東京名物百人一首(25)お伽ばなしの会・役者紋せんべい・両国花火・花火線香・大倉美術館・人類学 坪井正五郎

入道前大政大臣
皆きそふ はなしの庭の 寄ならで
子等すくものは 御伽なりけり
【元歌】
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
挿絵には、「お伽ばなしの会」の招待券が描かれています。桃太郎や猿蟹合戦のモチーフも見えます。

招待券
十五日午後一時半より 神田美土代町青年會舘にて
第五回 お伽ばなしの會
お伽話、狂言、蓄音器、唱歌等
開催場所は、神田美土代町青年会館。現在の東京YMCAの前身、東京基督教青年会館のことと思われます。
明治の後期から子ども達におとぎ話を読み聞かせる活動が盛んになりました。当時の様子を明治四十四年に出版された『素人に出来る余興種本』から引用してみます。
このごろでは会や何かに御婦人・御子供 同道でおいでになられますから (略) お話をきいて居て面白い内に教訓になり、いろ/\のためになることをしるくんで、おやりになられると大変結構です。
おとぎ話についての本や雑誌は 已に沢山世に紹介され、殊にお伽芝居やお伽話の会は、巌谷、久留島、天野の諸先生によつて組織され、各所に支部が設立されて、盛に催されて居ります …
挿絵の入場券は、児童文学者の 巌谷小波氏・久留島武彦氏の「お伽倶楽部」が主催したものと思われますが、詳しいことは分かりませんでした。
※ 参考:『最新東京案内記 春の巻(神田區)』『お話の久留島先生(お伽倶楽部の誕生)』『通俗吃音矯正法』(国立国会図書館デジタルコレクション)

権中納言定家
買ふ人を 待ほど賣る 塩せんべい
焼や醤油に みをこがしつゝ
【元歌】
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
挿絵に描かれているのは、鈴木屋(池之端七軒町)のしおりです。役者紋をかたどった塩せんべいが評判だったようです。片喰紋と 橘 紋の役者紋が添えられています。

名代 無類 あつやき
役者 紋■(开+久) 塩せんへい
池之端七軒町七番地 鈴木屋礼次郎
鈴木屋については詳しいことは分かりませんでしたが、役者紋をモチーフにした煎餅には、團十郎煎餅(浅草並木町成田屋)、橘せんべい(亀屋せんべいともいう)(ふき屋町羽左衛門油見世)、錦江煎餅(南伝馬町)、役者紋尽煎餅(神田新石町石井屋)などがあったようです。
参考:『歌舞伎叢書 第1集』『演劇文庫 第4編(往古より役者名目の商い見勢)』『東都劇場沿革誌』『近世時様風俗(團十郎煎餅)(岩井せんべい)』『田舎人の見たる東京の商業(池之端七軒町)』『大日本商人録 東京之部』『工場通覧 2冊 明治42年12月末日現在』『東京商人録』(国立国会図書館デジタルコレクション)

正三位家隆
風そよぐ 両國川の 夕涼み
花火ぞ夏の しるしなりける
【元歌】
風そよぐ 楢の小川の 夕暮は
御禊ぞ夏の しるしなりける
挿絵には、隅田川にあがる花火と両国橋の欄干が描かれています。

昔、両国の川開きは、五月廿八日に限りたるも、今は一定の日はなし。花火を打上る前、警察署の認可を得て後に執行と虽ども、此納涼今に至るも、東京名物の一なりと定む。

明治十年頃の両国橋の様子です(明治八年(1875年)に架けられた木製橋と思われます)。

両国橋
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
『東京地誌略 前編』(明治10年)
両国橋は、明治三十年(1897年)の花火大会で欄干が壊れて二十数名の方が亡くなるという事故があり、新たに鉄製の橋へと架け替えられました。
※ 参考:『東京消防庁事務年鑑 昭和54年』『芥川竜之介全集 第9巻(川開き)』『東京の風俗(花火の夢)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸一流 加 元祖南京
龍田 □ みち 男山●●● むさし野 ●● 安部 野らんきく 宮城野乃萩
横山町壱丁目
花火せん香 かきや弥兵衛
「かきや弥兵衛」は、両国橋の花火を担った花火屋の鍵屋弥兵衛です。「龍田 □ みち」は、龍田川、もみぢなど、線香花火の名前と思われます。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『やまとにしき 3』
※ 参考:『盲文画話:水野廬朝筆風俗絵本(花火線香売)(花火線香売)』『百物叢談(花火線香)』『日本玩具集 解説(線香花火)』『貯金道話(線香花火)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

後鳥羽院
人も知り 人も羨む 美術館
世に大倉の 物好む身は
【元歌】
人も惜し 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は
※ 「美術館」は、大倉財閥の創始者 大倉喜八郎が明治三十五年に自宅の一角に開いた大倉美術館(後の大倉集古館)のこと。
挿絵には、鶴の絵が描かれています。

大倉喜八郎の幼名は鶴吉、号は鶴彦。
鶴の絵と落款がその名前にちなんだものか、美術館の収蔵品か、調べてみましたが詳しいことは分かりませんでした。

『建築写真類聚 第1期 第1』
参考:『新潟県人物誌(大倉集古館)』『国民年鑑 大正7年(大倉集古館)』『官報 1917年10月26日(法人登記 大倉集古館)』『大倉集古館陳列品目録』『大倉物語』『東京ダイレクトリー(大倉美術館)』『帝国漫遊案内(大倉美術館)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

順徳院
物識や 古き史学を 調るは
猶誉ある 博士なりけり
【元歌】
百敷や 古き軒端の しのぶにも
なほ余りある 昔なりけり
挿絵には、坪井正五郎の名刺が描かれています。

坪井正五郎
本郷駒込西片町十 番地ほ十三■(■は号+乕)
坪井正五郎は、日本で初めての人類学者とされ、日本における考古学・人類学の普及と確立に尽力した人物です。
名刺の後ろに描かれている人形は国内遺跡の出土品と思われますが、調べてみましたが詳しいことは分かりませんでした。
参考:『日本現今人名辞典(坪井正五郎)』『日本考古図譜』『日本旧土人コロボックル石斧ヲ研キ獣肉ヲ煮ル図』『世界風俗写真帖 第1集』『工商技芸看板考』(国立国会図書館デジタルコレクション)
Webサイト:近代日本人の肖像「坪井正五郎」(国立国会図書館)
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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