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【西遊旅譚/司馬江漢】(3)伊勢日永村から志摩鳥羽浦へ

『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

勢州 日永村 ツンツク踊の圖
うたふ文句もんく
 おふどろや かゝりおどりは おどろや
   ツンツン ツンツク /\

 さかひはまで 田をうへ
  一本かれば千もある
    二本かれば数しれず

 おくらの米は冨士の山
    酒につくれば 泉酒いづみざけ
 船でやろには 海がなし
   馬でやろには 山坂よ
     車でやろには 道がなし
 テテテツク/\

 西の山から 木をきり出して
   何にするとて 木をきり出した
 はたごにさして 千切ちぎりにさして
   美顔めゝよき小女郎に はたをらしよ
  ソウソウジおどりハ 是山で/\
     ヱイトコ/\

※ 「圖」は、図。
※ 参考:『さへづり草:一名・草籠 松の落葉の巻(伊勢の盆踊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

四日市盆踊
おんどうた 年ゝ 文句かはる


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

勢州 四日市のエキ(むまや)より石薬師の間の宿、日永ひなが村あり。七月十三日、十四日、十五日、盆中「ツンツク踊」とて、小童こどもあるひは、十七八の女子をなご、又、廿歳はたちばかりのおのこ、白きさらしの手拭てぬぐひをほうかぶりにして、こしあふぎをさし、手に手を取て、輪となりうたふ。此一村三四町より此踊りをいだす。一町づゝ唱文句うたふもんくちがひぬ。

※ 「勢州」は、伊勢国いせのくに。せいしゅう。
※ 「四日市のエキ(むまや)」は、東海道五十三次の四十三番目の宿場、四日市宿よっかいちしゅく。「むまや」は、駅家うまや
※ 「石薬師」は、東海道五十三次の四十四番目の宿場、石薬師宿いしやくししゅく
※ 「土方■ヒジカタコウ(■は厃+天)」は、土方ひじかたこう。伊勢国 菰野こもの藩の藩主。

七月十六日、日永よりゆく事 三里余。菰野このもと云所にいたる。土方■ヒヂカタコウ(■は厃+天)一萬石の領地りやうち也。陣屋ぢんや有。市中しちう一二町。夫より東の方、行事 十余町にして河原有。わたり五六十けんあいだ、常々水なし。雨ふれば  みなぎる川源せんげん(みなもと)は二里をへだつ。湯の山、青瀧あをたき  名なづくる  瀧の流なり。

四日市 諏訪明神祭
見物近郷より出る
提灯かず/\
夜に入 山祭りとて男女参詣する


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

廿日、湯山ゆのやまゆくこと、菰野より二里餘。一里過てはう一里程の原有。小笹おほし。白真びやくしん桔梗ききやう女郎花おみなめし萩花はぎのはなさかり也。自 夫(それより)、渓河たにかはわたれば、山中に入。みな すや山にしてすな流て、山骨さんこつあらはし、大石道路だうろふさぐ。又行事 半里、渓流けいりう有。水中、岩石を出す。其 石頭せきたうふみておどりこゆるる也。渓流けいりう  はなはだ  ふかし。又行事 四五町にして、渓水有。同く、おどりこゆる也。左右こと/\く大山にして、こゝを過て人家を見る。山をはさみて坂有。屋舎おくしやつくる事、十けんばかりそのなかば湯室たうしつ(ゆや)有。温泉水の如し。火を焚  湯とす。浴する者多し。此地、險阻にして、大樹たいじゆ少し。五穀ごこく 生(せうせず)。此へんつちなし。皆小石なり。大石のわれて砂となる。如此。

※ 「方《はう》一里」は、一里四方。
※ 「女郎花おみなめし」の読み「おみなめし」は、おみなえしの別名。

湯の山路 渓河の圖
湯の山全圖
ヲバレ石 冠が岳 御座が岳あり 湯原


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

此山中、夏月 冷気れいき(すゝしく)虫を不生。なし。冬月は雪深くして、住居すまゐがたし。此所より近江國日野ひの山越やこえ四里 ばかりもつとも  人家じんかなし。谷流たにがはをこゆる事 六瀬ろくせおほかみくま、多しとぞ。

勢州石薬師より四里
山中に入 石大神と云 数丈に直立して白石なり

七月廿六日、廿七日、四日市 諏訪すは明神の祭あり。近郷きんがうの者、見物に出る。やまといふものをつくり、又、ねりもの出る。此驛より京にぞくす。東方の風俗なし。婦人ふじんかみふうも皆、京の流行りうかう(はやり)にしたがひてならひ有。やしろまいる婦女ふじよ(をなご)、かしら帽子ぼうしかづき、夏月はを以てつくる。冬月は綿わたにてつくる。桑名くはなより此邊、家作かさく、京にぞくす

石大神より少し入 屏風岩あり
十八九町ばかりの間 両岩絶壁
白いわにして松楓多し 秋は紅葉して画の如し
此邊 岩たばこといふ 其比花有
岩石にはふて生ず 大きさ如圖
ウテナ薄紫 ムラサキクマ ジク 生ヱンジクマ


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

八月二日、日永村をはつし神戸かんべいたり、三日に神戸を出て、白子観音堂(伊勢参宮ノ道也)。夫よりに至る。藤堂侯(三十万石)の城下なり。比屋ひおく縦横じうわうに町つゞけり。富商ふしやう有。雲津川、舟渡ふなわたし。此川、伊賀山よりながれ出る也。夫より又川を二瀬ふたせわたる。此間、松坂をゆく。人家つゝきて富商ふしやうおほし。夫より行事 四里、小畑おはた。又、新茶屋などいふ処を過て、宮川の舟渡ふなわたし。わたれば、山田。人家たちつゞき繁昌はんじやうの地也。外宮内宮の間、古市・中之地蔵と云所、倡家しやうか多し。

※ 「夫より」は、それより。
※ 「藤堂侯」は、伊勢国 藩の藩主。
※ 「倡家しやうか」は、妓楼ぎろうのこと。参考:『字源 17版(妓樓)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

神戸かんべへ行路
高岡川 鈴鹿より落る

六日、二見が浦の方、山田を發して、山中にいる。ゆく事 半里許にして、川あり。塩合川といふ舟わたし。程なく二見にいたる。それよりその浦邊をめぐりてゆくに、皆あら磯なり。一村ひとむらに入川あり。舟にてわたる。小山をこえて、又、渚邊しよへし(なぎさ)に出る。

※ 「塩合川」は、伊勢国の五十鈴川のことと思われます。参考:『伊勢名勝志(鹽合ノ濱 鹽合川)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「日能ひより山」は、日和山ひよりやま


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

池の浦と云所、飛島見えて、それより松山に入て、志摩國鳥羽浦に至る。人家多し。市街いちまちなり。是まで四里有。五十町一里なり。此浦に西國の方のふねかけ関東くはんとうの方へわたるなり。日能ひよりのぼれば四方の島々みえて、佳景かけい(よきけしき)也。

池の浦の図
飛嶋 七つ嶋 見ゆる 東の方なり
鳥羽
日より山より北の方を望 嶋数々見えて景よし


参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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