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その作品から感じ受け取り共に考える 『極私的映画論』(森達也)

森達也の映画評を集めた1冊を読み終えた。
ニューズウィーク日本版での連載をまとめたものだそうで、
今年のはじめに出たものだ。知らなかった。面白かった。
 
すこし前にも書いたが、
薦めていただき手に出来た小人プロレスのルポルタージュを読み、
(『君は小人プロレスを見たか』高部雨市 幻冬舎アウトロー文庫  1999)
その流れで氏のグレート東郷のルポに辿り着いた。
第二次大戦直後にアメリカプロレス界で活躍し、
「卑劣なジャップ」と呼ばれた日経レスラーの謎と「ほんとう」、
差別や時代や「人間」を追った一冊、熱くなった、これもいい一冊。
(『増補版 悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷』  岩波現代文庫 2022)
 
という流れで手に取る。
 
『極私的映画論』 (論創ノンフィクション 2025)

最初は思わなくはなかった。
「自分の話ばっかりやんけー、んー、
まー、でも、そうなるかな、観る人だけど撮る人やもんな」
知人(映画『福田村事件』のことをたくさん語り、教えてくれもした方でもある)にも笑って言った。
「面白そうやと思って手に取ったけど、期待したほどじゃないかもしれん」
「それよりネトフリの『新感線大爆破』に森達也出てましたよねびっくりした(笑)」
 
でも。
 
この時期こういうときに読めたのもなにかの流れや縁なのかもしれない。
 
読み進めていくうちに熱くなり、
時にめっちゃ頷き、笑いながらや拳をぐっと握りながら頷き、
ひとつひとつの章(映画紹介)を大事に読み、
もう一度読み返したので誰に貸そうか貸さないかと今悩んでいたりもする。
 
評論や感想は、書き手を雄弁に物語る。
ナカミをめちゃくちゃ写す。その人自身を。
同時に読み手のナカミもめちゃくちゃ写しもする。
その人自身と自分自身と向き合う、向き合わされる。作品を通して。
 
読んでいる期間、知人に、またちょっとふざけてでも本音で言った。
「わし、なんかめっちゃ仲良くなれそう(笑)」
「一緒に呑んでわあわあ言うて、時に熱くなりすぎて酒も入って喧嘩して、
でも翌日また呑んでたりしそう(笑)」
なんのこっちゃ。
 
ちょっと、いや、結構、引用をしておきたい。
 
何の映画に関するときの文かは、
よければ、興味ある方は、読んで照らし合わせてみてね。
 
「映画の役目とは何か。まずはエンタメ。告発。発見。共感。
……いくらでもある。
でも、重要な一つは、宗教や国境や民族や言語は違っても、
皆自分と変わらないと気付くこと」
 
「人は他者の集団を自分たちとは違う存在なのだと思い込む。
だからこそあり得ないほどに残虐になり、取り返しのつかない事態が起きる」
 
「とにかく痛い。汚い。悲惨だ。救いがない。
だから実感する。それが戦争だ」
 
「それまでの(薄っぺらで根強くて気持ち悪い)在日タブーを
この作品は邦画の世界で粉砕した。(中略)
差別と被差別。する側とされる側。
集団になったとき、人は振る舞いを変える。
相手も個ではなく集団の一部になる。
こうして一人ひとりは無意識で善良なまま人を傷つける。
月はどっちに出ている。それは決められない。
どちら向きに立つかで方位は変わる。
様々な国籍を持つ人が日本で暮らしている。
大切なことは自らの個を意識しながら、相手を個として見ようとすること」
 
「事件や事象を理解するには被害側と加害側双方の視点が必要だ。
でも世の中の人は加害側の物語を好まない。
だから被害者意識が疑似の主語となって加害者のモンスター化が進む。
冷血や残虐などの言葉が既成事実となる。でもそれは絶対に違う。
純粋で善意だから危険なのだ。(中略)大切なのは「個」を保つこと。
暴走する集団の空気を壊すのはほんの少しの勇気なのだ」
 
「強さや弱さではない。信念や決意とも違う。
人は、一つを選ぶと一つが落ちてくる自動販売機とは違う。
スイッチ一つで電源のオンオフが操作できるスマホや扇風機とも違う。
そのように分かりやすい原理では動かない。もっと理不尽で不条理だ」
 
