【職人図鑑】彩画職人部類(18)面(めん)

面
人皇三十四代 推古天皇の御宇、聖徳太子利國安民のために、天地の神を祭たまふ。此時、三十六番の面を作らしめ、秦河勝をして樂を作らしめ、神事をなさしめたまふ。
※ 「利國安民」の「利」は「和」に見えるのですが、『葫蘆集』に「利國安民」と記されているという記述に従って「利」としました。参考:『音曲玉淵集』『日本家庭百科全書』(国立国会図書館デジタルコレクション)

其後、「神樂」の扁を除き「樂」を略して「申樂」の起りといふ。

秦河勝について


ハタ カハカツ
秦河勝は、山城葛野の人なり。秦始皇の末裔、始皇の子某壷船に載て流され、浮漂日本に着し伝へて川勝に至る。聖徳太子に仕ふ。推古帝の十一年、仏像を尊崇し群臣をして是を拝せしめんと欲す。河勝進みて其の像を受け、蜂岡寺を建て以て之を置く。皇極帝三年、東国不盡河の上りに大生部多と云ふ者あり。翼蟲を養ひて、郷里を誑惑して曰く、此れ常世神なりと。巫覡等神語に託して曰く、常世神を祭る者は貧人は富を致し、老者は少に還ると。民争ひて財宝を捨て朱肉を路傍に陳ね呼びて曰く、新富入り来れど都鄙之を祭りて、歌舞福を求め、貨財を委棄すれども、毫も益なく耗費滋ゝ甚し。河勝、其の妖術、民を惑はすを悪みて、大生部多を捕へて之を苔つ。巫覡等恐れて止む時、人歌を作りて之を称す。又、太子守屋と合戦の時、太子生駒山より甲斐の黒駒に騎して下る。川勝、其の御者となる。是れ日本舎人の初めなりと云ふ。(大日本史)
※ 参考:『日本温古類聚 : 明治新刻(猿楽の起源)』『聖徳太子伝図会(秦造河勝像)』『聖徳太子御一代記』『日本仏教史略 上巻』『和漢三才図会 下之巻(金春)』『日本外史補系譜(長曾我部氏)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 ●は解読できなかった文字、□はパソコンで表示できない漢字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
