはんが養子になったおかげで『黒薔薇嵐』の断絶は免れ、このたび十数年ぶりに復活したっちゅうワケや。自分が水汲みに降りれるんはウキグモ副隊長に鍛えられたおかげやーちゅうとったで」
メイネの説明を聞き、気づいたウキグモが言う。
「トヤが自分でこれ渡しに来たってことか?なら直接俺のトコに来りゃいいのによ」
ウキグモの背中にドッカリと乗り、肩に肘をつきながらハナヨイが言う。
「それよ。トヤの奴、副隊長はずっと罪悪感を感じてらっしゃるから私を見るとまた謝るでしょうって、わざわざ俺らに渡しに来やがってよぉ。面倒ぇこったぜ」
体を離すと、どかっと胡座をかいた。
「賢ぇお前のことだ。トヤがどういう気持ちでこれ持って来たか、わかんねぇわけじゃぁねぇだろう?」
「まあウチらが知らん事情もあるかもしれんけどな」
メイネも言った。
「少なくとも、もう謝らんでええっちゅうことは確かやな」
二人の言葉を聞きながらウキグモはまた、ラベルに目を落とす。
それからふっと微笑んだ。
「さぁて!」
パンと手を叩き、ハナヨイが空気を変える。
「湿っぽいのはここまでだ!早速『花幻三清』ご賞味と行こうぜぇ!縁起モンだ。メイネもまぁ、それぞれひと舐めくれぇはしとけ」
栓を抜き、一升瓶から盃にまず、「雪椿霞」をトトトッと注ぐ。そして背後から引っ張り出した大皿を、3人の真ん中にデンと据えた。そこには菊盛りにされた薄造りがのっている。
「山椒の香りがする珍しい魚がいてよ、つまみにピッタリだってぇんでギンジに捌いてもらったんだぜ。ちょいとこう、プルプルモチモチっとしてうまそうだろ?」
「山椒の香り…?」
「プルプルモチモチ…?」
どちらともなく呟いたウキグモとメイネは、ある保護生物の名称が頭を過ぎる。
「あー…そう来たかー…」
「捌かれた状態で来たら食べるしかないわなあ…」
こんな魚どこから偶然見つけて来れるんだよとかギンジも捌いてんじゃねえよとか思いつつ、二人は薄造りに箸をつける。
絶対に食用禁止であろうそれは、鶏肉に近くて美味しい身だった。