「生きることの哀しみ、あるいは生きることの加害性。そして正義は一つではない」
 
笑いながら怒るひとのコントって竹中直人だったっけ。何言うてるんや。
でも、少なくとも、
わたしの場合は悲しみと怒りは結構いつもセットのように自覚をしている。
それは主に誰かや自身の尊厳にかかわるときがほとんどだ。
そんなときわたしは真っ向から
またはその時のやり方で言ってきたりもして、
うまく出来なかったときもあるし、
伝わらなかった・ないかもなことも少なくないし、
反省や後悔もあれば、悔しさもあるし、今もいつも悩むことも多い。
最近は例えば作り笑いをしたりしながらも心を閉じも、
いや、閉じそうになることも少なくない、
数センチは開けておくことは心掛けるも。
閉めてはいけない。閉じてはいけない。毎回反省する。
考えなくては、考え続けなくては、考えるのをやめてはいけない、だ。
このところはなんだかちょっと気持ちが落ちたり
嫌になりすぎたりをしなくもなかった。
特に、SNSのタイムラインのどちらもこちらもなどを目にしていてだ。
いや、ただ単に暑いからバテているだけかもしれない。
でもそれだけじゃないとも、思う。
 
撮る人は観て、言葉にして、
ひとつひとつの作品を通して私たちと文を通して話している。
すべての作る人たちは表現をする人たちは伝えている、
伝えようとしている、それぞれのやり方でそれぞれの想いを。
「人間は、簡単じゃない」
見る。見ている。怒ってる。笑ってる。語ってる。問いかけてる。
「みてみぬふりをするな」「考えろ」「疑え」
「(自分たちにとって都合のわるいことや歴史を)なかったことにするな」
撮り、書き、作り、語る。考える、共に。
 
数日かけて読んでいた。電車の中で読んでいたら面白くて、
そのまま乗換駅の間近のチェーンのカフェに飛び込んだ。
背表紙を上にぽんと机に置きアイスティーを飲んでいたら声をかけられた。
「その本、なんの本ですか?!」
びっくりして振り返る。
若い店員さんが背表紙のイラストをめっちゃ見ている。
勿論知り合いではない。なんでや。机を拭きにきて目に留まったみたい。
でもこんな風に声かけるかけられることってある?
「映画の本で。みてみる?」とこちらも返したら、
「これ、●●じゃないですか」
背表紙のイラスト、似顔絵を指し、彼女は言う。
「私知ってる映画ありますかね?」
んー、短い時間でどう説明したらええかな伝えたらええかな伝えられるかな。
ちょっと悩むも、すこし考えながら挙げ話したら、
「わあ、ありがとうございます」とぱぁっと笑って返してくれて、
こちらも、ぱぁっとなった。店を出るときも、手を振り合った。
びっくりしたけど、なんかよかった。
人間はまだ、信じられる。かもしれない。
さて、この本も、あの本も、あ、それからあれも、誰に貸そう。
あの映画やあのドラマも、そして舞台も舞台たちも、誰と話そう。
いろんな話をしよう、したい、聞きたい、考えたい、いろんな皆と。あのカフェにもまた行こう。


出してから一か月ちょっと。
手に取って下さった方、言葉にして下さり伝えて下さった方、
ありがとうございます。
舞台や劇場、酒場、さまざまな「人間」のナカミを見ることが好きです。
好きというより、人間を感じたいな、
皆で生きることを考えたいなと日々思っています。
このような時代や世の中であるからこそ、なおのこと。
そんな人間が決して得意ではないが向き合う日々や人間、
なんてことのないことを日々noteに綴ってきたものを
(主に評論など以外を)まとめました。
世界は劇場で、どんな人間も役者、
いや、人は皆、〝花〟なんちゃうかな、と思うのです。 
いろんな皆と言葉や日々を共有し人間を考えたい。
そのきっかけに、とはおこがましいですが、
そんな1冊に、とも願う気持ちは込めています。

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構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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momo|桃花舞台 いつも読んで下さりありがとうございます。 一人の物書きとして、日々思考し、綴ります。