【水害記録】安政風聞集(6)両国・新吉原・銀座・本所・深川など
安政三年(1856年)八月に起きた江戸の台風災害の記録。著者は『安愚楽鍋』などで知られる仮名垣魯文(金屯道人)です。この前年には安政江戸地震が起きています。
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〇 風雨の翌日、永代橋前後の河岸へ、辻駕籠七八一挺程打上るを見出したり。然るに、所々の駕籠屋より檐夫人足帰らずとて、尋ね来る者二十人程、此駕籠を見て死せると知るよし。按るに、仲町辺の遊女屋仮宅に遊び居たる人々、風破并に出水に驚き急ぎ我が家へ帰らんと賃銭いとはず駕籠を雇ひ、乗来りしが、檐夫は永代橋の落しを知らず、提灯は吹消され、足元も分ぬ真暗を只一さんに駆来り。橋の崩れし所より●び込で、客諸俱溺死為たるものなる故、駕籠のみ岸へよるものならんか。
去る文化年中に、八幡宮祭礼の折、此橋落て人多く死す。其年数を算ふるに、五十年に及ぶといふも、是又不思議の一ツといふべし。
※ 「●び込で」は、誤読しているかもしれません。
〇 西両国辺は、川端水茶屋廣小路見せ物小屋、残らず吹潰れ、床見せ過半吹倒さる橋下西の隅、大舩二艘吹上る。此橋、去年懸替たれども、合板大きに●る。吉川町、同盟町、辺所/\損じ、肴店、鐔店辺、少々損る。浅草、見付外、柳橋、向代地、福井町辺、裏長屋、大半潰れ、御蔵前通り、表店十余軒潰れ、裏店数しれず。鳥越、新堀端、組屋敷、所々潰れ、多く阿部川町辺、所々損じ、松平勘介どの、西長屋一ト棟潰れ、三味線堀、立花公長屋崩れ、大久保表門長屋崩れる。
〇 黒舩町並木通り、駒形町、西仲町、裏表茶屋、大半そんじ、浅草地内、長屋少々そんじ、雷門、仁王門、大提灯吹散り、往還へ落る。西の宮稲荷、銅鳥居倒るゝ三社前の鐘樓堂、途中より崩るゝ。奥山生人形の大小屋、大銀杏倒れて、人形とも微塵になる。其余、大木倒るゝ事夥し。
奥山に大銀杏あり。世俗、「雨の銀杏」「風の銀杏」と呼。此木、大風雨の日より十二、三日以前、そよ吹風さへなかりしに、自ら折れ倒れたり。されば、人々是を怪しみ「こは只事にあらず」などいひ罵りしが、果して此変事いで来れり。後に
※ 「奥山生人形」は、等身大の人形の見世物。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『浅草奥山生人形』

此銀杏の枝を珠数に刻みて ●中の人々、是を持り。災難を遁るゝといふ。
〇 矢大臣門外、遊女屋仮宅屋根悉くそんじ、或は傾く。猿若町三芝居とも屋根悉くそんじ、茶屋破損多し。中田辺、茶屋出張そんじ、松田屋仮宅悉く潰る。馬道、藪の内、西側残らず倒れ、北馬道、田町、大そんじ、山の宿、花川戸、聖天町通りは町屋格別の損じなし。
※ 「矢大臣」は、神社の随身門に安置されている二体の神像のうち、向かって左方の神像。矢大神。
※ 「猿若町三芝居」は、江戸三座と呼ばれた中村座、市村座、森田座のこと。
〇 新吉原は西河岸より出火して、廓内に残りたる遊女屋少々々焼る。大音寺門前、千束村、此辺の草屋悉く倒る。又、山谷通り、裏表とも損じ、橋場、今戸、出水夥し。
〇 山の宿、花川戸辺の者は、多く遊女屋仮宅中彼処の方に、仮住居して居たりしが、元来小屋がけの家居なれば、四方忽ち吹とぼつ。然れども、行べき方なければ、此処につぐみて在けるが、川中より空へ黄なる色の大きさ四斗樽三ツ四ツ集めたる程のもの幾ツともなく舞上り、また舞下り、さと散さんじ恐ろしさ云んかたなし。思ふに、辻風の砂を巻がごとく、風の ● り集りて、落し来れるものならんといへり。
〇 吾妻橋向は、橋南の方崩れ落る。小梅、押上辺、所々そんじ、向島村々潰家多し。北本所中の郷、業平橋通り、石原弁天小路、北割下水、法恩寺橋通り、何れも大破に及ぶ。亀戸村、五百羅漢辺、大出水にて大破、南割下水通り、此辺大小武家屋敷、町家とも高汐の為に、地高き所は床をすりはらひ、低き所は床上三尺余も上る。水に漂蕩、風に押れて潰れ、又は流るゝ家、数を知らず。

〇 銀座役所へ出方をもて職とする松七といへる者、久敷、深川元町に居住せしが、去● 卯十月二日夜の大地震に家を失ひ、本所羅漢寺より二、三町隔し在方にいさゝかの知音あれば、其処に立退、小家を仮て、住居しが、當八月廿五日夜の大風雨の折に、高汐一時にみなぎり、此辺の老少東西に
※ 「卯十月二日夜の大地震」は、安政二年(1855年)に起きた安政江戸地震のこと。

