【生月島捕鯨】勇魚取絵詞(10)生月嶋全圖
生月嶋全圖


生月嶋は、平戸の属嶋にて、城邑より西のかたの沖中三里計にあり。南北三里許、東西丗町許にて、その形狭く長き嶋なり。東南の海は地方に属て、浪もおたやかなれど、西北は遥に朝鮮にさしむかひ、溟海のかきりしられず。岸は屏風を立たるごとく、削成せるに、ともすれば、洪涛いかめしく、よせ来る貌おそろしさいふばかりなし。然れば、舟がゝりの便もなく、人の住處はた少なり。
東南の方によりて、館浦、一部浦、御崎浦など、其外の在家、また、舩かゝりの處にもあ●なり。此一部浦に益富又左衛門とて、代々豪冨の者住るが、篤實温淳のきこえあり。鯨捕ことを産業とし、所々の網代を指揮す。其は領内壱岐國の前目(冬二組、春一組)、勝本(冬二組、春一組)、生月嶋の御崎(冬一組、春一組)、大村領の江嶋(春一組、前目より移る)、五嶋領の板部(春一組、勝本より移る)、合せて五箇所の網代に、件の組を出せり。
※ 「あ●なり」は、昭和初期に出版された『日本化学古典全書』では『あンなり』と翻刻されています。参考:『日本科学古典全書 第11巻 第3部』(国立国会図書館デジタルコレクション)

(平戸領内には、此外、小値賀冬一組、津吉浦春一組の漁場あれど、益富が指揮にはあらず。冬組とは、小寒十日前より彼岸十日前まで下り鯨を捕をいふ。春組とは、彼岸十日前より春土用明て後廿日許がほと上り鯨を捕をいふ也)
その経営、容易からぬわざにて、富有の力ならずは、いかでか費用を賄べきたとへ財用足れりとも、その器量にあらでは、いかでか數多の漁人工人を掌るべき今生月嶋をとり出て、画詞記せるは、此嶋はあるが中に城邑より近くて、事實を見もし、聞もし、かつ、組主益富か居住の地ゆゑ、事よく整たればなり(圖中、西方にはなれて、遥にみゆるは五嶋の島々なり。また、番岳とてあるは、異國舩遠見の番所をすゑて、昼夜守目する所なり)。
※ 参考:『日本科学古典全書 第11巻 第3部(生月嶋全圖)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 ● は解読できなかった文字、□はパソコンで表示できない文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
