歩く 履く 考える 繋がる 『SISTER“FOOT”EMPATHY』から
共にハマっていたとあるドラマについて
友人とやりとりをしていたのは先日のこと。
はっきり言って「きつい」「しんどすぎる」シリーズ作品が完結をし、
いろんな人の感想が知りたく読み漁った。
勿論いろんな見方があり、だから面白い。
しかし、その中で「回収がされていない」
「カタルシスがない」という意見を見つけ、
えーっ、あー。うん、でも、これもそれぞれの意見。
とはいえ、語りたいことはありすぎる。
伝えたところ、友人もアツくなり、
内容のことはもちろん、こんな話題にもなった。
なんで何でも「ぜったい」の答えがあるとか
出してもらえると思うんかなあ?
なんで何でもかんでもフィクションだけじゃなく
現実でも伏線回収の答えや落ちるところがあると思うんやろか?
思いたいからか? 思いたいよなあ。
でもそうじゃないそれだけじゃなくない?
コスパやタイパやSNSで物事の数が見える時代だからかな?
わかりやすさと、「間違ったらあかんこわい」からの怯え?
というよりそもそも好き嫌いと快不快だけでの決めつけ?
なんだかあまりに浅いなあというか薄っぺらじゃない?
からの、でも、最後はいつもながらバカ話となる。
わしら、嫌なもの汚いもの見てきすぎた?(笑)
わてら、人の欲を見てきすぎたよね(笑)
●●(芝居小屋業界)のせいやな(笑)
それやー(笑)
うん、笑えないけど笑うのは毎回なんだけれど(笑)
なんかな。なんだかな。なんでなんかな。
と、いろんなことに思うことは少なくない。
昨今、時期的にもよく思う。
自分の頭で考えてそうして自分の言葉で、
って大事なんとちゃうかな。と、いうことを。
SNSで見て数が多いそれはいつもぜったい正解?
いろんなこと、なぜそう思う?
もっと調べた?
偏ったものだけ集めなかった?
思い込みはない?
何故? そう思いたいから、それでそこで突っ走ってはいない?
友達が言ってるから? 皆が言ってるから?
皆って誰?
その思い込みで誰かを決めつけて間違って断罪したり傷つけてはいない?
なんでもかんでも答えを出したり決めつけたりしてしまうこともまた、
誰かの考える力を奪っていたり、その人に真剣に向き合っていないというか、そのひとと「対等」であるようで全然ないような気もしたりして。
ぐるぐる、ぐるり。
人間を、
しんどいけれど生きてるから、皆生きてるねんから、
吐きながら失敗しながらも見ようとしよう考え続けようよ。
人間だから。共に。
って、わたしも、うまく言えていない気もするが。
正義は正解は、ある。あるよ。あるねん。
それは人間の尊厳を尊厳が守ること守られることだ、全ての人の。
せやからこそ、いろんな人の声を聞く、聞こうとする、
そして自分の頭で考える。
決めつけずに。面倒臭くても。嫌いでも。
切らずに。無視せずに。諦めずに。一緒に。みたいな。
そのような中、ブレイディみかこの新刊を読んだ。
2022〜2025年の観たもの聞いたもの経験したことをまとめたコラムからの
『SISTER“FOOT”EMPATHY(シスターフットエンパシー)』。

FOOT、である。
近年使われる「エンパシー」という言葉の提唱者のようにいわれる彼女は、でも「正直それ言われるんもう飽きた(笑)……でも」
と、自分の体で「足」で感じ、考え、繋がること、を説く。
その考え方ややり方がとても好きで毎回楽しみにしていて、
過去の作品も読んでいる・読んできた。
決して、品がいいだけじゃない言動や言葉で、パンクな魂で。
借り物ではなく、己の足で心で。
みかこ姐さん(知り合いじゃないけど(笑))は繰り返し言う。
「差異万歳。完璧じゃない私たちでいい」
「完璧じゃなくていい」
さまざまなエピソードを連ね、ずっと言う。
世の中の人は善人と悪人の2つにぱっきり分けられるのではなく、
ひとりの人間の中にも善悪は混在する。
皆が清廉潔白なすごい人じゃないむしろそんな人は居ない。
例えば。そもそも、天使のような善き人であれ、
安心できる存在でいてくれ、
というのも押しつけられてきた規範ではないか。
いい人であれなんて押しつけだ。
わたしたちは間違うし、間違っていい。
人は変わる権利と可能性を持って生きているから。
何の乱れもない清潔な靴しか履かない態度を純粋と呼ぶなら、
純粋とはすなわち不寛容の言い換えだ。
連帯を語る時に避けて通れないのは「小さく分かれて尖ってゆく」こと。
それが露呈するのは主にネット上。
叩く叩かれる、バトルする、批判するされる。
そうなると生身の人間だからメンタルが傷ついていき、
で、黙ったり、伝えたいことが言えなくなったりして黙り込んだり、
声をあげるのをやめたり言葉を呑み込んだり。
そうして孤立する、いや、させられる。ということは、全然少なくない。
支配とは「人をなめる」ことから始まる。
他者との関係性においてわたしたちは対等であり、
見下したり侮蔑されたりするような存在ではない。
個人の違いを許容する凸凹な社会に必要なEQUALITYは「対等」の方だ。
あなたは人のことを馬鹿にしていないか?
全く無意識に「自分」と「あの人たち」の間に線を引き、
上から目線の、無意識の階級差別意識を持っていない?
それに気づかずにいない?
自分のアタマでと足で考えよう。考えようとしよう。
バラバラでいい。
バラバラだが、バラバラのまま、繋がろう。
共に地べたに足をつけて経験し考えようよ。
わたしは、今手に出来て、読めて、よかったと感じた、「今」。
「ああ、考えよう」「考え続けたい」よければ、一緒に。皆で。皆と。
先日お知らせしたわたしの本にも
嬉しいお言葉やお気持ちを頂戴して感謝でいっぱいである。
人間としてまだまだすぎて一生まだまだかもしれないが
「こうありたい」を汲み取ってくださる方も少なくなく、
姿勢を正される気持ちだ。
日々、日々。 書く。読む。歩く。履く。
見る。観る。聞く。書く。呑む。最後ちょっとちゃうか(笑)
まとまらず長くなったが、暑いけど元気で居てね。
街場で皆が持つ自分専用小型携帯扇風機がピストルに見える夏に。

乗換駅の鶴橋駅のカフェで、隣にハングルを勉強している女の子、
もうひとつの隣にはYouTubeでボクシングをみている中年男性、
向かいにはおねえさんとお客のサラリーマン、というのも、よかった
*
この対談もとても好きでした。
スレッズには貼ったけれどここでも共有したい。
◆
構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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今日も皆元気でね。
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いつも読んで下さりありがとうございます。
一人の物書きとして、日々思考し、綴ります。