奔走し、南北にさまよひ、目も當られぬ風情なり。そが折から、彼の松七も妻子等俱に驚き忙て、表よりや逃出なん。裏よりや遁れなんとわな/\としてたゆたひしが、妻は家の棟にうち上りて凌がんといふに、松七は危● とて、一決せず捫擇する内、水ははや縁端まで押来りしかば、松七は當年四歳になる男子を肌に脊負て、脊戸口に遁れ出、年経る楠の大樹あるに心付走り寄て、彼の楠の幹の節瘤に足をかけ繁茂し枝に取付て辛くして這上り慄戦て、ひたすらに神仏の名号を称へ生たる心地はなかりしが、肌に脊負へる●児すら其水音の烈しきに恐れてや、父が脊にしがみ付、更に声とも出し得ず。思ひの外におとなしきは、物すさまじきに恐怖ての事なるべし。
斯て其夜の八ツ時ともおぼしき頃、わや/\として楠の許に近付ものあり。彼松七は樹の上にまたがり居て、思ひけるやう、扨は此高汐の出水を見かけ何処よりか助け舟を漕よせしならん。我も頼みて乗移らばやと、暗夜ながらに窺ひ見るに、さはなくて、家の棟に多くの人の上りたるが、流れ来たれるさまなれば、扨は家毎斯なれば、我家も大かた押流され、妻等も今は水の泡と消失しものならめと、心中の嘆き大かたならず。
一個くよ/\思ひ續け、泪のかはくひまさへも泣々其夜を明しけるが、風止、雨晴てより程なく夜明稍出水も退きければ、今は爰を下り立て、妻の存亡をも見んものと、やう/\にして下り来つ。街の方に立出るに斗らず、妻及び近隣の者にも行合ぬ。此時とき、互に顔見合せ、先だつものは泪にて、暫時、言葉もなかりしが、稍有て、松七は妻なる者に打向ひ、「我はしか/\の事にて伜ともに助りつるが、其方はいかにして凌しや」と問にぞ、妻は夫に向ひ、「扨はおん身は楠のために命助りのびしが、㑪は又近隣の他彼と俱に藁家の棟にうち昇りしが、次第に水のますに


したがひ、家々は水上に浮び漂ひ、心細さも弥増て、此世のものとは思へぬものから覚悟して有けるが、流るゝ家は隣の庭の桃の木にゆきあたり、幸にして、遠く流れず、恙なきを得たりとて、夫婦手に手を取かはし、悦びあふぞ道理なれ。又、砂村の内、大塚村はくぼみたる百姓家、三間程流し行しが、羅漢寺の在なる大島の聖智院の庭前にて止りしことぞ、此流れたる家根の上に十三人乗居しが、其内子供一人は水勢の烈しきにおそれ、目くるめきてや、水中へ落入亡けるとぞ。
〇 同所、龜沢町通り辺、緑町通り、竪川通り、此辺天満宮祭礼にて、幟立居たりしが、悉く吹折れ、又は根よりたふれ、人家を押潰す。一ツ目橋際にて小舩多く損じ、大舩三艘石揚場へうち上る。松井町遊女屋、仮宅所々そんじ、又は傾く。林町通り、町家は出水床上にてとまるといへども、屋敷側はその上三尺余上る。永井矦御長屋崩れ、對州矦表門より長屋潰れ崩るゝ。
※ 「對州」は、対州。対馬国のこと。
〇 本所割下水辺の或屋敷にて、高汐床上へ二尺五、六寸上りければ、箪笥、浮出水中へのめりて、引出し抜落されければ、周章拾ひて、水の入たるをも構はずはめ置、水落て後、彼の引出しを明て見るに、貝● 一匹すくひ込れ、猶 ● まはりて居たりとぞ。
又、同じ辺なる屋敷にて、家の内を鰈一疋およぎゐたりしが、翌日になり追々水引て後も猶、庭のうちに見えたりとぞ。又、芝、新銭座にても水引て後、家の崩たるを取退ければ、烏賊三疋、こち一疋、真鯛二ひきゐたり。尤、右鯛はいまだはねまはりありける故、取てさしみとなしぬと、或人かたりけり。

〇 深川は、六軒堀辺所々いたみ、あたけ御舩、蔵五棟程大破、此辺一圓出水常盤町辺所々破損し、高橋落て、通行當る。此辺、往来海のごとし。灵岸寺中
※ 「灵岸寺」は、霊岸寺(霊厳寺)。


末寺、并、浄心寺、地中大ひ損ず。是より寺町辺は、只さへ最も物の匂ひ悪臭く思はるゝに、犬猫の溺死骸流れ集り、肉腐れ、水引日を経るにしたがひて臭気鼻を穿ちしよしなり。猿江、海辺、大工町、悉く大破し、永代橋、向ふ佐賀町辺り、諸方そんじ、仲町辺、遊女屋仮宅佐の槌屋、大の字屋、大潰れ、その外も壁を抜、屋根をこぼち、家傾き、悉く大破す。
八幡宮境内相州江の嶋弁財天開帳場仮屋并に本納物見せもの小屋、悉く倒れ、また、流出なす。弁財天、開帳場、仮屋、并に、奉納物、見せもの小屋、悉く倒れ、また、流失なす。弁財天御厨子は八幡宮の本殿に移し奉る。境内の橋一ヶ所落流れる。新地蛤町潰れ家多く、木場、土橋、入舩丁、此辺高汐に流され、風に潰れ悉く大破す。洲崎弁天境内、掛茶屋悉く吹ちり、大木の松倒れる。門前の橋落て流れる。川端の家、悉く潰れ所々大破す。

※ 「佐の槌屋」は、江戸町二丁目にあった佐野槌屋のこと。遊女 黛が居たことでも知られます。よかったら過去noteも見てみてくださいね。
→ 【古今名婦伝】寶槌樓黛
※ 「相州」は、相模国のこと。
筆者注 ●は解読できなかった文字、□はパソコンで表示できない文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
